Code_8『歴史』田中哉汰
歴史は巡る。
例え変化を望んでも。
運命に抗(あらが)い自身の未来に臨んでも。
それは矛盾の中。
歴史など語るに不要。
私は観る者、語る者に非ず。
薄暗く広い空間、山と積まれた夥しいほどの書物。
その部屋の中心にいるのは黒い安楽椅子に腰かけた白い青年、ただ一人。
白装束に白い綿入羽織を纏い、髪も肌も消えてしまいそうなほどに白い。
触れれば消えてしまいそうな印象の彼は、手にしていた書物を力なく床に落とす。
本は床に落ちるとすうっと溶けるように消えていった。
「……暇だな」
彼はふうっと天井を仰いて息を吐いた。
彼は大層長い間、膨大な時間を持て余していた。
肘掛けに頬杖をついた彼の白く細い腕を銀の腕輪が滑る。
腕輪には細い鎖が付いており、それは長く伸びて本の山と暗闇の淵に消える。
思いを馳せるのも億劫になるほど昔から、青年はこの空間に一人囚われている。
そしてここで此岸、彼岸のあらゆる知と起を貪る日々を過ごしているのだ。
「まっじで、ヒマ」
透き通る声で憂鬱を宣う彼の名は、今の世では田中哉汰という。
年寄りの割に今時の名だと思うだろう。
しかし世の節に名を変えるのは使者の嗜み。
韻や字を変えても名の意味は変わらない。
彼の最初の名は、もう音にすら成らない。
哉汰は安楽椅子から立ち上がると何か面白い本はないかと近くの山に手を伸ばす。
引き抜いた本【□□■□】という題の本だった。
興味は……無いジャンルだったのだろう。
苦い顔をして山に戻そうと試みるが、山が揺れてうまく積めない。
観念してページを開くと、いつか見たような内容にうんざりとした表情を作る。
「これ、前にも詰んだヤツ。はぁ、読みたくない」
しかしここにある本は読み潰さなくては無くならない。読むことを止めようものなら一刻一刻増える書物に居場所を奪われてしまうから。
そう、ここでは自身の存在を賭けて永遠のテトリスをしているようなものだ。
「ばっよえーん」
いや、ぷにょぷにょ派だったらしい。
哉汰は呪文を唱えると一瞬で持っていた書を浚い、読み終えた本を天高く放り投げた。
すうっとどこかに消えた本。
哉汰は一つ解釈に触れ、また溜息を吐いた。
あの本も、最後には神に赦しを乞うて終わった。
「神よ、まーたお前か」
哉汰は幾度もテーマとされる神という単語が苦手だった。
集合知によって組み立てられ、個人の解釈で解かれる神。唯一神さえ万人で解釈は様々なのは「人」がいつまで経っても「神」を認めないからだろう。
ある者は言う。
精神と言う名の如く、神は自身の心の中に居るのだと。
またある者は言う。
神を信じるとは自身の外にある自身を信じることだと。
身近に在って、不可視の精神。
それらが神を示す言葉なら、なかなか筋がいい解釈。
彼らはきっと魂を分かつ『書記』や使者たちを神と等しいものと思っているのだろうから。
だが、もしもそうなら、ちょっと夢を抱き過ぎな節もある。
使者は万能ではないし、いわゆる神のように個人の都合を救ったりしないものだ。
使者の使命は流れを絶やさないこと。個々人で色んな思いはあるだろうが、突き詰めればその一点に尽きる。
「……ふんふん、ふーん」
鼻歌混じりに哉汰は一冊、また一冊と読み終えた本を床に落とす。
何故いきなりこのような事を論じたのかと問われれば、暇を患い戯れただけだとしか言いようも無い。
なにせ彼は暇なのだ。
ただそれだけだ。
彼は『歴史』
流れる歴史を掬い上げ、そして受け入れ、繰り返し眺める使者の一人。
高尚な事を宣(のたま)ってはいるが、結局のところ『歴史』というのはただ長生きで、古今東西のあらゆる知や歴史を好物とする頭でっかちの厭世主義者。
七天のうちの最高管理者と言われているが、それはただ表に出て来ない謎の存在というだけ。
本当は置き場の無いものに役職を貼り付け、厄介払いでここに居るようなもの。
哉汰が目を擦ると耳元で腕輪の鎖がちゃらりと鳴る。
気になって見ようとしたら銀の鎖に白い髪が絡まった。
「あいたたたたっ、もう鬱陶しい!」
哉汰は髪の毛をブチっと切って腕を下ろす。
いい加減、この腕輪の束縛にも慣れたものだが、気を抜くと鎖に足を掛けて転んだり、腕輪で顔をガッとやったり良い事など何もない。
何度も外そうとしたが、どうやっても外れない。
なぜ拘束されているのか。それは『歴史』は知ってしまったが故に隔離された者達だからだ。
『歴史』は真理に口を閉ざされた者達。
『歴史』は在って無いような亡霊。
そして未来に希望を無くした、ただの傍観者。
行き場の無い気持ちを忘れるために、日暮し人の世を見て嘆いた。でも、どれだけ嘆いても誰も助けてくれずに諦めた。
「ああ神よ、憐れむならば慈悲をおくれよ」
そう演劇口調で嘆きながら哉汰は鎖に絡まる髪を一筋摘むとはらりと床に撒き捨てた。
どれだけ祈っても、神はこの惨状から救い出すどころか哉汰を見出すことすら出来ないだろう。
最早、希望に尽くすことは出来ない。
彼は知ってしまったからだ。
「神すら受け止められない己の罪。お前は知りたいと思うかね?」
哉汰は誰にとはなく問いかける。
すると、積まれた本の隙間から真っ黒な猫が一匹現れた。
黒猫は「のーん」とふてぶてしく鳴きながら哉汰の膝に飛び乗ると、ぷるりと頭を振って見せる。
「お前は賢明だな。己だってそうする」
ぴんっと立った耳をぴるぴるさせた黒猫は哉汰の白い綿入れの袂に分け入り目を閉じた。
哉汰は腕輪の無いほうの手で黒猫を撫でる。
「だが勿体無いな。お前がにゃんと言えば世界が本気で隠した歴史を知ることが出来るんだぞ?」
哉汰は意地悪い顔をして黒猫の首を撫でてやる。
例えば、地下を掘って解明してきた進化の歴史も、離島や海底に息づくプロトタイプの生態を観察しても、あらゆる知見を総じて論じてみたとしてもこの問いにすら届かない。
無限に増殖し続ける臆見を連ねた書物にも、空に地を見て海を語る創造の民でさえ世界の秘匿する一端にも触れられない。
「猫にちゅーるという諺があるが、お前は今まさにそれだ。明かされる事の無い問いと解を目の前にして、欲に抗う事が出来るのかこちょこちょこちょこちょ」
勿体ぶる哉汰を他所に、黒猫はゴロゴロと喉を鳴らし、そんなもの必要ないと言わんばかりに「のーん」と気持ち良さそうな欠伸をすると哉汰の膝を飛び降りた。
「はぁ、情の無い奴め。せっかく同志が増えると思ったのに、お前は自由を選ぶのか」
黒猫は長い尻尾を振りながら本の山へと身を擦り寄せ、暗闇の淵に消えて行った。
「相変わらず、連れないな」
哉汰の感情の無い声が独りの部屋に吸い込まれた。
一つ、また本を取り、ぱらりと頁を捲る音が寂しい。
哉汰は本を閉じると試すように誰もいない部屋に言葉を投げてみる。
「己の罪トハ、セカi . □◾️、
. ……って。やっぱ駄目だな」
世界が本気で隠した真実。
語られ得ぬ真実は、忘れられた言葉の羅列。
もう叫べぬ記号たちの嘆き。
例え知っていてももう語る口がない。
哉汰は持っていた本を床に捨て置く。未読のそれはバサっと存在を誇示するような音を立て、駄々を捏ねるような端ない姿で床にうつ伏せた。
意味を叫ぶ言葉も、それを継ぐ音も、綾を織なす夢に生き、世界の存続を望みながら、現実に死んでいく。
死んでいくのに。
「恒久の暇に連れ添いも無く、成すべきことは何も無しとは……マジで哀しいことだな」
このまま永劫思念して、終わる事も無いのなら。
次は何をして時間を潰せば良いのだろう。
そう諦めた顔で哉汰はまた一つ本を手に取った。
また一つ。
もう一つ。
終わりのない生の記録を、
尽きることない死の経緯を。
我等は、眺める者。
ぱらぱらと。
また悲しい運命に抗う生の謳歌が聞こえる。
魂のまま歌い叫べ。
いずれこの文字が消えて、言葉を紡ぐ音を忘れたとしても、『歴史』はその歌声を思い出して口遊もう。
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