第一章 マスター(3)
翌日。この日は休暇である。
ラスタスは休暇にしては早めに起き、ぽんちゃんと一緒に朝食を摂り、シャワーで身体を清めると、宿舎を後にした。
守衛より外出許可を得たラスタスは、施設を出て歩き出した。
広大な大地の中、ゆっくりと歩を進める。マスターとしての”力”を使うことなく、自らの足で踏みしめる土の感触。心地いい。
昨日とはうって変わって、空は一点の曇りもなく晴れ渡っている。降り積もっていた雪は既に溶けて、あちこちに青い草が芽吹いていた。もう春も近い。
途中、鬱蒼と茂る森の中をしばらく歩く。十数分歩いたところで、急に視界が開けた。
青い芝生で固められた広場。その中心に、ぽつんと白い建物が佇んでいた。
木を組み上げられて造られた、三角屋根の小さく素朴な建物。その前に立つと、ラスタスはゆっくりと扉を開けた。
やや暗い室内には、長椅子が並んでいる。天井は高く、奥の壁にはステンドグラスが施されている。小さな外観からは想像もつかないほど、そこは荘厳な空間であった。
程なくして奥から、白い衣を纏った初老の女性が出迎えた。
「久しぶり!ラスタス」
「お久しぶりです、シスター・フレア」
「忙しいでしょうに... 嬉しい」
「すみません、本当は毎週、いえ毎日でも行きたいところなのですが、ずっと任務が…」
「いいえ、あなたのその気持ちがうれしいのですよ」
ラスタスは恥ずかしそうに目を逸らし、ステンドグラスを見上げた。色とりどりの硝子が組み合わされたそれは、太陽の光を受けて明るく、そして神秘的に輝いていた。
「わたしは軍人ですから…、いつこの世から去るかもわからない身なんです。今ここに、こうして生きているだけでありがたいのです。だからわたしはここでお礼を言うのです」
そしてシスターの目をまっすぐに見つめる。
「生かしてくださってありがとう、って」
ラスタスの母親代わりとも言うべきシスター・フレアは微笑むと、そっと肩に手を乗せた。
「あなたに、神のご加護がありますように」
ラスタスは、自分が教会に通っていることを軍の誰にも告げていない。別に隠しているわけではないが、ラスタスにとって心の安寧が得られるこの教会は、秘密にしておきたい、とっておきの場所とも言うべきところだった。
こうして祈りを捧げられる日が、ずっと長く続きますように― ラスタスはそう願うのだった。
祭壇の前にひざまずくと、ラスタスは両手を合わせ、祈りを捧げる。
そんなラスタスを、シスターは静かに見守る。幼い頃から育ててきたシスターにとって、ラスタスは自分の子どもも同然だった。
いつまでも、彼女がここに来られますように―。シスター自身も祈りを捧げる。
「ありがとうございました」
シスターに頭を下げ、去ろうとしたラスタスを呼び止める。「ラスタス…」
「はい?」
「…次は、いつ来られますか」
ラスタスは静かな笑顔で、
「また近いうちに、必ず…」
清々しい気持ちで施設へと戻り、宿舎へ入ろうとしたラスタスの目の前に、突如ゼアが現れた。
「ラスタス、ラスタス!待って!」
「ゼア、どうしたの」
急いで走ってきたらしい。荒い息で、
「今すぐ司令棟へ行け。元帥がお呼びだ」
「元帥が…!」
司令棟の奥まった部屋の、重厚な扉を開ける。
「失礼します」
「おお、ラスタスか、待っていたぞ」
そこに居たのは、恰幅の良い男。
バルジ元帥。彼もまたマスターであり、かつてはラスタス同様、国防に貢献してきたひとりである。
現在は元帥として軍の統括に辣腕を振るっている。優秀なマスターであると共に、優秀な指揮官でもあるバルジは、多くのマスターの尊敬と人望を集めている。
そんな軍のトップより呼び出しを受けたのだ。嫌が上にも緊張する。
ラスタスの気持ちを察したのか、笑顔でバルジは切り出した。
「休みなのにすまないな」
「いえ」
「まずはこのたびの任務、ご苦労であった。君の働きがあってこその作戦成功だ」
「恐縮です」
「これでフォーマルハウトには攻められまい。しばらくは安泰だな」
ラスタスの気持ちが幾分和らいだ。
「ところでラスタス、君のレーティングはAだったな」
「はい」
「今回の手柄に応じて、君に特Aを与えよう」
「…特A!」
ラスタスは目を丸くした。
「わたしに特Aなど…、よろしいのでしょうか」
「もちろん。いや、君は特A以上にも値する」
「身に余る光栄です」
特A―それは軍において最高クラスの栄誉である。
少数精鋭のこの軍には、統括する元帥以下に特に階級はない。各マスターの持つ能力と実績に応じてレーティングが与えられる。その最高はAであり、基本的にその上は存在しない。
ラスタスはそれを更に上回るランク付けをされたわけである。
ラスタスの胸が一気に熱くなった。
「辞令だ。受け取りたまえ」
バルジが拳を握り、ラスタスの目の前に差し出す。
しばらくして指の隙間から光が漏れた。ゆっくりとその手を開くと、小さな光の玉がふわりと浮き上がり、ラスタスの胸に飾られた金の徽章めがけて飛び込んできた。徽章は閃光を放ち、一瞬にしてまばゆい透明へと色を変えた。
「…!」
目を丸くして胸元を見つめるラスタスに、バルジは微笑む。「驚いたか?」
「元帥、これは…」
「ダイヤモンドだ」
「…ダイヤモンド!」
「今までの君のレーティングはA、徽章は金だったな。今回特Aのとして特別にダイヤモンドを作った。君だけの特注品だ」
ラスタスは恐縮して、
「しかし、あの……、わたしには勿体ないです」
「そんなことはない。これは君にとっての勲章だ。今後はそれに見合うように更に頑張ってくれたまえ。頼んだぞ」
「…はっ…はい!ありがとうございます」
ラスタスは敬礼し、深々と頭を下げた。
「ダイヤモンドか…!」
施設内のラウンジで、ゼアは手に取った徽章を見つめる。「うん…ダイヤモンド」
「すごいな……」
幾重にもカットが施されたそれは、カウンターの淡い照明を反射してきらきらと輝いている。まるでラスタスの出世を祝うかのように。
最高の素材で作られた、特別の勲章。
「ラスタスさん、どうですか? 今の気分は」
ゼアが興味津々に訪ねる。
「どうって…」
徽章を胸に付け直しながら、ラスタスは抑揚のない声で、「別に…特に…」
「嬉しくないの?」
「…ううん、もちろん、自分の任務が認められたのは嬉しいけど」
ラスタスはしばらく口を噤む。
「…かといって、今までと生活が変わるわけでもないし、これからもマスターとして、国のために尽くして…」
「尽くして…?」
「尽くして、尽くして…、ああ、わからなくなっちゃった」
「実感が湧かないとか?」
「あ、そうそう、そうかも」
異例の出世にも、思いの外あっさりしたラスタス。ゼアにとっては少々拍子抜けだった。
「ラスタス、もう少し喜ぼうよ。最高のレーティングだよ? トップの名誉を手に入れたんだよ? もっと誇りにしていいんだよ?」
「喜んでるって!」
「ならいいけど」
「もう寝るね、おやすみ!」
ラスタスはすっと立ち上がると、ラウンジを後にした。
ひとり残されたゼア。
頭(こうべ)を垂れて俯き、自らの胸元を見つめる。そこに輝く徽章は、金でもダイヤモンドでもなく、銀。
それは先ほど見惚れた透明の輝きではなく、ジュラルミンのごとく鈍い光に見えた。
「二階級も離されたか…」
ゼアは苦笑いし、溜息をついた。
士官学校より苦楽を共にし、同じ釜の飯を食べてきた同胞である、ラスタス。
彼女を誇りに思うと共に、ゼアは、相反する寂しさを覚えた。
自分が置いて行かれるような気がして。
ラスタスが、より遠い存在になっていくような気がして。
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