第一章 マスター(5)

 それは、自然な目覚めだった。

 まぶたを開けると、ぼうっとした薄明かり。すぐ目の前には天井。妙なこの圧迫感。すぐに察した。

(ああ…、測定していたんだっけ)

「お疲れ様でした。今からカプセル開けますね」

 明るいメレットの声がした。しばらくして天井がゆっくりと開き、辺りが一気に明るくなった。思わず目を細める。半身を起こし、腕を伸ばして伸びをし、身体が目覚めるのを待つ。

「うーん…どのくらい寝てた?」

「はい、二時間と七分です」

「そんなに!」

「疲れていたんじゃないですか?」

「そうかも…。あっ!」

 ラスタスは、検査の目的を思い出し、

「ごめん、夢…、見なかった」

「あ、それは大丈夫です、先輩。もうすぐ結果が出ますので、こちらでお待ちください」

 メレットは笑顔で、ラスタスをカウンセリングルームへ促した。

 コンピュータのモニタを見ながら、メレットは告げる。

「ラスタス先輩の結果ですが―」

「…うん」

 思わず息を飲む。

「―検査の結果、予知能力を発動するための脳波は見受けられませんでした…」

「というと?」

「予知能力はほぼ、皆無に等しいです…。レーティングで言うと、E…ですね」

「戦力外、か…」

 ラスタスは苦笑し、ため息をついた。

「すみません」 

「メレットちゃんが謝ることないって。 私も全然期待してなかったんだし。むしろほっとした」

「えっ」

「下手に予知能力頼られたら困るもん。Eの方が楽!」

 二人は笑い合った。その場の空気が一気にやわらかくなった。

「それに…、予知能力はセイファートの専売特許みたいなもんじゃない?」

「セイファート…」

 名前を聞くなり、メレットの顔つきが変わった。「そういえばこの前、セイファートのレーティング、測定しました。予知能力の」

「うそ!」

 ラスタスは身を乗り出し、

「それって、結果とか見られる?」

「待ってください…」

 メレットは再びコンピュータに向かい、慌ただしくキーボードを叩く。そして、神妙な顔つきでラスタスの方に向かい、

「ラスタス先輩、あの、守秘義務がありますので―」

「わかってる。二人だけの秘密ね。大丈夫」

 ”二人だけの秘密”という言葉に、なんだかくすぐったいものを感じて、お互い頷いて微笑む。

「ええと…、脳波測定による予知能力のレーティングはA、これは我が軍でもセイファートだけです」

「うん」

「予知の的中率は、現在のところ九十五パーセント以上」

「そんなに!」

「はい。例えば…、最近の例でいうと、フォーマルハウト軍のマスターの一時無力化…」

「……」

「作戦が実行される二十一日前に、その模様はセイファートの夢に表れています」

 ラスタスは凍り付いたように動かなくなった。

「それって、私が実行したということも…」

「はい。人選、実行の時機、そして結果。全てセイファートの予知通りです」

 ラスタスは黙り込んだ。自分が関わった作戦は、予めセイファートによって示されていたという事実に、畏怖にも似た感情が湧き上がってきた。

「ラスタス先輩の手柄が大きいですよ!今回の件は」

「でも、でも…すごい」

「先輩…」

 心配そうに見つめるメレットに、気丈に応える。

「あ…うん、大丈夫。確かに、予知能力を持つマスターって軍には必要な人材だし、戦略的には心強いよね」

 ラスタスはにっこりと微笑んで立ち上がる。

「今日はありがとう、メレットちゃん」

「いいえ、また何かありましたら、いつでも来てください」

「うん…、あ、今度何かおごってあげる。”フライング・カフェ”で」

「本当ですか? うれしい!ありがとうございます!」

 メレットの表情が、ぱっと花開いたように明るくなった。 


 医療棟を後にしてから、宿舎に戻るまでのラスタスの足取りは重かった。

 ぼうっと青空を見上げながら物思いに耽る。

 セイファートのことだ。

 自分が他人の夢の中に出てきて、それが現実と化す― 考えてみれば恐ろしいことだ。戦慄さえ覚える。

(セイファート…)

 心の奥にひやりと冷たく、重いものがわだかまった。


 その夜、ラスタスの夢の中に再び、例の少女は現れた。

 いつものように屈託のない笑顔を広げ、明るい声で挨拶をし、そして軽やかに去っていったのだ。


 司令棟の奥まった一室。

 普段は殆ど人を寄せ付けないこの部屋に、一人の青年が向かっていた。

 ウエーブの掛かったやや長めの髪。前髪の間から、針のように細い眉と、鋭い目が覗いている。柳のようにすらりと、しなやかな体つきは軍人に似つかわしくないほどだ。

「失礼します」

 ノックしてドアを開けると、奥に座っているのはバルジ元帥。

「おお、セイファート、待っていたぞ」

 セイファートはバルジの前に進み出ると、敬礼する。

「どうだ、最近は」

「はい、早速ですが」

 抑揚のない声で報告する。

「”夢”を、見ました」

「ほう…、どのような」

 セイファートは一呼吸置いて、

「少女の夢です」

「…少女の夢?」

「はい」

「それはまた。いったい何を意味するのかね」

「今の段階ではなんとも…。でも、わたしの夢にしては鮮明なほうかと」

「それは、かなり”予知”に近いと」

「そうかもしれません」

「ふむ…」

 バルジは目を閉じ、しばらく考え込んでいたが、

「詳しく聞かせてくれないか、セイファート」

「はい。その前に」

 セイファートはバルジの卓に近づき、声のトーンを落とし、囁くように、

「失礼ですが…、お人払いを願えますか」

部屋にはふたりのほか、誰も居ない。しかしバルジはうなずき、

「わかった」

 バルジは目を瞑り、すっ、と右腕を上げる。しばらくして腕を下ろし、目を開ける。

「この部屋にガードを張った。我々の会話は外部に漏れることはない。また、テレパシーで探られることもない」

「ありがとうございます」

「相変わらず用心深いな。まあ、続きを」

「はい―」


 軍ではずば抜けた予知能力を持つセイファート。その能力は数々の戦術に生かされてきた。先のラスタスの「フォーマルハウトのマスターの無力化」作戦も彼の予知が発端となって行われたものである。

 また知略にも長け、今はシンクタンクの一員となっている。それどころか、元帥に直接助言出来るまで上り詰めているのである。


 それから数日後の朝。

「また見ちゃったよ…」

 カーテン越しから差す、鋭い朝日に急かされると、ラスタスは気だるそうに寝返りを打ち、サイドテーブルの上ですでに目覚めているぽんちゃんに話しかける。

「ピ?」

「女の子の夢。また同じ女の子…」

 ラスタスは溜息をつき、

「ねえ、どう思う?」

 ぽんちゃんはじっとラスタスを見つめ、小首を傾げた。ラスタスもじっと、ぽんちゃんのふわふわとした毛で覆われた小さな体を見つめる。しばらく見つめ合っているうちに、次第に可笑しみが湧いてきて、お互い、同時に吹き出す。

「ぷっ、ふふふ…」

「ピピピ…」

「ははは………あっ!」

 弾かれたようにラスタスが身を起こす。

「ピ?」

 びくっと跳ね上がるぽんちゃん。

「もしかしたらわかるかも!」

 先ほどの気だるさから一転、ラスタスはベッドから飛び降りた。


「失礼」

 ラウンジにて待つラスタスの向かいに、ひとりの青年が座た。ラスタスは顔を上げる。

「お久しぶり」

「こちらこそ。特A、おめでとう」

「ありがとう」

 ラスタスは軽く会釈し、

「セイファートの作戦のおかげです」

 ラスタスは、セイファートの前髪から覗く目を見つめる。

 一見穏やかにも見えて、何を考えているのかわからないような視線。共に歩んできた同胞のひとりではあるが、セイファートに対して、目に見えない畏れのようなものを感じて、ラスタスは無意識のうちに警戒してしまう。しかし今回ばかりは、そうも言っていられない。


 ラスタスは一呼吸置き、思い切って訪ねる。

「セイファート、今日、呼んだのは…」

「夢のことですか?」

「え」

 いきなり核心を突かれ、どきりとする。

「いや、そうではないかと思っただけです。あくまでもわたしの推測です」

「……」

 セイファートはあたりを見回す。ラウンジには数名のマスター達が歓談していた。

「”空”へ行きましょうか」

「えっ、空?」

 戸惑うラスタスをよそにセイファートは右手を掲げ、パチン、と指を鳴らす。

 すると、みるみるうちに二人の席だけが浮き上がり一気に上昇し、建物の高さを超え、森を越え、雲を見下ろす高度で止まった。

(これは!)

 ラスタスは目を丸くした。まさかセイファートに連れて行ってもらえるとは思わなかったからだ。


 ー”フライング・カフェ”―

 そこは、名前の通り空の上に浮かぶカフェ。

 天には、果てしなく抜ける青空、眼下はどこまでも広がる雲海。

 マスター、それも能力を使ってここまで飛べる優秀なマスターだけが利用することができる、特別な異空間。


 丸い目をますます丸くして固まるラスタスを見て、セイファートはくすりと笑う。

「ここは、初めてですか?」

「いや…二回目」

「ゼアと?」  

「えっ…」

 ラスタスは焦って首を振り、

「ううん…昔、友達と一度だけ…。でも何年ぶりかな…」

「それはいい」

 セイファートが再び指を鳴らすと、テーブルにティーセットが現れた。カップには既に紅茶が注がれている。漂うのは、アールグレイの濃厚な香り。

「これ以上の場所はない。お互い、腹を割って話そう」

「うん」

 ラスタスは頷く。ここまできたら、セイファートに助言を求めるしかない。いや、そのためにわざわざ会ってもらったのだ。

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