第一章 マスター(6)
ラスタスはゆっくりと、夢の内容を話し始めた。少女の夢の話を、できるだけ正確に。
彼女の言葉を目を伏せながら聞き入っていたセイファートは、紅茶を一口含むと切り出した。
「実は…、」
視線の色が変わった。
「…わたしも、少女の夢を見たのです」
「ほんと?」
ラスタスは思わず身を乗り出した。と同時に、不思議と期待めいた何かが、ラスタスの中で踊った。
「ただ、あなたが見たのとは少し違います」
「というと?」
「あなたの夢の中の少女は、ひとりでした。しかし… わたしが見たのは、ふたりでした」
「ふたり!」
「はい」
セイファートは押し黙り、しばらくティーカップの中のアールグレイを見つめる。前髪の間からわずかに覗く目は、長い睫に縁取られていて、どこか中性的で、ラスタスは何故かどきりとしてしまう。
しばしの静寂が流れ、再びセイファートが静かに切り出した。
「ラスタス、あなたが見た少女の、髪の色は?」
「ええと、よくわからなかったけど、多分…、黒かな」
「夢には、色がついていましたか?」
「ううん」
「灰色とか?」
「うん…、それに近いかも。というより…無彩色、かな」
「そうですか。わたしには、赤と青が見えました」
「えっ、それって、女の子の髪の色が?」
「実際の髪の色かもしれませんし、また別のことを示しているのかもしれません」
「というと?」
「本当の色ではなく、単なる…、いえ、何らかを示唆するイメージである可能性もあります」
「イメージ…」
「はい。ただ今回は、私の夢にしては、かなり鮮明な方です」
「ということは、赤と青の髪の子?」
「その可能性が高いです。服の色、かもしれませんが」
「……」
ラスタスはただただ驚愕し、黙るしかなかった。ここまで細かな特徴を予知できるのは、軍でもセイファートだけだ。その供述を、いま、ラスタスは初めて聞いているのだ。それも一対一で。
「これはバルジ元帥にしか話していません。あなたが、二人目です」
「わたしと、元帥だけ?」
「はい」
「ラスタス、これは…」
「うん。極秘事項で」
再びラスタスの胸が高鳴った。限られた者との「秘密」の共有は、なぜこうも心躍るのだろう。
一瞬、目線を空に移した。遙かな青がどこまでも高く澄んでいる。昂揚感が胸の中に広がっていった。と同時に、セイファートの夢にますます興味が湧き、もっと詳しく聞いてみたくなった。
「でね、セイファート」
「はい」
「どう思う? その、見た夢について…」
ひと呼吸置いて、
「…その、もっと詳しい見解を」
もしかしたら失礼なことを言ったかも、と思いつつ、マスターとして聞かずにはいられなかったのだ。もしかしたらその少女らは、近い将来、自身が相対する人物かもしれない。
「…」
セイファートは再び指をパチリと鳴らす。今度は先ほどより大きめの、焦げ茶色をした円筒形のカップが現れた。やがて力強い強い香りが漂う。珈琲(コーヒー)だ。と同時にラスタスは少しだけ、先ほどの発言を後悔した。
「今の段階では、さすがに何とも…。一応、バルジ元帥に報告したのもそこまでです」
セイファートは、さらりと受け流す。
「そう…」
やはり、これ以上訊くことはできないか。
「推測だけで判断するのは、危険ですから」
「確かに」ラスタスは頷いた。
「じゃあ、今セイファートが言えるのは、少女がふたり、そして、赤と青であることの二点だけ…ということでいい?」
「そうです。ラスタス、紅茶をもう一杯、いかがですか」
「ううん、ありがとう」
「では、そろそろ下りましょうか」
セイファートは再び片腕を高く上げると、その場は一気に急降下し、雲を割り、地平線を割り、建物を割って…、気がつくと、元のラウンジに戻っていた。
ラウンジは静寂に包まれていた。
人は既におらず、所々ダウンライトの淡い光が寂しげに灯っている。大きく取られた窓の外は夜の帳が下り、かすかに星さえも臨むことができた。
「あ、もう閉まってる」
ラスタスは目を丸くした。つい先ほどまで居た”フライング・カフェ”は、あんなにも青空が広がっていたのに。
「帰りましょう。じきに消灯時間です」
「ん」
セイファートに促され、ラスタスはラウンジを後にした。
宿舎までの道のりを、ふたりは並んでゆっくり歩く。
「セイファート、今日はありがとう」
「いいえ」
「あなたと私の夢、似たようで違っていたね…」
「そうでもないですよ」
「え」
「わたしの予知能力も百パーセント完璧というわけではない。もしかしたら、あなたの方が的中しているかもしれません」
「まさか!」
「いいえ」
セイファートはどこともなく空中に目を泳がせ、独り言のように呟く。
「―実際は、そのときになってみないと判らない。予知が正確だったかどうか実際に諮(はか)ることができるのは、何もかもが過ぎ去った後からです」
「……」
「真実というものは、過去と現在にのみ存在するのです。未来にはまず在り得ない。そんなものですよ」
ラスタスには意外にも思える言葉だった。今まで数々の未来を予知していたセイファートにしては弱気だ。あるいは自嘲にも聞こえる。
いや、優秀なマスターだからこその言葉だろう。それだけにずしりと重くも感じた。
「ラスタス、あなたの夢の件、一応バルジ元帥に報告してもよろしいですか」
「えっ!でも…」
「情報は少しでも多い方がいい。ましてやあなたは特Aです」
「関係ないって!」
ラスタスは焦って、
「実はね、あたしこの間メレットちゃんに測定してもらったんだけど…」
「メレット? ああ、医療チームの」
「うん。で、診てもらったら、予知能力のレーティングE…だった…し…」
「しかしわたしの夢と似通っている部分は多い。一応、報告だけはしておきたい」
「わかった…。役に立たないとは思うけど」
ラスタスはますます恐縮して肩をすくめた。
「そんなことはないですよ。では、これで失礼」
「うん、ありがとう」
宿舎の手前で、ふたりは別れた。
しばらく歩くと、目の前に人の影があった。それは近づき、ラスタスの目の前で止まった。青白い街灯の下で彼が誰かを認めたとき、胸がどきりとした。
「ゼア…!」
「ラスタス」
なんだろう、この気まずい雰囲気。それを察したかのように、
「セイファートと何してたの」
ゼアの言葉が突き刺さる。やましいことはないとはいえ、どうもタイミングが悪い。
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