放課後。

 部活へと向かう友人と別れて、僕は校門に向かって歩いていた。


 ちなみに友人といってもそれほど多くはいない。数人程度だ。

 これはよく変わっていると言われることなのだけれど。

 僕は自分から声をかけて友人を作ることは苦手だ。だけど相手から話しかけられると、その相手が気の合う相手なら割とすぐ友人になれる。

 所謂コミュ障というやつなのか、それとも違うのか。よくわからない人間らしい。

 僕自身は自分のことをコミュ障だと思っているのだけれど。だって自分から友人を作るのは苦手なのだから。


 運動場を過ぎて、校門が見えてくる。

 運動場で活動をする部活の掛け声が聞こえ、それに混ざるように吹奏楽の音が微かに聴こえる。みんな青春を謳歌しているようだ。

 もちろん帰宅部が青春を謳歌していないと言うつもりはない。部活をやっていなくても青春を謳歌している人だっている。

 けれど、僕が青春を謳歌しているかというと、自分では首をひねるばかりだ。


 何よりも夢中になれるようなこともない。一生懸命なにかに取り込んでいるわけでもない。

 運動も勉強も中途半端。色恋の一つや二つもない。

 およそ青春と呼ばれるようなことはなにもやっていない。

 大人はそれでも青春だと言うけれど、当事者からしてみれば違うと思うのだ。僕が今過ごしている日常は青春なんかではない、と。


 だからといって何かを変えようという気持ちはない。

 ……いや、だからか。

 現状を変えようと思っていないから、僕は青春から遠ざかっているのだろう。

 僕は自分から青春を遠ざけている。意図したわけじゃない。何もしようとしてこなかったから、僕は今の日常を過ごしているのだ。そう思う。


「……まぁ、どうでもいいか」


 僕は青春を送りたいわけじゃない。だからきっと、考えるだけ無駄なんだと思う。

 ゆっくりと、僕は校門を抜けた。


「待ってたぜ、先輩!」


 そう声をかけられたのはその時だった。

 声の方へ顔を向けると、同じ高校の女子制服姿の、快活そうな笑顔を浮かべる女の子がいた。


 髪は黒く、ベリーショートヘア。肌は微かに日焼けしている。真っ黒には焼けない肌質なのかもしれない。

 半袖のブラウスの袖を肩まで捲りあげていて、スカートの裾からスパッツが少しだけはみ出している。胸元の女子制服用のネクタイは緩めに巻かれていた。

 背中には黒色のリュックサックを背負っている。通学用の鞄だろう。一応指定鞄はあるのだけれど、別にそれしか使ってはいけないという校則はない。

 スポーツシューズを履いていて、かすかにスニーカーソックスの上端が見え隠れしていた。右手首にはリストバンドがあった。


 見た目を一言で表すと、スポーツ少女といったところか。


「げっ、昴だ」


 彼女の姿を認めて、僕は思わず零してしまった。


「げってなんだよ」


 スポーツ少女は少し不機嫌そうに言った。

 僕は彼女のことを知っていた。


 涼谷すずたにすばる

 僕の後輩にして高校一年生。彼女とは中学からの仲だ。

 後輩ではあるけれど、数少ない友人の一人でもあったりする。

 彼女は所謂ボーイッシュな女の子だ。

 口調は男っぽいし、性格も少年っぽい。そして明るく活発で、少年のように笑う。

 まさにボーイッシュ少女を体現したような感じなわけで、顔は可愛いけれど他の女子に比べて一緒にいて過ごしやすい。過ごしやすいのだが……。

 昴には一つ、問題があった。


「まあいいや。なぁ、先輩。勝負しようぜ。もちろん、負けたほうがなんでも言うことを聞くルールでな」


 これである。

 彼女はいつも、僕を見るなり勝負を仕掛けてくる。勝負の内容は様々で、運動系やTVゲーム。ゴムパッチンなどのチキンゲーム、大食いや早食い。なんでもだ。

 問題なのは勝負の内容じゃない。勝負で賭けをすることが問題だ。

 賭けるものは決まって同じ、なんでも命令できる権利だ。

 一見、男にとってロマンのある賭けだと思うだろう。


 なぜなら相手は女の子だ。しかも可愛い。なんでも命令できると聞けば妄想が広がってしまうのが男ってものだ。

 パンツくらい見せてもらえるかもしれない。メイド服や猫耳スク水姿だって拝めるかもしれない。

 昴はペッタンコな平原の持ち主だけれど、それでもおっぱいを揉めたら嬉しい。他にもあんなことやこんなことやむふふなことだってやれるかもしれない。


 ちなみにこれは男子たちの代弁であって僕の思いでは決してない。

 僕は健全な男子高校生なわけだからね、その他の変態男子高校生と一緒にしないでほしい。僕はおっぱいかパンツを見せてもらえればかまわない。

 ……あれ? これって変態の思想では?

 ……。

 …………。


 べ、別に妄想するくらいいいだろう! 実際に勝ったらひよって命令できるわけないんだからな! メイド服と猫耳スク水姿以外は言えるわけない! あとで殺される!

 ……いや、メイド服と猫耳スク水姿でもやられるわ。

 きっとルールだからちゃんと着るだろうけれど、その後に真顔で「おら、ご褒美なんだろうが」って言いながら蹴られて踏まれる。いやご褒美だけどもってなりかねない。

 怖い。何が怖いってご褒美だけどもって思っている自分が怖い。


 ま、まあでも夢が広がることは間違いない。

 普通ならそうだ。相手が昴でなければ。

 彼女は強い。どんな勝負でも勝ってしまう。なぜなら、どうしてか勉強以外はある程度なんでも出来てしまうのだから。

 要するに涼谷昴は器用なのである。


 あくまでも人並みにこなせてしまうのであって、昴が才能の塊というわけではない。

 天才ではないけれど、如何せん僕が不器用なわけで。

 つまるところ僕は彼女に勝てないというわけだ。というか実際に勝てたことがない。実質、僕は昴のパシリと化していた。


「きょ、今日は勘弁してくれないかな」

「なんで? もしかして負けるのが怖い?」

「そ、そうだよ」


 認めるのはなんだか悔しかったけれど、この場を乗り切るために素直に頷いた。


 こちとら財布の中身がすっからかんなんだよ。……パンツが覗けるハイクオリティなフィギュアを買ってしまったからな!

 天使みたいにスカートの中が真っ黒とかふざけているのかと言いたい。パンツまでこだわってこそ美少女フィギュアは光り輝くというのに……。

 ズボンを穿いたキャラならいざ知らず、スカートのキャラでパンツを再現しないとは、職人の愛が感じられない。もっとパンツを見せろ!


 それに比べて今回買ったフィギュアは最高。まるで本物のような色艶のあるパンツ。製作者には頭が上がらない。

 そのフィギュアの値段は五万。高校生になってからお年玉なんてもらえなくなったから、知り合いのお店でアルバイトをしてお金を貯めた。僕にしては頑張った方だ。

 でもフィギュアを買ったばかりだから、今の所持金は十五円になってしまい、昼食時に購買へ行けなかったのだ。


 今回の勝負に勝ったら、昴はいつものように何かを奢らせる気だろう。そして僕もまたいつものように負けることだろう。

 そこまでならいい。いつものことだ。

 だけど問題なのはそこじゃない。

 今の僕では何も奢ることができない。そうなれば、昴のことだ。別の命令をしてくるはずだ。それだけは勘弁してほしい。

 今回のように奢ることができないことは今までにもあった。そういう時、昴は決まって同じことを命令する。


 女装だ。

 昴は僕に女装しろと命令するのだ。女装だ、女装だぞ?

 なんでも僕は中性的な顔立ちをしているらしい。背丈も女子並みだから、他の男子に比べたらチビだ。女装すれば女の子に見えるとかいうのだ。


 ありえない。僕は男だ。女の子に見えるわけがない。嫌がらせだ! そうに違いない!

 ……何はともあれ女装してコンビニに行くのはもう嫌だ。何が嫌かって店員さんが何の反応も見せないところだ。

 世に言う男の娘ならともかく、普通女装していたら何かしら反応があるはずなのに……。

 ともかく、だ。勝負に持ち込ませては駄目だ。


「やる前から負けること考えるなよな、つまんない。……まあいいや、今日は勝負はなしにしてやるよ」


 てっきりもっと粘ってくると思っていたけれど、昴はどうしてかあっさりと引き下がってしまった。

 思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。


「なんだよ、鳩がサブマシンガン食ったような顔して」


 なにそれ、もう死んでるじゃん。生気のない顔って言いたいのか?


「……あれ? なんか違う気がする」


 なんだ、間違えただけか。


「あ、そうか。サブマシンガンじゃなくて荷電粒子砲だったな」

「僕を消滅させる気か!」


 ちなみに荷電粒子砲はまだ架空の兵器ではあるけれど、当たれば原子から消滅する超ヤバイ兵器のことだ。どうして昴がそんなものを知っているのだろうか。

 さては僕の部屋で荷電粒子砲が出てくる漫画でも読んだな?


「というかなんで豆鉄砲が出てこなくて荷電粒子砲が出てくるわけ……、」

「あ、豆鉄砲か。もっと強い兵器にしろよって思わない?」

「別に思わないけど……。というかさ、驚いているって意味なんだから死んじゃう兵器は駄目でしょ」

「え、でも普通いきなり拳銃とかで撃たれたら驚くと思うんだけどな」

「……それはまあ、確かに」


 あれ? なんで豆鉄砲なんだ? そもそもどうして鳩なんだ? 宇宙ってなんだ? 人はどこから来てどこへ行くのか。生きるってなんだ?

 ……。

 …………。

 い、いやいや。どうでもいいじゃないか、そんなこと。


「というか、えらくあっさりと引き下がったけど、どうしたの?」

「本当はジュースでも奢って貰いつつ先輩と遊びたかったんだけどさ」


 奢って貰うって、勝つ前提かよ。いや僕が負けていただろうけどさ……。


「なんか先約がいるっぽいしさ」


 どうしてか拗ねたような表情で僕の横へ視線を向ける昴。

  そんなに僕と遊びたかったのか。可愛い奴め。……ん? というか、先約? 昴は何を言っているのだろうか。

 ちらりとある人物の顔が思い浮かぶ。

 確かに約束はあるけれど、それはいつかわからない。それに昴には言っていないはずだ。

 彼女を訝しりつつ、僕は横に視線を向けた。

 天使がいた。

 翼はなく、光輪もないけれど、彼女はまさしく今朝出会った天使だった。


「い、いつの間に」

「来ちゃった」


 ニッコリと笑いながら天使はそんなことを言った。

 来ちゃった、じゃないよ。急に現れるのやめて。

 というか、光輪と翼って消せたのか。


「先輩、いつの間に彼女なんて作ったんだよ」

「彼女じゃないよ」

「え? 彼氏?」

「そういうことじゃないよ! どう見ても女の子でしょ!」

「先輩が持ってるラノベ? によくいるだろ。男の娘ってやつ。だからそうかもなって。見た目通り女でよかった」

「あ、うん、そっか」


 僕のせいで昴に変な知識を与えてしまったらしい。反省はしない。


「でも、この子はそんなんじゃないよ」


 天使は僕の言葉に大きく頷いて、それから口を開いた。


「そうですよ、ありえないですよ。こんな変態覇王、恋人になんかしたくないです。恋人になるくらいなら悪魔になった方がマシです」


 天使のくせに酷い言いようだ。見た目が美少女な子に言われると悲しい気持ちになるのはどうしてなんだろうな……。

 ここで一句。



 なんでだろ

   どうしてなんだ

      かなしいな



 でも泣かない! 男の子だもん!

 というか、変態覇王ってなんだよ……。やばいでしょ、字面的に。


「は、ははは。面白い冗談だよね」

「冗談じゃないです」

「……、」


 そこは冗談って言ってよ。なんでわざわざダメージ増やそうとしてくるんだ。

 本当に天使なのか?


「じゃあどんな関係なんだよ」


 昴は難題を前にしたかのように顔をしかめる。僕と天使がどんな関係か、想像もできないようだった。


「友だちだよ」


 彼女を天使と紹介できるわけもなく。一番信じてもらえそうな答えを返した。

 恋人よりは数倍信じられるはずだ。


「やだな、違いますよ。わたし、この人と仲良くなんてなりたくないです」


 けれど天使はそう否定した。

 ……ちょっと、何言っちゃってんの? しかも真顔で、顔の前で手まで振って、本当に酷いことを言う。


「わたしとこの人はあれです、犬と主人みたいな」

「えっと……、」


 天使の言葉に困ったような表情を浮かべる昴。滅多に困った顔なんてしないあの昴が、だ。

 それもそのはず。だって僕だって困っているのだから。

 なんだよ、犬と主人みたいな関係って。それじゃあ僕がドMみたいじゃないか! ふざけるな! 僕はSでもMでもいける男だぞ!

 あれ? 僕って見境のない変態みたいじゃないか? おかしいな、変態じゃないはずなんだけど……。


「……わかった。先輩がバイトしてる店の店長の関係者か」


 しばらく困った表情を浮かべていた昴は、やがて一人で納得して頷いた。

 なぜそうなった。


「まあ、そんな感じです。だからこの人は恋人でも友人でもないです。そこまでの好感度はないです。むしろマイナスまで振り切っているというか……。虫のほうが好きです!」


 天使さんや、もっと慈悲深くしてくだせい。僕は心が死にそうです。


「……なんか、すっげえ嫌われてるな、先輩。なにかしたのか?」


 昴が疑うような瞳で見つめてきた。

 僕はまさかと笑おうとして、今朝の出来事を思い出して固まってしまった。

 僕はこの天使のパンツを嗅ごうとした。それってもしや嫌われる要素では?

 ……もしやも何も普通に嫌われる要素だわ。馬鹿か僕は。


「その顔は……、」

「な、なんだよ」

「先輩、警察行こうぜ。な?」

「警察にお世話になるようなことはしてないから! そんな可哀相な人に向ける目で見ないで!」

「冗談に決まってるだろ。先輩にそんな度胸があるとは思えないし。……でも、じゃあなにやったんだよ」


 ……これは優しいのか酷いのか、どっちなのだろうか。

 何もしていないわけではない。けれどそう言って誤魔化す以外にこの場を切り抜ける方法が見つからない。

 だから何もしていないと嘘を吐こうとした時、天使が口を開いた。


「この人はわたしのパンt――、」

「ちょっ!」


 天使の言葉を、僕は彼女の口を塞いで途切れさせる。

 危ないよ、この天使!

 そんな僕を不審な目で見つめてきたのは、もちろん昴だった。


「パン?」

「え、えっと……。パ、パン。そう、彼女がパンを焼いてくれたんだけど、それを僕が不味いって言っちゃって! それで怒っているんだよね。あはは」

「……あ、そう。不味いって言っちゃったのか。それはまあ、怒るのかも?」

「そ、そうだよね!」


 正直無理があるかなと思ったけれど、なんとか誤魔化せたようだった。

 ……相手が昴でよかった。


「そ、それで今から特訓に付き合うことになってたんだよ」

「ふーん……。オレも付き合おうか?」

「い、いや! 大丈夫! と、とにかくそんなわけだからごめんね!」


 僕は天使の手を引いて、昴から逃げるように走り出した。

 なに慌ててんだよ、という昴のぼやきが背後から聞こえてきたけど、気が付かないフリをしてそのまま走り続けた。

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