Code_6『忘却』大尊路輝晃


どうしてこんな下らない人と結婚したか忘れてしまったわ。


結婚って、慣れだとか互いの存在を空気みたいに思えとか、色々な妥協の教訓があるけど、それに準じることは難しい。


だって根本的に理解できないものは決して合い入れないもの。

たとえば耳を劈(つんざ)く騒音を心地良いとは思えないし、悪臭はどうやっても清浄な空気には感じられない。


一言では言い切れない色んな感情が邪魔だった。


彼は劣等感の固まりだった。

常に自分と他人を比較して、自分の長所を脚色し、短所を決して認めない。何か不都合があれば全て人の所為。


一緒に働く人はそれは苦労したでしょうね。お通夜から告別式の様子を見ていて、参拝者から面倒な気持ちがまざまざと伝わってきたもの。


当然よね、私だってこんなのは迷惑な話なのよ。


「死神が俺を殺す」と日々妄言を吐いて、


「こうなったのもお前のせいだ」と私に暴言を撒き散らし、


「どうせ俺はもうすぐ死ぬんだ」と一人で泣き言を呟いていた。


そして、街も賑わうクリスマスにあなたは一人で勝手に自殺した。


誰もが忙しい年末に葬式。

初七日は三ヶ日終わってすぐよ。


あなたは、私たちがこんなに慌ただしく動き回る姿を見てそこら辺でほくそ笑んでいるのでしょう。

俺の為に参りに来いとか、俺の為に時間を割けとか。


本当に迷惑で最低で下らない人。


社畜だと我が身を哀れみながら、窓際でお局(つぼね)然(ぜん)としてふんぞり返り、家に戻れば私を小間使いのように扱う弁慶様。


会社、ご近所、家庭ですら白い目を向けられながら、そんな自身を振り返る事もしなかったあなた。



でも、そんなあなたももう終わったのよ。

これを最後に、もうこれ以上煩わされることもない。

もうこれ以上恥をかくこともない。

もうこれ以上醜いあなたを見ることもない。


鎹(かすがい)の軋む音とともに棺の窓が閉められた。





ーー

『忘却』とは忘れ去ること。



他にもすっかり忘れること、忘れて無くすこと。

ちょっと頭使ってレ点とか置いて読むと、却(かえ)って忘れるとか、他にも、亡くなる心が去る何かやら。

まあいろんな読み方があるけど、どんな意味もまあそんなもんだ。


 俺が務める『忘却』は、今際(いまわ)の際(きわ)に活動する実務派の七天達とは違って、対象の死後に活動する個人戦のノルマ制を布いている。

無資格者の行きつく先とも言われてもいるが、孤高の一匹狼の俺にはまさに天職だ。


『忘却』の仕事はおおまかに二つ。


現世に留まる魂の残渣の清掃業務と、

「人生の補足」を記録して『運命』に提出すること。


まず一つ目の魂の残渣っていうのは、魂が発する軌跡と周囲の人間の記憶が結合した物体のこと。

要するに存在感って言われている思念やらオーラの一種になるんだろうな。

これは死後も土地に残留する。

ふんわりとした想い出として残る分は問題ないんだが、色濃く残ってしまうと、それは亡霊のように現世に生きる人間を困らせる原因になってしまう。

だから『忘却』は魂の残渣を消すんだ。


そして二つ目の「人生の補足」

これは『書記』の作成する「人生」の続きの書類だ。


そもそも人生ってのは死んだ後も続くものだ。

むしろ俺的にはここからが本番ってカンジもする。

大抵は死んでからおよそ一月半。

いわゆる四十九日までが人生の総集とされている。

エンディングまで綺麗に終わったと見せかけてCパートで泥まみれって人生の括りもザラにあるもんだし。


ほら、死んだ旦那の浮気発覚とかよくあるだろ。

他にも、芸術家の類は数十年後とかに遺物が脚光を浴びて人生が見直されることもまぁあるけど、それはごく一部のハナシ。


普通一般の死後は四十九日内に幕を閉じる。


そう、死んで始まるCパートってのは、存外、生前の行いがモロに反映されるものだ。


例えば「人事は棺を覆うて決まる」って言うだろ。

他人の事考えずに自分勝手に生きてた奴にありがちなんだけど、葬式のとき霊柩車が発車した途端に清々したって表情で帰る準備する奴ばっかりだった。

……とかよくある話さ。


会社で嫌味なだけのダメ上司なんか特にそうだな。

部下が最期の接待とばかりに集まってグチを肴(さかな)にするとか。

そして忘れられる。


そんなの人生の余韻として最悪だ。


まあ、死後のそんなこんなを観察して、「人生の補足」をまとめて賢輔に持っていくのが俺の仕事。


そう、賢(こい)輔(つ)に。


俺は今、仏頂ヅラで偉そうに足組んで頬杖つきながら俺の出してやった「人生の補足」を横目でチラッと見て鼻で笑ったCodeDの『運命』斎藤賢輔の前にいる。


「文句があるなら口で言えよ、賢輔」

「文句以前に絶句してしまったんだ。気分を害したなら謝るよ、輝(てる)晃(あき)」

「あぁん? もういっぺん言ってみろ、このインテリメガネ」

「文句も出ないくらい絶句したんだ。すまないな」

「同じ事二回も言わんでいい」

「お前、矛盾してるぞ。まあ良い、再提出だ」

「はぁ、お前ちゃんと見もせずによくそんなこと言えるな」

「ぱっと見で分かる。これは裏紙決定だな」

「さっきから黙って聞いてればエッラそうに……賢輔、表に出やがれ!」


……こんな言い合い、いつも通りだ。




ーー

少し話は箱の外を出る。

ガラスの直方体が立ち並び、せかせかと行き交うスーツの人波の中に立ち止まる緑のカーディガンを羽織った細身の男。

彼は一つ溜息を吐き、赤縁のメガネを中指でくいっと上げる。


俺の名は椎名。

Code D_986 千葉明弘の担当の『書記』だ。


今、俺は「人生」を持って浄土に来ている。


「人生」とは、対象の生い立ち、生き様などその全てを記し、その死に様までを書き記して綴じたものだ。


先日、クリスマスの朝に俺の対象は死んだ。

死因は告げられた通り自殺だった。

魂の回収も無事に終わり今日はそれを『運命』の斎藤さんに渡すためにここに来た。


長方形の大きなオフィスビル。

その四階でエレベーターが止まる。

Code D関連の資料が集まるフロアだ。


茶封筒を胸に抱き、縦長の廊下をゆっくりゆっくりと進んでいく。


突き当たりにある扉。

ここが斎藤さんの部屋。


軽くノックし扉を開くが、案の定、応接室には誰もいない。

いつも通り斎藤さんは右側の事務室にいるだろう。

しかし今日は何だか事務室が騒がしい。

どうやら先客がいるようだ。


入るタイミングを伺おうと俺は分厚い扉に聞き耳を立てた。


「――却下だ、ヤるならここで良いだろう」


(……うん?)


「それじゃ雰囲気ねーだろ、お前が地べたに這いつくばってヒーヒー言う姿をみんなに見せてやらないと」


(えっ、この声ダイソン? ってか、これ何、どういう状況?)


二言目にして衝撃の展開を察した俺の頭によからぬ妄想と選択肢が浮かぶ。


①静かに立ち去る。

②このまま状況を伺う。

③部屋に入る。


(ぶ、無難に②で、ファイナルアンサー)


そして俺は扉にさらに耳を押しつける。 


「泣き喚くのはお前の方だろ、全く、俺はお前にばっかり構っている時間は無いんだ、俺が見てやるから今ここで早くしろ」

「なっ、そんな初心者じゃあるめーし、屈辱的なコト出来るか。さっき出したのでてめえが素直にイイって言えばそれで終わるんだよ」

「許諾しかねる。これ以上我がまま言うならもう付き合ってやらんぞ」


(や、ヤバい、ガチだこれ)


まさかのBL的展開。

これは止めなければCode Dの崩壊に繋がる。

……かもしれない。


(頑張れ椎名、情熱的に冷静になれ。Code Dの崩壊を止めるならいつだ!)


しかし扉を開けようとする手は、怖いもの見たさという好奇心に邪魔されて動かない。


(い…ゃ…まだ、でしょ)


なぜか俺の頬をつうっと一筋の水が流れて行く。

そして俺は崩壊を辿る歴史の証人になる道を選んだ。


「ああもういい、輝晃。俺の部屋を貸してやるから、一人でとっととヤってこい」

「はぁ、てめえの私室にお呼ばれされる義理はねえ」


(おおっと、これは退室フラグww)


内側でダイソンがぎゃんぎゃん騒いでいる隙に、俺はいざという時に備えて身を隠す場所を探した。

が、事態は急展開を見せた。


「ふぅ、お前と関わるとやはり碌(ろく)なことにならない、時間切れだ。椎名、入れ」

「へっ?」


斎藤さんからいきなりの名指し。

いつから気付いていたのだろう。一瞬にして背筋を冷や汗が流れた。


「え、椎名居んの?」

「全く、お前のせいで待たせているんだ。折角だから参加してもらおう」


(えっ、3P、何P? まだ心の準備が――あーっ)


「わりーな椎名、いいぜー、入れよ」


冴えた青色のツナギ、首に白タオル、ポケットに軍手、黄土色のワーキングブーツで固めたTHA作業員な青年が、人好きのする笑みを向けて俺を中に招いてくれる。


「あ、はい」

「悪いな、椎名。待たせてしまった」


仕立ての良いスーツをきっちり着こなし、緩いオールバックに銀縁眼鏡。

お決まりの緋色のネクタイを締めた斎藤さんが柳眉(りゅうび)を顰(ひそ)めて困ったように微笑んだ。


「す、すみません、お邪魔します」


何てことない、いつもの怒鳴り合いだったようだ。

それに気付いて、ただただ罪悪感が胸の中でのた打ち回る。


(俺はこんなに無垢で優しい二人を妄想で穢してしまって……なのに、こんなに汚い俺を笑顔で受け入れてくれるなんて)


自然と俺の上体は最敬礼の角度に折られていた。


「まじで申し訳ありませんでした」

「…何が? それより椎名、見てみろよ、俺の報告書。ちゃんと要点は押さえてんのに賢輔の馬鹿が受け取らねえんだ」


そう言ってダイソンは斎藤さんから書類を一枚ひったくって俺に見せに来た。


「ダイソン、これ何?」

「何って、「人生の補足」だよ」

「いや、これは文章じゃなくてアートだよね。あと、最近エヴァの映画見たでしょ」


まずはこんなにカラフルな流線形を持つ書類を俺は今まで見たことは無い。

それに、極太の明朝体で題字が紙上の二辺を占領して表している辺りなど、エヴァのパクリ……オマージュという外ない。

だがしかし、ついつい端末のカメラで写真を撮るほどその出来は秀逸だった。


「さっすが椎名は見るトコ分かってるなぁ、賢輔、お前も見習えよ」


ダイソンはきっとアートって言葉と元ネタへの理解があった点しか聞いていなかったようだ。


「馬鹿言うな、椎名もそれは書類ではないと言っただろう」


うん、言った。

ダイソンは小首を傾げて考えた後、しばらくして信じられないという驚愕の表情を浮かべた。


「……お前ら眼鏡変えたら?」

「お前は補聴器を付けろ。世間の言う事をもう少しちゃんと聞け」


そしてまた続く言い合い。

俺はとりあえず床に散らかる書類を避けながら斎藤さんのデスクへと向かう。

そして持っていた茶封筒とダイソンの「(自称)人生の補足」を斎藤さんに渡す。


「ああ、すまない。長い間大変だったな、椎名」

「いえ、後は宜しくお願いします」


斎藤さんは「分かった」と言って茶封筒をしっかりと受け取ってくれた。そしてダイソンの「人生の補足(仮)」も。


「しかし改めて見ても酷いな。中二の落書き帳と差し替えても遜色ない出来だ」


斎藤さんはダイソンの「人生の補足(笑)」を見て再びキレた。


「賢輔お前、全ての中二の想像力に謝れ、瑞々しい感性の前に平伏せ、土下座しろ」

「うるさい、お前が土下座しろ」


賢輔は紙飛行機と進化した「(旧)人生の補足」をすいーっと飛ばし、ダイソンの頭に見事命中させる。


「賢輔、ってめぇー」


輝晃は跳ねた髪に刺さった「(元)人生の補足」をぐしゃりと握りつぶし、「覚えてろ」と捨て台詞を吐いて事務室を出て行った。


「あぁ、やっと行ったよ。煩(うるさ)くしてすまなかったな」

「いいえ、ホントお疲れ様です。斎藤さんがあんなに話してるの初めて見ました」

「はは、俺だって好きであんなに喋っている訳じゃない」


斎藤さんとダイソンは犬猿の仲だ。

そう、さっきからダイソンとか輝晃とか呼ばれてたアイツ。

本名は大尊(だいそん)路(じ)輝(てる)晃(あき)。

Code D 50~1000を担当する『忘却』。

通称ダイソンだ。


名前だけ見れば厳つくて品格ありそうな名前なのに、実物を見るとただのやんちゃなお馬鹿さんだ。


いや、彼は確かに馬鹿だけど、馬鹿という表現には収まらない馬鹿なのだ。

なにせ彼は本当は天才なのだから。

よく言うだろう。馬鹿と天才は紙一重、と。


ダイソンは『書記』をたった二百年務めて使者になったいわゆるペーペーのピーちゃん。

しかし当時から風雲児やら麒麟児やらともてはやされ、誰が教えた訳でもないというのに使者としての知識、センス、技術は並外れて高かった。


斎藤さんも当初それはそれは目をかけて、将来の『運命』として知識と技術を叩き込み、ダイソンもそれを涵養(かんよう)していたはずだった。

前代未聞の『書記』から『運命』に飛び級できるほどの才能があったかもしれないのに。

哀れな事に才能のメーターが全て振り切れてしまったんだろう。紙一重で馬鹿方面に落下してしまった残念な奴だ。


ほら、さっきの一件だけでも彼の異常な才能が窺えるだろう。

レポートをキャンバスにする辺り、天才的馬鹿としか言いようがない。


「本当に、どこで間違ったらああいうことになるんだろうな」

「心中お察ししますよ。みんな言ってますもん」


ダイソンの話題になるとみんな最後はこう締め括る。


「もしも天才の方に行っていれば」と嘆き、

「……何て言ったって馬鹿だから」と返すしかないこの無情。


斎藤さんは俺が渡した茶色の封筒から書類を取り出し、紙面に目を走らせる。


「輝晃の奴、椎名の対象も見なくてはいけないのに、こんな調子で大丈夫だろうか」

「そうなんですよね、俺もそれが心配で心配で」


 賢輔の深い溜息が辺りに染み渡る。

そろそろ斎藤さんに休んでもらわないと暗黒面に堕ちて行ってしまいそうだ。


「斎藤さん、じゃあ俺行きます。今度の合同会議、楽しみにしてますから」

「そうだ、その準備もしなくてはな」

「どうかご自愛下さいね」

「ああ、ありがとう。椎名、お疲れ様」


賢輔の労いに椎名は一礼をして部屋を辞した。

最後にちらりと見た彼はがっくりと俯いて、凝り固まった眉間を揉みほぐしていた。


斎藤さんもダイソンも、外面は正反対だが、その内面は実はよく似ている。


だから、ダイソンはきちんと仕事をしてくれるって信じているし、斎藤さんはどこかに突き抜けてしまわないか心配だ。


俺が気にしても仕方ない。

悩みの種はきっと尽きることは無い。






ーー


この度は誠に御愁傷さまでした。

思いがけないことで、さぞご悲哀のことと存じますが、只今、Code D_986 千葉明弘 様と縁のある方々に幾つか質問をさせていただいております。

お手数ですが、ご協力よろしくお願い致します。



Q1、彼とあなたの関係は?

家族・親戚…7

友人   …1

仕事仲間 …8

その他  …1



Q2、彼がいなくなってどう思いましたか?

A①、清々した。

A②、気が楽になりました。

A③、とても残念に思います(笑)

(その他回答多数)



Q3、生前、彼はあなたにとってどんな人でしたか?

A①、とても口うるさく、自分勝手な人だった。

A②、しつこいくらい細かくて、融通の利かない人でした。

A③、残念なコトに、交流はあまりなかったんだけどイイ人でしたよ。(同様回答多)



Q4、彼とやり遺したこと、後悔したことはありますか?

A①、貸した金を返してもらい損ねた。

A②、特にありません。

A③、こんな時期に仕事遺して逝かれたのは辛いっすね、マジ迷惑。

(その他回答多数)



ありがとうございました。

なお、このアンケートは集計後にご本人様にも結果をご報告致します。

最期にお悔やみの一言など宜しくお願い致します。



A①、どういう事だ、ふざけるんじゃない。そんなこと聞いていないぞ。

A②、……回答をやり直してもいいですか?

A③、お焚き上げっすね。えっ、一言? ご愁傷様です!

(未回答多数)



質問は以上です。お疲れさまでした。

さぞお力落しのことと存じますが、どうか、あとのさわりがありませんように。




Code D_986 千葉明弘。

性格も容姿も最悪、仕事もできなきゃ金もなく、才能も向上心も何も持ってない。


周囲の評判も前頁の如く最低だったのに、死んだ日と死に方が最悪過ぎて彼の僅かばかりの沽券(こけん)は大暴落して奈落に落ちた。

それでも彼の亡骸に唾棄(だき)する者が居なかったのは、参列者が常識人だったからか、社会的モラルが歯止めをかけたからか、はたまたもっと別の理由。


世の中にはクズと分類される人類が居る。

それは社会というヒエラルキーの最下層と層の頂点によく分布しており、いつも隣人を苦しめる癌(がん)となっている。

しかし、このどうしようもないクズ共に限って、なぜか別嬪(べっぴん)の良くできた嫁が居たりするもの。


この謎は俺の明晰な頭脳でも確固たる答えに到達できない。


今回もそうだ。

彼女はなぜ、あんなゴミみたいな奴に固執するのか、それを考えてもう十日が過ぎた。



一先ずの仏教徒である彼は、キリスト生誕祭の日を選んで公園のぶらんこで首を吊り、年の瀬に通夜と葬儀など突発行事を差し込み、所属していた会社の年末商戦にも障(さわ)りをきたしたらしい。


有難いはず除夜の鐘は初七日の木魚と経にかき消され、晦日(みそか)も正月もへったくれ。

三箇日(さんがにち)は在って無いようなものだった。


世の中の生者に怨みだけ抱かせて逝った彼。

そして、その残念な遺影に手を合わせながら恨みがましい目でそれを睨む女が一人。


彼女は、故 千葉明弘の嫁。

四十五歳というデータがなければ、まだ二十代後半でも通用するくらいの、昨今いわゆる美魔女というものだ。


彼女の美しさは怨みや憎しみと相関関係がある。

そう言われても納得するような人生だった。


事実、彼と結婚してから彼女は見違える程美しくなったのだから。


あ、この話は椎名か彼女の担当『書記』にでも聞いてくれ。

俺はこの先知らないから。


そんなこんなで別嬪さんは今日も遺影を睨む。

俺は今日も魂の残渣を掃き捨てている。



さて、ここで問題が出てきた。

言っただろうか、俺の仕事にはタイムリミットというものがある。


残渣破棄および「人生の補足」提出の期限は対象の死後から四十九日まで。

それまでに魂の残渣を掃き捨てて、周囲の人間が有する故人の記憶の濃度を一定値まで下げなきゃいけない。

なぜなら、魂には帰巣性(きそうせい)のようなものがある、再び現世に現れたとき無意識に死んだ場所に帰って来ようとしてしまうからだ。

これを未練と例える奴もいるが、真偽は定かじゃない。

そして何度も同じ土地に依り過ぎると、現世に魂が転生した時に記憶の混濁を起こしてしまう。

そんなのは新しい人生において邪魔以外の何物でもない。


なのに、だ。

今回は湧いてくる源泉は分かっているのに、吸っても掃いても残渣(カス)が出て来る。

これは彼女の恨みつらみに依(よ)るところが大きいのだろう。

未練を残すのは死者だけじゃない。

生者も死者に未練を残す。

その思いが強いほど魂の残渣は惹(ひ)かれ、取り巻き、生者を殺すことだってある。

よく言う亡霊に憑かれるってやつだ。


最初こそ異常な現状に思考錯誤していたが、開始五日目くらいから俺の頭は考えることに飽きていた。

今では吸引力に特化した某メーカーの掃除機、愛機リベリオンを彼女に向けて置きっぱなし。

もう成すが儘に任せることにした。



世間は松を納め今日は鏡開き。

子供等が砂糖醤油を前に、焼ける餅を待ち詫びる日だ。


正月の喧騒も穏やかな日常に移ろっていく中、相変わらず彼女の周囲には清々した陰気臭さが漂っていた。


軋轢(あつれき)が生じた遺族特有の雰囲気。

各種手続きや法要の取決めなどによる疲れもあるだろうが、その中に故人からの解放と不安、決心と後悔がない交ぜになっている矛盾が見える。


しかし俺はとある異変に気が付いた。

今までどれだけ片しても湧き上がって来た魂の残渣が何となく薄らいでるように感じる。


そしてもう一つの変化は机の上にあった。


「……手紙?」


机の上に『千葉明弘様』と宛てを書かれた便箋が数枚広がっていた。

まだ書きかけのようだが、俺はボールペンの黒が撫でたきれいな字を辿る。




拝啓 千葉明弘様


その後、おかげんはいかがでしょうか。

あなたが居なくなってまだ数えるほどしか日は過ぎていないのに、私には随分経ったように感じます。


今日、私は久しぶりにあなたのことを想いました。

あなたが居なくなってから嫌味な程に随分と慌ただしかったから。


僅かでも時間が経てば、情けなりにも追憶は美しいものだと思っていたのに、私は何度目を閉じてもあなたが他人を罵倒する姿しか思い浮かばないのです。


今まで私は甲斐性なしのあなたには釣り合わぬ女だと思っていましたが、今この時、所詮あなたに相応しい健気にもなれぬ妻だったと感じ入りました。


決して恨み事を吐くために筆を執ったわけではありません。

かといって、あなたを慰めるためでもありません。


あなたは度が過ぎて劣等感や嫉妬心を持つ人でした。

今やそれが人間らしくて愛らしいと表現し得ないことも無いですが、それは伴侶としての私の感想です。


今でも見られるものなら、この現実を見てごらんなさい。

嫌らしい話だけど、香典は敢えて無礼を推しただけを包まれて、初七日の法要には誰も来なかった。

親友と言っていたあの人からはお義理の悔やみも貰えやしないし、曰く付きの公園にはもう行けないと幼子を持つ近所の母親は嘆いて、世間は遠巻き様に我が家を睨んで行くのです。


これがあなたの生前の行いの結果。

あなたが世間に与えた影響は計り知れないわ。

そしてこの私にも。






そこまで書いて手紙は終わっていた。

終わりに近づくにつれ怨みごとの様になってはいたが、これならあまり心配しなくてもよいのかもしれない。


というのも、こういう場合は自分の心に溜め込まず、誰かに話したり手紙に著(あらわ)したりすることで気持ちの整理が出来てくるからだ。


「うん、よしよし」


俺は掃除機(リベリオン)に溜まった残渣を専用のゴミ袋に入れてモードを「中」にすると、この生ぬるい状況を打破すべく現地調査という流離(さすらい)の旅に出た。





「あれ、ダイソン?」

流浪(るろう)の最中、遠くで俺の名を呼ぶ奴がいる。


誰だと思って目を細めて見てみれば同じCodeの枕(まくら)野(の)総司(そうし)だった。


「おー、総司。お前なんでここにいるんだよ?」

「僕の子の実家がこっちでさ、戻って来たんだ」

「あっそ。そう言えばその子、もうすぐなんだよな」


俺が尋ねると総司は一瞬暗い表情を落とした。

まあ当然の反応だろう。


「うん、そうだね。ってか、ダイソン。またやらかしたんでしょ?」

「何を?」

「賢輔さんがそれはもう烈火のごとく怒ってたって。報告書の書き方が適当すぎるから」

「テキトー? 賢輔が俺の無駄のない報告書にケチ付けたいだけだろ。言わせとけよ」


全く、その情報はどこから嗅ぎ付けてきたんだろうか。

有名人の情報は逐一市場に流れるものだが、それを思えば俺も有名になったものだ。


「うわぁ、相変わらずのプラス思考だね。でもその報告書(仮)巷で流行ってるよ。僕にも端末で送って来たけど、あれは僕が見てもちょっと……」

「ちょっと?」


総司ごときにまでコケにされるかと思うと少々不快で、柄にもなく睨み上げてしまった。


「あー、アーティスティックだったもん」

「だろ? ほらな、分かる奴には分かるんだよ。俺だってプロフェッショナルなんだぜ。仕事は徹底してしないと気が済まないしな」

「うんうん、ホントすごいよダイソン」


総司は尊敬の眼差しで俺を褒め称える。

まあ、賢輔に再度提出してやった書類は感嘆のため息とともにすんなりと受理されたし、俺がちょっと一般の目線にレベルを下げてやれば普通の仕事など造作も無い。

あの時はちょっぴり刺激を求めて戯れただけだ。


「そういえばさ、ダイソンは今度の合同会議行くの?」

「あん? 会議?」

「うん、端末に連絡来なかった? 賢輔さんがCode Dのみんなに定期報告して、その後に懇親会とかもあるアレ」

「……ああ、アレ。賢輔の顔ずっと見とかなきゃなんねーんだろ?」

「会議は最初だけだよ。懇親会ってぶっちゃけパーティだし、余興もあって楽しいから」

「んなのタリーよ。行かね」

「えー、勿体ない。まっちゃんとか、みんなも行くって。懇親会だけでも来なよ」


まっちゃん、とはつまり『終末』の茉園香里のことだ。

有象無象がいくら集って来ても俺には関係ないのだが、香里には少々言いたい事があったような無かったような――


「か、香里、も来るなら……行ってやってもいいかも」

「うわー、分かりやすいね」


俺の決断を聞くや否や、総司は身を引きつつ喜色満面に微笑んだ。

これを世間はドン引きと例えると香里が言っていたのを思い出す。


「はぁ? お前何勘ぐってんの?」

「いや、まっちゃんが来るなら行くって」

「香里とは長く会ってねえから顔でも見せてやろうと思ってるだけだ。他意はねえ」

「いや、他意しかないと思うけど」


総司は俺の事を何か勘違いしているらしい。

俺は勉強会や報告会などの会合に出席することを厭(いと)わなければ、社交性も抜群なので懇親会という公の場に出ても引けを感じることは無い。

ただ、俺の時間を無駄に費やすのは世界の為にならない事を俺は知っている。


しかし賢輔に恐れをなして逃げていると思われても癪(しゃく)だ。だから俺は決意した。


「うっせえ、行くよ、行ってやるよ。報告会始まる前から最前列に陣取って、賢輔が喋ってる間ずっと睨み効かせて、質疑応答で質問攻めにてやるから」

「……それは、この上ない嫌がらせだね」


全く、総司はさっきから俺の迫力に押されてドン引き過ぎだ。

まあ、これで俺のメンツも守れたかと思うと多少気分も良くなった。


「ねえ、ところで、前々からダイソンに聞きたい事があったんだ」

「何だ?」

「あのさ、ダイソンは『運命』にはならないの?」

「お前、俺が机にかじりついて一生を終える小せぇ奴に見えるか?」

「あ、やっぱりそういう反応なんだね、実力あるのに勿体ない」


そう言うと、総司は俺の才能が潰えるのを憂(うれ)うようにしょんぼりと肩を落とす。


「そう残念がるな総司。確かに俺には才能がある。『運命』は万年人不足だし、俺が低位の『忘却』を務めていることを嘆く奴は多い。だが、現状の対処だけで未来は創れないんだ」

「うん、そこは聞いてないけどね」


総司は俺の高説に深く頷く。

そして俺の惜しみなく溢れる才能に縋るように借問(しゃもん)する。


「あ、ねえダイソン、僕の対象の子の命日っていつか聞いてる?」

「ううん、知らね」

「そっか、あのさ、『運命』の決めた運命って絶対変わらないんだよね」

「ああ、常識的に無いだろ」

「残念、ダイソンでも常識とか言うんだ……じゃあ情熱的に考えたら?」


その言葉に俺の脳内に電撃が走った。

そして同時に俺は後悔した。

この俺に教えを請う総司に、俺は常識的な回答をしてしまった事を。

総司は一般論などそんな分かり切った答えなど求めてはいない。

求めたのは俺のオリジナルの回答だ。


俺はインスピレーションを求めて脳内に深く問いかける。



――集え、俺の万象を解する知識っ!

解き放て、あの子は人g……固定概念の呪縛っ!

思弁せよ、真理を認識しそこへ至れっ!

そして舞降りろ、天来の着想っ……

はっ、邂☆逅!  



「ダイソーン、どこに行っているの」


宇宙と交信中の俺に心配そうな声が投げかけられる。

そろそろ覚醒の頃合い、か。


俺はカッ! という効果音と共に勢いよく目を開けた。


「あ、アリだな」

「え、ホントに?」

「あるある、ってか今できた」

「えっ、出来たって、何が?」

「理論が」


総司は俺の複雑かつ整然とした思考回路の瞬きに驚愕の表情を露わにする。

しかし、これを口にするにはまだ確実な論理とは言い難く、確証にも欠ける。


「ねえ、ダイソン、教え――」

「待った、どうせ俺はまだ一月くらいこの辺にいるから、時期が来たら教えてやる」

「今じゃダメなの?」

「俺は真実しか口にしない男だぜ、適当な事言ってお前を失望させたくない」

「……あ、今不覚にもダイソン如きにときめいてしまった」


総司は俺の英断に胸を打たれたようで、頬を紅潮(こうちょう)させて胸を押さえている。


「なんてったって、俺様だからな。総司、何かあったら俺を頼れよ」

「おー、何故かダイソンがすごい頼もしく見える。じゃあ、よろしくするね」

「任せとけ、じゃ、俺行くなー」


そして俺は颯爽とその場を立ち去る。


振り向きはしない。

また必ず会えるのだから……。







ーー

「はぁ、やっぱダイソンはすごいなー」


視界からダイソンが消えてしばらくの後、総司は大きく背伸びをして息を吐いた。


天才の思考回路は流石に超ポジティブ。

自分の言ったことも殆ど聞いてなさそうだし、色々と都合よく変換されてそうで不安に思う面もあったけど、結果オーライなのかな。


「あと一カ月か。タイミングが良過ぎて怖いくらいだよ」


問いの回答を聞くのも、合同会議も、恐らく最終宣告も、全て一月後。


偶然にしては出来過ぎた偶然に背筋が粟立つ感覚を覚えながらも、これは恐ろしいくらいの幸運だと言い聞かせ、耽々(たんたん)と自分の行く末を睨む。






ーー


俺は総司と別れた後、千葉明弘の「人生」の複写を手に関係各所を流離(さすら)った。


しかし、彼は今時の人間にしては人生の行動範囲が実に狭い。

たとえ狭いと言っても、普通は市や県というある程度の域を人生の居場所とするが、この男は町という狭い中に収まって逝った。


彼はここで生まれてここで死んだ。

所詮井の中の凡人だった彼は、大海を知らずとも大概を知ることの出来る世に産まれ、四十七年という長くも短い期間の中で、どこにも行かず、何かを追いかけることも無く、ただここで生き、ここでその一生を終えた。


家庭、学校、職場。

彼が土着(どちゃく)することに拘(こだわ)ったこの地に、彼の面影はもう何も無い。

彼の何らかが後の世に何かとして残ることも無い。

彼が世界に影響を及ぼす要素など、最早この世間にこれっぽっちも存在しないのだ。


「……小さいなあ」


何も彼だけがそうなのではない。

千の人生の終わりを辿ったとして、世界にその息を吹かせた者など僅か片手で足りるくらいだ。

しかし彼の人生はその逆の手に握るほどの劣位だと言えるだろう。


短いながらの放浪の後、俺は再び千葉家に戻って来た。


机の上に目を遣ると、あれから手紙には数行が書き加えられていた。



ーー

下らないと詰っていた人達に、最後にこれだけ迷惑かけられて満足したでしょ。


私は、今まであなたに何もして来なかった。

私を下らないと詰るあなたを、下らないと詰り返すだけ。


自分の身の上を哀れんだのは私も同じ。


そして今気が付いた。

あなたの下らない存在がこんなに私を証明していた事を。


今、なくなって気付いたの。




ーー

「これは良い傾向だな」


まだ二十日、今回は難易度高めだと思っていたけど、流石、クズに付くのはイイ女だ。


どうにかすればいつもの仕事より楽かもしれない。


この手紙はまだもう少し続く。

きっとこれを書き終えた時、彼女の中で全て整理がつくのだろう。

そしたら俺の仕事も終わりだ。

俺は掃除機(リベリオン)の吸引モードを「弱」にして、再び世間に流れた。





「運命は『運命』にも変えられない。人は同じ過ちを繰り返す」


「魂は魂に惹かれ、止まった流れは溢れれば流れ出す」


「吾が命の仮なること夢幻の如し」


これらはすなわち道理というもの。それは同時に論理というもの。

この理論を空白の時間に当てはめる。


(ああ、だめだ、これもだめ、あれは無理)


俺は畳に大の字に臥(が)しながら臆(おく)見(けん)と考察を繰り返す。


(となると、これか……)


そしてもう一度整理するように脳内で揃えた一筋を諳(そら)んずる。


「空白の時間に同じ魂を干渉させると過去が溢れ出す。過去の過ちを同じ魂が辿る事を運命は止められない。その時、運命の定めた『運命』はまた流れ出す」


頭で想像することも言葉にすると実感を伴うものだ。しかし、これは想像の中だけに留めておきたい論理でもあった。


「あー、これはちょっと禁忌に触れるかもしれない」


ごろりと寝がえりを打つ。

一人の部屋、夕刻の静寂は何も教えてくれない。数日前に電源を切った掃除機(リベリオン)の唸り声が今では懐かしい。


総司には一月後に教えてやるとは言ったが、この理論ではあの例のようにマズイ事に発展しかねない。


「もう少し詰めてみようかな」


最終宣告の通知は、だいたいこの仕事が終わった後に来るだろうだろう。

彼女の寿命は恐らくその丁度一月後。何か行動を起こすならその間の一カ月で充分だろう。


色々出来過ぎていると思うのは、運命が彼に加担しているからなのだろうか。

まあ、約束に縛られた俺も、きっと踊らされるのだろう。


「運命は『運命』にも変えられない、これは道理。しかし屁理屈でもある」


一人仰向けに寝転がりながら、天井に向かって呟く。


変わろうと思うなら変わればいい。

誰にも止める権利など無い。

むしろ変えられない訳がない。

安穏な現在に囚われなければそれはもう変革だからだ。


人だろうが、道だろうが、星だろうが、道理だろうが、運命だろうが。



「もうお前ら出会っちまえよ、それだけで運命は変わるんだから」







――



夢を見た気がした。

いや、これは最近の記憶だったのかもしれない。


ここは火葬場、今まさに炉に入れられようとする棺の上に俺は座っていた。

棺の窓は閉ざされ、誰のものかはわからない。

円形の空間に集まった十三人の遺族は、潤んだその眼に焼き付けんと最期の瞬間を見据えている。


そして炉の鉄扉が開く。

死後、今が一番思いが溢れる瞬間。

皆が口々に故人を叫ぶ。


かたちを失くす前に去来する思い。

悲哀、悔しさにしがみつく諦め。

数々の嗚咽を鉄扉が遮っていく。


俺は亡骸と共に炉の中へ。

暗き狭い部屋の中、波打つような熱と共に火が灯る。炎は棺を焼き焦がし、そして見えた彼の顔は、


「     」


花を蒸発させ肌を蝕む灼熱の中、その様子を瞬きもせずに見つめていた。

炎は体からかたちを奪って、やがて少しのかたちも消え去り、まるで故人を想像もさせぬ砕けた白骨が横たわる。


まだ頬を焼く熱が立ち昇るまま、それは遺族と面会を果たす。

全くの別物と対面し明らかに涙も失せる遺族らの顔。


……これが真実なのだ。


故人の欠片を摘めど、壺に納まらぬ骨を砕けど、無情な儀式に故人への思いは薄れていく。

ここから仕来たり、礼、義に尽くすうち、悲しみは消え失せる。


そのうち骨を拝まず位牌と写真が念仏の対象となる。


そしてだんだん、かの人は居なくなる。


しかしそれが道理なのだ。



魂の残渣も陽光にきらめくホコリ程度に薄まって、世間は彼の死などとうの昔に忘れて日常を奔走している。


彼の未練は自殺と共に晴らされて、彼女の未練は想い出に変わろうとしている。

もう彼に関わる誰もが異常から普通を取り戻している。


仕事納めまであと十日。

俺は寝転がったまま今回の「人生の補足」を作成していた。


と、俺の集中を遮るように滅多に鳴らない端末の着信音が鳴り響く。


「もしもし、大尊寺輝明です」

『お疲れ、斎藤だ。今いいか?』

「無理だ。お疲れ様でした」


通話を切ろうとしたとき、電話の向こうで賢輔が『乖離(かいり)線(せん)だ』と言った。


「……今、何て言った?」


端末を握りなおして耳に当てる。


『総司の担当CodeD_4の運命が変わった。音重縁の死後、今際で複雑な乖離線が発生する』

「本当、なんだろうな」

『間違いない』


乖離線の発生。極めて稀な魂の異常反応だ。

死後、魂は今際という場に使者を召喚し魂の後悔を断つ。しかし乖離が起きた今際は場が不安定で簡単には出られない。

ほとんどが混沌に呑まれて消えるという原因不明の異常事態だ。


『輝明……行けるか?』

「――――」





ーー

たまに思い出すの。

あれはいつかの日曜の朝のことだったわ。

珍しくニュースを見ていたあなたが突然「死んだらどこに行くと思う?」と言うの。


丁度あなたの好きな歌手の訃報があった時よ。

私は「天国なんじゃない?」と適当に答えたけど、あなたは「天国か」としみじみ呟いていた。


私が気晴らしに「それより、生きてるからどこかに行く?」と尋ねても、あなたは「どこにも行かない」と言って同じニュースを何度も見ていた。


あの時どこにも行かなかった人が、死んだところでどこかに行くはずはない。

だから、あなたは今もまだここに居るのでしょう。






ーー

四十九日の今日、早朝。

俺は約束を果たすべく音重家の玄関の前に立っていた。


玄関の呼び鈴をじっと見つめ、伝えるべき結論をもう一度頭の中に思い浮かべる。


(……よし、もうこれでいいか)


「そーしー。来たぜ―」


俺は声を張り上げて件の枕野総司を呼び出した。一時の後、玄関の扉をすり抜けて総司が姿を現した。


「ようこそ、ダイソン。待ってたよ」


総司は哀愁を滲ませた笑顔で俺を家へと招き入れる。


「お前、目の下、隈が酷いぞ」

「ああ、最近ちょっと寝れなくて。まあどうぞ上がって」

「ふうん、邪魔するぞー」


玄関をすり抜けて行った総司に続いて家の中に入る。


特に話もせず、誘われるままに二階の一室に入った。

ベッドの上にぼんやりと座っているのは総司の観察対象である音重縁だ。

彼女は壁に凭れ、窓の外の変わらぬ風景を見ていた。

あと一月ほどで産まれるというだけあって、彼女の腹部は大きく張り出している。


「それで、ダイソン。本当に、その、教えてくれるの?」


総司は音重縁の隣に腰掛け、おずおずと本題を切り出した。

俺もその場に胡坐(あぐら)をかき、早速お望み通りの回答をくれてやった。


「ああ、約束だからな。結論から言うとふがっ」


総司は俺の口を両手で塞ぎ二の句を遮ったかと思うと、あたふた慌て始めた。


「えっ、ちょっと待って、展開速くない?」

「はぁ、早く知りたいんだろ?」

「も、もうちょっと前置きがあっても大丈夫だよ。僕待てるから」

「待てるも何も、俺は今日で現地任務は終了だし、お前らにも時間は無いんだろ。心の準備くらいしとけよ」

「……はい」


俺は居住まいを正す。

総司も俺の正面で正座をし、神妙に俺の言を待った。


「結論から言う。運命は変わる。お前にも彼女の運命を変えることが出来る。むしろお前にしか変えることが出来ないと言ってもいい」

「じゃあ――」

「だが、全ては運任せだ」


浮足立った総司を言い押さえる。

息を呑み、俺の話の続きを待った。


「お前らはただ出会えばいい。彼女がお前を見る事が出来た時、運命はほんの僅かだが軌道を変える。どうなるかは分からない。寿命が延びるか縮まるかは知らん」


俺の簡潔な答えを総司は間の抜けた顔で聞いていた。

だが拍子抜けするのも分かる。

誰もが暗黙の了解としている禁忌は何とも簡単に犯すことが出来るのだ。

その他にも運命を変える方法ならいくつか想定出来るが、それらには大きなリスクが伴う。

想定される中ではこれが最も低リスクで現実味がある。


「以上、質問があったら聞くぞ」

「はい、大尊路先生」

「何だ、枕野」

「根本的な問題です。出会い方が分かりません」

「それは俺にも分かりません」

「………」

「うん」

「……え?」


そう来るだろうなとは思っていたさ。

何といっても出会わないように世界は造られているのだから、それが当然。

仮に出会う方法が分かる奴がいるならそいつは天才だろう。いや、俺は天才なのだけど、そういった方面の天才ではなく、その一歩上方向の天才なのだから……分野が違うんだ。

と言うのは負け惜しみのようなので決して言わない。


「えー、何ソレ、ダイソン。だめじゃん」

「だめじゃんじゃなーい。全くこれだから凡人は……」


総司はぶーぶーと口をとがらせている。

不満ばっかり口にせずに少しは自分でも考えろと言いたいところだ。


「まあとにかく、成るものはどうにかなるし、成らぬものはならぬのだよ。俺に言えるのはこれだけだ。だからこれでも飲んでとっとと寝てな」


やたらと疲れたように見える総司に俺は【三途薬局謹製、一粒で四百ミニッツ、すべてが謎で出来ている睡眠導入剤「ネムレール」】という謳い文句の書かれた瓶を投げて寄越す。

安眠が得られると忙しい使者の間で専らご活躍の薬瓶を危なげにキャッチした総司は、受け取った物を見ると困ったように笑って見せた。


「ありがとダイソン。心配ばっかりかけてごめんね」

「全くだな。だが、悩める凡人の手助けをするのが天才の義務。どうやってもなるようにしかならないんだ。だからゆっくり休めよ」

「ホント、ごめんね」


寛容な俺は総司の謝罪を謝礼と受け取り、本職の結末に臨むべくその場を後にした。






彼女は蝋燭の火を線香に継(つ)ぎながら、水を絶ったように皺の浮いた手を眺めていた。

ひと月ほど前はまだ白魚の様だったのに、今は変に痩せこけて白髪が浮いて、どこもかしこも魔法が解けたみたいに年相応になってしまっている。


女としてはこれ以上ないくらいの絶望だろうが、彼女の目に曇りはない。

独りになり窶れた彼女に近所の人が「大変だったでしょう」と声をかけるようになり、色々と目をかけてくれるようになったようだ。


「あなたを恨む訳ではないけど、今は今で、私は幸せよ」


彼女はもう一度遺影に向かって手を合わせ、そして静かにその場を辞した。


四十九日の供養というのはこんなにも素っ気なくて良いものなのだろうか。

遺影と戒名の前に二輪の菊と些細な供え物、坊さんも居なければ参列者もいない。

普段仏前に参る様子と何ら変わらない、ただの穏やかな一日だ。


彼女は仏壇に背を向け座敷机に正座すると、書き途中の手紙に続きを認(したた)め始めた。


白い便箋が彼女のきれいな字で埋められていく。


彼女の走らせるペンの音と、時計の針がゆっくりと歯車を噛む音だけが座敷に響く。


「なあ、俺も机借りていいか?」


彼女からの返事は当然無かった。

俺は彼女の向かいに胡坐をかいて、「人生の補足」を作成するための準備を始めた。


時間は非常に穏やかに流れている。

テンプレ通りの報告書はすぐに完成し、それと同じくらいに彼女も封筒に〆を打っていた。


これでこの件は終了だ。

立ち上がり、最後に彼女の細い後姿を見遣る。


「……世話になった。じゃあ、元気で」






ーー

あれから四十九日。

あなたも見ていたかもしれませんが、今では私の周りも大分落ち着いて平穏な日々を送っています。


でも、悩みの種が無くなったら、それはそれでつまらないものね。

だから暇つぶし程度に約束してあげましょう。


毎年、あなたの忌日には、私だけひっそりと線香を上げてあげるわ。


一ピースのケーキの上に、毎年一本ずつ線香を増やして、お経の代わりにジングルベルを鼻歌で謡い、遺影の前にプレゼントを供えてあげるから。


だから、早く成仏して。

いつまでも見守っていて下さいね。


さようなら。

                    敬具





四十九日に昇る線香の白煙。

遺影の前に置いた白い封筒は、永遠に封を切られることなく朽ちていくだろう。


私が灯した一本の煙が細く、細くたなびいて、ふうっと消える。


『忘却』は忘れること。

だけど忘れられないこともある。


それはそれで良い。

全て忘れてはいけない。


美しく、優しく遺るなら、それだけで世界は平和だ。


死に囚われる者に想い出と未来を、

死を恐れる者に平穏な日常を。

死んだ者と遺された者に決別を。




遺風はまだ残る。

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