第二章 青と赤の少女(2)

「でも、それが本当だとしたら…、どうしてわざわざ違う名前を名乗るのかしら」

「………」

 ラスタスは押し黙る。と同時に、先ほどの自分の発言をひどく悔いた。

 シアンとマゼンタが偽名だという情報は、軍の機密に抵触しかねない。それを一般人であるシスターに漏らしたのは失敗だった。

 いやそれ以上に、シスターが双子に対して疑念を抱きかねない。それは双子を慕っているシスターの心を傷つけてしまうことになる。

―迂闊だった!

 三分だけでいい、時間を巻き戻すことができたら―!

 心のなかでぐるぐると後悔の念が渦巻く。しかしさすがのマスターも、時間を操る能力までは備わってはいない。

 ラスタスはこの後何を言うべきか、必死で言葉を探していた。なんとか怪しまれず、そしてシスターを傷つけない言葉はないものか…。心中穏やかでない中、必死で脳内の全てを総動員させる。

 しばしの時間を経て、やっと言葉が口を突いて出た。

「…おそらく…」

「ん?」

「おそらく、自分の本当の名前も思い出せないんだと思う。実際に何らかの心的外傷トラウマで、本当の記憶が脳の奥に封じ込められて、記憶喪失に似た状態になるケースはあるから」

「まあ…」

「シアン、マゼンタというのも、後から自分たちでつけた名前じゃないかな」

「かわいそうに」

 シスターは哀しそうな目をして俯く。

 ラスタスは安堵した。少し後味は悪いけれど。



 しかし、問題はこれからだ。あの双子の今後。

 セイファートの予知夢に出てきた少女ならば、軍としてあのまま教会に留めておくわけにもいかないだろう。かといって無理矢理、教会から引き離すのもどうか。それは人道に反する。

 一体どうすれば…

「…ラスタス?」

「あ…」

「どうしたの、ぼうっとして…。お茶をもう一杯、どう?」

「あ、いただきます。ありがとう」

 シスターが二杯目の紅茶を丁寧な所作で淹れているのを眺めているうちに、ふと思い出した。

 ここへ来た、本当の理由!

「あ、あの…シスター…」

「ん?」

「ミランダ…、ミランダのこと、覚えてますか?」

 するとシスターは、目が覚めたように振り向いた。

「ええ、ミランダ…!はいはい、もちろん!」

 嬉々として応えた。空気が一気に明るくなった。

「あなたが小さかった頃、ここで一緒に遊んでたわね!」

 朗らかな声色に、ラスタスもほっとする。シスターは柔らかな表情で、

「そうそう、ラスタスとミランダ…。懐かしいわね。ここで走り回ってたり、庭の手入れもお手伝いしてくれたり…」

「うん、その、ミランダだけど…」

 シスターが二杯目のカップを目の前に置いた時、ラスタスの目頭が一気に熱くなった。

「ミランダが……、」

「ラスタス、どうしたの?…ラスタス」

「ミランダが、ミラン…ダ………」

 言葉が途切れ、堰を切ったように涙がぼろぼろと溢れた。

「ラスタス?」

「……ミランダ…が…」

「何かあったの? 話してごらんなさい」

「シスター」

 ラスタスは、涙で濡れた顔をすっと上げ、シスターを見つめる。

「ミランダは、今どこに…」

「えっ」

「ミランダを…、知りませんか!」

 必死にシスターに詰め寄る。思わず声が荒くなる。

「ミランダ、ミランダがいないの!」

「ラスタス!」

 そのとき、ラスタスはシスターに抱きしめられていた。 

「……」

「落ち着いて…。大丈夫、大丈夫だから」

 優しい声で語りかける。

「大丈夫だから…」

 シスターは優しく語りかける。

「よかったら、話してごらんなさい」

「私のせいで……ミランダが…」

 ラスタスは、今までの一部始終を語り始めた。訥々とつとつと、弱々しい声で。


 軍の作戦により、隣国の主要マスターを攻撃し、能力を無力化させたこと。

 そのマスターの中に、ミランダも交じっていたこと、

 そして今なお、ミランダが行方不明なこと…


 全てを語り終えたとたん、ラスタスはシスターの胸に顔を埋め、泣いた。まるで子が母を頼るかのように。

「うっ…うう…」

 シスターは震えるラスタスの背中を、宥めるようにさする。

「辛かったでしょう…」

「……」 

「大丈夫、あなたは何も悪くない。安心なさい」




 涙も乾き、心も落ち着いてきた頃、ラスタスは再び尋ねる。

「ミランダの行方は…」

「いいえ、残念だけど…」

 シスターは力なく目を伏せる。

「ごめんなさい、わたしもミランダが、まさかマスターになっていたなんて思ってもいなかったから」

 ラスタスは慌てて、

「いえ、そんな、とんでもありません! もしかして中立地帯フィールドにいるんじゃないかと、シスターを訪ねているんじゃないかと思って…」

「そう…。でもここへは来てないし、中立地帯フィールドにマスターが潜伏しているという情報も聞かないわね」

「そうですか…」

 すっかり気落ちするラスタスを、シスターは励ます。

「大丈夫、きっとミランダは元気にしていますよ」

「シスター…」

「手がかりがあったら、すぐに連絡しますね。わたしもミランダのことは気になるから…」

「ありがとうございます」

 お辞儀をして出ようとするラスタスを、シスターは呼び止め、

「何かあったら、いつでもここへ来なさい」

「シスター…」

「ここはいつでも、あなたのために門を開けていますよ」

「はい、ありがとうございます!」

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