第一章 マスター(4)

 そのとき、背後から明るい声がした。

「お久しぶりです、先輩!」

 びくりとして振り向くと、明るい笑顔がそこにあった。

「トレミー!」

 ゼアの顔が一気にほころんだ。

「久しぶりだな。調査は大丈夫だったか」

「はい、フォーマルハウト軍に動きはありません。ラスタス先輩のおかげです」

 トレミーというその青年―というにはまだ若いほうだが―もまた、同じマスターのひとりだった。

 褐色の短い髪が、童顔を一層際立たせている。彼の胸に光る徽章は、赤銅色に輝いていた。

「先輩、今日はお一人ですか」

「さっきまでラスタスがいたんだけど、帰っちゃったからな…。トレミー、ラウンジ付き合うか?」

「喜んで!」

「酒はダメだぞ、おまえまだ未成年だからな」

「わかってます」


「ラスタス先輩が特Aもらったって本当ですか?」

「知ってたのか」

「周りでもう噂になってますよ。バッジの色は? 金以上に何かあるんですか」

「ええと、何色かな…、透明…かな」

「透明?」

「ダイヤモンドだ」

「すごい…!」

「そうだな、すごいな…」

 ゼアはやや上の空で、何杯目かの酒を呷る。

「確かに、その功績はあると思いますよ! 僕がフォーマルハウトの偵察へ行っても、あっちのマスターたちは目立った様子がありませんでした。テレパシーも弱まっていたみたいですし」

「そうか」

「はい、今は平和です」

 浮き立つトレミーの声をよそに、ゼアはぽつりと呟いた。

「今は…な」


 一方、自室へ戻ったラスタスは、胸の徽章を外すと、テーブルの上にそっと置いた。

 早速ぽんちゃんが傍に駆け寄り、丸い目を更に丸く、大きく見開いてじっと見つめる。初めて見る透明な光に吸い込まれるかのように。

「ぽんちゃん、今日はいいことがあったの。綺麗でしょ? ダイヤモンドだって!」

「ピ!」

 ダウンライトの下でより一層輝きを増すそれは、ラスタスの昇進を祝福しているかのようだった。

 ラスタスは、ふと先刻のゼアの反応を思い出した。

「ねえ、ぽんちゃん?」

「ピ?」

「…男の人って、やっぱり出世とか気にするものなのかな?」

 ぽんちゃんは、首をかしげるような仕草をした。そんな仕草が可愛らしく、いじらしくもあった。


 その数時間後。

 眠るラスタスの意識の中、彼方で凛とした声が響いた。

「……こんにちは……。こんにちは…!」

「?」

 女の子の声。それも初めて聞く声。

「こんばんは」

 これは夢か、それとも幻聴か。息を詰めて警戒する。

 しかしその声に邪気は無かった。鈴の音の鳴るような可愛らしい声。むしろ耳に心地いい。

「こんばんは!」

 おずおずと目を開けると、ベッドの傍に少女が立っていた。

「…!」

 突然の闖入者に身体が強ばる。

 何故、夜分に女の子が? それも自分の部屋に、いつの間に…!

 その姿をよく見ようと、恐る恐る体を起こす。手を伸ばそうとしたが、腕が金縛りにあったかのように動かない。

 警戒するラスタスとは裏腹に、幼気いたいけさが残るその少女は、丸い大きな目をくるくると動かして、朗らかな笑顔を投げかけている。何か言葉を返そうとしたが、声が出ない。口の中が乾く。

 必死に喉を絞り出し、やっと口をついて出たのは、自分でも聞き取れないような、か細い声。

「………誰……」

 その少女は五、六歳くらいだろうか。暗闇に紛れていたが、ワンピースを着ているらしいことはわかった。そして、しっかりと見つめる大きな眸。

「またね」

「え…?」

 動くことも、言葉を返すこと出来ないまま眺めているうちに、少女の姿は次第に闇に混じり、消えていく。

「えっ……ちょっと…、ちょっと待って…!」

 はっと目が覚めた。

 先ほどの暗闇とはうって変わって、窓からやわらかな朝の光が差し込んでいた。

「夢…」

 ため息をついた。額に汗が滲んでいた。


 その後、何度も少女は夢に現れた。

 いつも可愛らしい声と笑顔で、ラスタスに挨拶しては去っていくのだった。


「子どもの夢?」

 ゼアが目を丸くする。

「うん…ここんところよく見るの」

 いつものラウンジで、ラスタスが打ち明ける。

「へえ…」

 ゼアは興味津々だ。

「ラスタス、予知能力のレーティングは?」

「えっ」

「予知能力がそういう夢を見させたのかもよ」

「予知ねえ…」

 ラスタスは複雑な表情でコーヒーを口にする。

「…ん…、前のテストではEだった…。関係ないんじゃない?」

 レーティング「E」とは、一般人程度の能力であり、マスターとしての能力は皆無に等しい。軍では戦力外扱いとなる。

「大体うちの軍で予知能力がある人なんて、ほとんどいないじゃない。あ、セイファートが…彼くらいだっけ?」

 "セイファート"の名前を聞いて、ゼアの表情が少し曇った。

「…ラスタス、一度本気で測ってみたらどうかな」

「予知能力を?」

「もしかしたら、セイファートを超えるかもしれないよ」

「まさか!」

「だって特Aだろ?」

「関係ないって」

「いや、俺は測るべきだと思う。もしかしたら夢の意味も判るかもしれないし」

「そうかな?」

「そうだよ、受けてみなよ!」


 数日後。

 ラスタスは予知能力のテストを受けるため、施設の医療チームを訪れた。

 施設内の宿舎からほど近い場所に、その医療棟はあった。荘厳な白亜が青空に映えている。

 ここは、マスターたちの体調管理はもちろん、基本的な身体能力のみならず、マスターとしてのいわゆる”超能力”を測定する、軍にとっては重要な機関である。個々のレーティングもここで決定されるのだ。

(ああ、久しぶり…)

 久しぶりに足を踏み入れたラスタス。口の中が乾いているのを感じる。嫌が上にも緊張してしまう。

 ガラス張りの重いドアを開けると、やや小柄な少女が出迎えてくれた。

「ラスタス先輩、特Aおめでとうございます!」

 その笑顔と朗らかな声に、ラスタスの緊張が一気に解けた。

「メレットちゃん、久しぶり!」

 ラスタスが着ている軍服よりも一回り淡い、空色の軍服。医療チームの証である。

 セミロングの髪はトップで纏めてある。丸い顔には円い眼鏡が掛かっており、レンズの奥からは、黒メノウのような大きな目がのぞいている。

 入隊した当時から、メレットは、ずば抜けた能力を持つラスタスを尊敬していた。それは医療チームに配属されてからも変わらなかった。またラスタスもそんなメレットを、「メレットちゃん」と呼んで可愛がっていた。

 幼い頃から天涯孤独の身だったラスタスにとって、メレットはまるで妹のような存在だった。

「特Aってすごいですよ。うちのチームでも前代未聞です」

「そうなんだ…?」

 ラスタスは少々照れくさそうにはにかんだ。

「ラスタス先輩、今日ここへ来たのは、なにか?」

「あのね…」

 ラスタスは詳細を語り始めた。


「そうですか…」

 メレットの表情は、先ほどまでの無邪気さとはうって変わっていた。医療チームの一員としての、真剣な表情。

「では、簡単なカウンセリングから始めましょう。ここへお座りください」

「あ、はい」

 ついついラスタスの口調も丁寧になる。ここでは先輩と後輩の関係ではない。軍医と、そのクライアント。

 ラスタスは丸い椅子に座り、メレットと向かい合った。

「…子どもの夢ですね。どのくらいの頻度で?」 

「週の半分は…。三回くらい? もっとあるかもしれない」

「どんな子どもですか?」

「目が大きくて、髪の毛はちょっと長くて…肩くらいまで…。うん、とっても可愛い子だった。あ、」

 ラスタスは笑顔を浮かべて、

「ちょっと、メレットちゃんに似てるかも」

「え、そうですか?」

 メレットの表情が緩んだ。一気に空気が穏やかになった。

 和んだ雰囲気の中、カウンセリングは続く。

「その夢は、色が付いていましたか?」

「色…」

 ラスタスはしばし考えて、

「はっきりした色は付いてなかったような…。かといって、白黒という感じでも…」

「セピア色とか?」

「いえ、単色というわけではないし…なんと言っていいのか…」

「彩度が低い感じ?」

「ああ、…うん、それが合ってるかも。少なくとも鮮やかな感じではなかった…」

「わかりました。では、次に…」


 数十分のカウンセリングを経て、メレットは立ち上がった。

「先輩、お疲れ様でした。これから測定に移りますので、こちらへどうぞ」

 メレットに案内されて入った部屋は、薄暗かった。そこには大きなカプセルが置かれていた。マスターはこの中に入り、予知能力の測定をするのだ。ラスタスも何度か経験ずみだ。

「メレットちゃん、この中で夢を見るのよね」

「はい。見るのが一番ですけど、見なくても大丈夫ですよ」

 ラスタスはカプセルの中で横たわると、そのままゆっくりと眠りについた。

 別室でコンソールのパネルを凝視するメレット。

 何事もなかったように見つめていた。しかし、しばらくすると、眼鏡の奥の目がくるりと動いた。

「あれ?これは…」


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