Code_3『運命』斎藤賢輔


見事なまでに無彩色(モノクロ)に彩られた四角と直線の街。


ここは浄土。


俗に極楽浄土と言われるが、この地に住む人にとっては別に極楽ではないので浄土と呼ばれるのが一般的。

なにしろここには極楽と言われるほどの景勝地(けいしょうち)や観光名所は存在しないからだ。


一般に想像される極楽浄土は既に過去のもので、現世の社寺(しゃじ)仏閣(ぶっかく)で描かれている絢爛(けんらん)豪華(ごうか)な安住の地はオフィスビルの整列する灰色の街となり、楽器を奏で天を舞う天女はとっくにスーツに着替えて文明の利器を扱っている。

また、阿弥陀仏らもそれなりの地位で部長課長を務めるか、メディアで説法をする文化人だ。


そんなコンクリートジャングルをビジネススーツに身を包んだ人の波が流れている。


その中に紛れながらも確固(かっこ)とした足取りで歩く一人の男。


黒髪を軽くオールバックにして、型のよいスーツに綺麗に締めたバーガンディの細身のネクタイ。右手にジュラルミンケースを下げ、左手に書類の束を抱えた三十代後半の容姿の男。


結構な量の荷物を抱えながらもそれを感じさせないテンポで革靴を鳴らし、銀縁眼鏡の奥の涼しい瞳は迷うこと無く正面を見据えている。


ここ浄土は『運命』の集う土地。

彼もまたその一人で、Code_Dに所属する対象者の人生の種々を定めていた。


『運命』とは、主に個人の出生から死亡までのあらゆる事象を設定・管理し、対象の有事の際は関係各所に指示を出すことを生業(なりわい)とする者の称である。また、七天におけるリーダーともなる彼らは、他にも使者の採用や転職にまつわる人事、悩み相談とカウンセリングや、三途学研都市での講師。他にもCode会議を主催したり、七天を支える様々な業務を任されている。



「ちょうどいい時間だな」


私は腕時計をちらりと確認しながら近代的な造りのオフィスビルに入った。

一人きりの昇降機の中で、私は臙脂(えんじ)色のネクタイを締め直す。


向かったのは一つの講義室。

前方のドアを開けると壇上になった講義室には二十人弱が集まって資料を読んだり談笑をしたりと様々だった。


私は迷わず壇上に上がる。


私が壇上から講堂を一瞥(いちべつ)すると、椅子に座る彼らは俄(にわ)かにざわめき、皆席に着き私語を慎む。

私はそれを確認するとジュラルミンから端末を取り出し投影機に接続した。

じわじわと光量を上げてスクリーンにスライドが表示される。


彼らの視線は画面へと向かう。

私はその間に書類を壇上に置き、名簿を取り出し集合している人数を確認すると口を開いた。



「さて、早速だが『運命』の臨地業務講習を始める」


静かな講堂に自分の声が響く。

受講生全員が背筋を伸ばして壇上の自分に注目した。


「私は今回の講師、Code Dの『運命』斎藤(さいとう)賢(けん)輔(すけ)だ。

今回の臨地業務講習は、現在欠員が出ているCode Oの『運命』選定のために開講されている。

講習といっても、私はこの講習も就職試験の一環として見ている。

君達の中の誰かが『運命』に就任できるように、私をはじめとする現職の『運命』が時間を割いて講習にあたっているんだ。

講義中も君達は評価されているということを忘れず、心して講習に臨むように」


静かな講堂に緊張に息を呑む音が聞こえた。

その緊張を放置したまま、私は机に広げた実習要項に目を落とす。


『運命』選定のための臨地業務実習Ⅰ

・『運命』の主な業務と仕組み。

・ 対象の運命と寿命の算定方法。

今回はこの二項目を講習するようになっている。


そう説明しながら私は心の中で溜息を吐く。

正直面倒くさい。


『運命』はその業務の繁多さから脱落者も多く、いくつかのCodeをかけ持ちしている者も少なくない。

別にそれでも構わないのだが、かけ持ちをすると担当部署も多くなり、ただでさえ忙しい業務の繁雑さに拍車がかかる。その結果、膨大な仕事量が手に負えなくなり破滅。

なんて事がまあよくあるのだ。

『運命』に脱落者が出ると、今回のように講習を務めるようになったり、自分にも何かしらの負担が来る。だからそうならないために現職の『運命』が自分の時間を削り、新たな『運命』を育成しなくてはならなくなる。


しかし、これでは悪循環だ。

上には閑職(かんしょく)があるのだから、そちらにこういった仕事を幾らか回せばいいだけの話なのに、古参のお堅い連中は、伝統、しきたりと馬鹿の一つ覚えの回答しか寄越さない。


自分のスタイルに反する非合理的で無駄な仕事。

だがこれも仕事だと、私は心の溜息を飲み込んだ。



「それではまず、初歩的な『運命』の主な仕事について講義する」


そう言って私はスライドを変えた。


「我らは主にCodeという単位で活動をしているのは知っているだろう」


Codeごとに所有する魂の総数が設定されており、これを総括して担当しているのが『運命』だ。

例えば、現在Code Dに属する魂は12439存在する。

私はその全ての誕生を手引きし、成り行きを定めて、終わりを決めているのだ。

しかし、それは私一人で完遂されるものではない。他の作業員との連携により私の仕事は成り立っている。

ここで特に重要なのが魂を回収し、その後をケアするデスプロジェクトの七天メンバーだ。

『運命』は七天の業務係長的ポジションに値する。だから指示や管理は私の仕事だが、魂回収の実務を負う彼らに業務成績の全てがかかっている。


皆そこは分かっているようで、スライドを見ながら相槌を打っている。

まあ、まだ序の口。ここで難しいと言う者なら初めからここにいない。


「知ってはいるだろうが、我ら使者に任期というものは無く、基本的に永久就職という形をとっている」


役職変更などの例外はあるが、業務を達成している限り使者の仕事は永遠に続く。

『運命』の業務は就任当初に所持する魂を流すことなく七割以上を保ち続けること。

つまり自分の場合だと、就任時に15000の魂を所有していたので、4500以下になった時に強制的に解雇させられるのだ。

使者は働いてこそ、その存在が証明されるということだ。


私はここまでの説明を一息に済ませる。

講習者たちはそれぞれの方法で話を記録しているが、理解しているのはどれだけなのだろう。

私は分かりやすい例え話しで理解を推し進めようと試みる。


「そうだな、我らの業務は自然現象と同じと考えるべきだな」


例えば、風の無い状態を嵐とは呼ばない、足元が揺れていないのに地震と言わない事と何ら変わりない。

だから働きの悪い者、著しく業務を妨害する者は辞職、または解雇され、仕事を持たぬ者に存在価値は無いと、寿命が訪れ消滅してしまうのだ。


つまり、プロジェクトメンバーに著しく業務成績が悪い者がいれば、七天は崩壊し、そこの『運命』はいずれ解雇されることになる。

次の『運命』が見つからず空席になってしまえば、そのCodeに所属する対象者の全てが輪廻の流れを止め、関与している使者も強制解雇されてしまう。

だからこのような講義をして精力的に後任を育成しなければいけないのだ。


せっかく噛み砕いた説明をしているのに集中を切らしている者が散見される。

簡単にし過ぎたのだろうか。

まったく、こんな重要な話を知らないでは済まされないのに。

一つ、テーマを挙げた方がいいだろう。


「百年前に起こった「Code Ωの破滅」は君達の記憶にも新しいだろう」


それは、Code Ωを担当する『運命』が突然消滅し、現世の対象者が定められた寿命を待たず一斉に不審死を遂げた事件だ。

浄土の職業安定所は強制解雇された使者で沸き返り、再就職の叶わなかった者は消滅していった。

つまり『運命』が消えるとこうなってしまうのだ。


講堂内がざわついた。

当然の反応だがまだ講義も序盤。

余談に割く時間もない。

私は咳払いで場を落ち着かせて話を続ける。


「あの事件は原因も不明な特異な例だ。使者の使命を全うしていればそのような事は起こり得ない」


大概の使者は皆自分の仕事に高い矜持(きょうじ)を持っているし、出来得る限りの最高の結果を出そうとする。

例えどのように時代が変わっても使命の怠慢や放棄は思うことすら許されない。有史以前からそうであったし、今後もそうであるべきなのだ。

だから『運命』は使者に的確な指示を送り、それぞれの仕事を信頼しなければならない。

だからこそ、この仕事は難しい。

そう、他者の運命を掌に握っている『運命』でも、自分の運命だけは人任せだ。

よくある話だが、『運命』は自分の管理下の使者達のミスで寿命が削られることを極度に嫌う。

そして使者を信頼できなかった傲慢な『運命』は使者に信頼されずにCodeの統率を乱し破綻していく。


「ならば、どうすれば長く『運命』として勤めることが出来るのか」


『運命』の業務は信頼あってのものだ。

自分の仕事を完遂し、部下を信頼することが『運命』を務めるための条件と言っても過言ではない。

ここまで理解していて、実行して、それでも私が担当となって今までに2561の魂が流れを止めた。

少ない方だと言われるが、それでも遣る瀬無いものはある。

結局いつかは自分も流れるのだと。


「さて、では次の題目に移る」


そう前項を締め括り次の画面に移行する。

【対象の運命と寿命の算定方法】

とある次項のタイトルページをさっさと飛ばすと、理論と計算式がみっちり書かれたスライドが現れる。


「早速だが、まずは運命の算定に必要な要因を覚えてもらう」


現世に還る魂が母体に定着したことを確認し、それから寿命を算出する方法。

このとき用いられる素因は「①前世の寿命」「②前世の行い」「③胎在期間」「④定期報告点数」の四つだ。①と②を既存の係数の式に当てはめ、③で割ることによって大まかな予定寿命を設定する。そして、細かい寿命は④の『書記』からの定期報告によって決定していくのだ。


皆が慌ただしく要点を記録していく。

ここは複雑だからと私は少し話しを止め、講習概要をパラパラと捲りながら受講生の記録が済むのを待つ。

そして進捗を見計らって次のスライドに移る。


「ここで一つ問題となるのが分娩時の死亡だ」


個人の運命は受胎の日より廻り始める。

受胎から母体の外に出るまでを1単位とし、予定寿命は一般的な十月十日で係数の解を割っていく。

その式の解が1を割る時、その者は何らかの理由で堕胎するという運命になるのだ。

この場合、担当の『書記』に寿命の宣告はなされない。息をする前の胎児なら『終末』は派遣されず、『死神』と『天使』のみ魂回収の通達を出す。堕胎の魂の回収はそれほど難しくはない。

しかし、解が1ちょうどを示すとき、問題となっている分娩時の死亡には『終末』が関与する場合がある。

一呼吸でも息をすればその吐息を回収するのが『終末』の役目となるからだ。

だがこの吐息の回収は非常に難しく、回収率も極端に低い。

たとえ『死神』が魂を回収できたとしても、『終末』の吐息の回収が失敗した場合、その者の輪廻は終わるのだ。


私はそこまでを説明し、次の画面に切り替える。

例題が記入されたページ。

自分で作っておきながら、この問題を見ると内心の溜息が漏れそうになる。


「これは実際に私が今まさに直面している現実の問題を例にして作ったものだ」


CodeD_305の式、この解は1.03 。

母体の今後の行いによって僅かに誤差が出てくるだろうが、現状でこの数字は分娩直後に死亡するリスクが高率であることを示す。

この場合、『終末』及び『書記』にも吐息回収令と寿命の宣告をしなければならない。

そして対象の予定寿命に最も近い母体の『書記』による定期報告を受け、最終宣告の通達を出す。

恐らくこの魂の回収は困難を極めるだろう。

このように、寿命の算出もただ計算すればいいというものではなく、示された解からこの先担当の七天にどういった指示を出すのかなども考慮していかなければならない。


「例えばこの対象の七天には……」



そうして講義は続く。

全ての説明をし終えて、質疑応答も特に無く、旺盛さに欠けると思いながらも手短に済んだことを喜んだ。



講義が終了したのは昼過ぎくらいだった。

さあ帰ろうと荷物をまとめると、今まで大人しかった講習生のほぼ全員が私の所に菓子折り付きの挨拶攻めに集(たか)って来た。


その全てを往(い)なして雑用を片付けた頃にはもう夕刻。

私は右手にジュラルミン、左手に資料を持ち、その腕に菓子折りの入った紙袋を幾つも下げて講堂を後にした。


全く、彼らは人の話を聞いているようで人の話をさっぱり聞いていない。

最初にちゃんと現職者には時間が無いのだと言ったはずなのだ。なのにこんなに時間を取らせ、手間取る物を押しつけて。


まあ、そんな無為な時間からやっと解放されたのだ。

私はバッサバッサと紙袋の音を辺りに響かせながら早足に家路を急いだ。



陽もとっくに落ちた夕暮れ。私はやっと自宅に辿りついた。

立地の都合で長方形に敷地を取った大きなオフィスビル。

全二十六階からなるこのビルの四階にはCode D対象者のデータを保管した資料室や、それに関連する使者達が使う事務室や会議室などが集まったフロアがある。

そのフロアの中央を渡る縦長一直線の廊下、その突き当たりの部屋が私の事務所兼自宅。


部屋を開けると、まず机と椅子だけの応接室。

その部屋から向かって右が事務室、左が寝室。


私はジュラルミンを応接室の机に置きいて私室の扉を開けた。

私にとって、私室はただ衣住を整えるだけの空間なので、生活に必要最低限の一式が揃っているだけのあまり用が無い部屋だ。

私は部屋の隅に菓子折りの袋を乱雑に放る。


荷物がなくなったところで、私は今日の講習の評価をするために事務所に向かった。


私は一日のほとんどを主に事務室に過ごしている。

がらんどうな私室とは対照に、事務室はほんの少々散らかりがちだ。

四角い部屋の壁を埋め尽くす本棚、雪崩れるように積んだ資料、気付けば随分と書類の整理をしていないものだ。埃(ほこり)っぽさはまだ無いものの、紙束が溢れ返った部屋は改めて見るとお世辞にもキレイとは言い難いと思った。


雪崩を起こした書類を踏まないように避けて行くのも既に無意識の技になっている。

辿りついた部屋の中央に置かれた広いデスク。

ここが私にとっての極楽だ。


必要なものがすぐ手に取れる位置に揃い、機能的でシンプルな造りの作業机。背もたれの高い肘付きのワークチェアは特注品で、長時間座っても疲れず、そのまま寝ても肩が凝らない。肩凝り、腰痛、眼精疲労に悩む『運命』にとって、自分に合った作業環境を作ることは何より大事なことなのだ。


私は極楽に居座るため、スーツのジャケットを脱いで書類の一山に放り、ネクタイを緩めて深々と椅子に腰を落ち着けた。


「はぁ……」


やはりここが私の安住の地だ。

一息ついてそう再確認した時、控え目にドアがノックされる音が聞こえた。


「賢輔さーん、お疲れ様です」


遠慮がちに潜めた声で訪ねてきたのは見知った顔。


「ああ、香里か」


少しだけ開けたドアの隙間から顔をのぞかせる彼女は、名前を呼ばれると嬉しそうに中に入って来た。


自分のデスクにこんなに気軽に訪ねてくる者はそうそういない。

そうそういないうちの一人が彼女、『終末』の茉(まつ)園(ぞの)香里(かおり)だ。

どうせ今日も世間話をしに来たのだろう。


「ふふ、賢輔さんお疲れ様ですね、今日も遊んで行っても良いですか」

「ああ、好きにしろ」

「はーい。あ、お薬もうすぐ無くなるって言ってたから新しいの持って来ましたよ」

「すまないな」


香里は「いいえ~」と言いながら机の上に温湿布(ニオワン)、目薬(サエール)、睡眠導入剤(ネムレール)が入った三途薬局の紙袋を置く。

そして勝手知ったる我が家の如く、部屋の隅に置かれた給湯器の前でてきぱきと二人分の紅茶を淹れ始めた。


「賢輔さん、今回の臨地業務講習、良い人はいましたか?」

「いや、いないな。皆優秀なのは分かるが、目的を履き違えたものばかりだった。本当に『運命』としてやっていく気があるのか甚だ疑問だな……そうだ、向こうの部屋に茶菓子もあるぞ」

「わーい、いただきます」


彼女は嬉しそうにぱたぱたと私室の方に飛んで行った。


(……少し、休もう)


ぼんやりとした頭でそう決意し、椅子に体を埋め、曇った眼鏡を外す。

薄いレンズを軽く拭いて胸ポケットに仕舞った。


やがて軽い足音と共に香里が戻って来て、包装紙を丁寧に開いていく音が聞こえる。

そうしているうちに紅茶の良い香りが漂ってきて、彼女が湯気の立つカップを机に置いた。


「今回の実習生、お土産だけは一流みたいですよ」


香里はにっこり微笑み、きれいな菓子折りを持って部屋に戻って来た。


「欲しいのは土産じゃなくて一人前としての人材だ」

「ふふ、賢輔さんのメガネは強敵ですからね」


そう言って香里は私の胸ポケットから眼鏡を引き抜いた。

一瞬、彼女がどうして急に眼鏡の話をしているのか理解できなかった。


「……度は低い方だが?」


彼女の話におよそ適当な言葉を選んだつもりだったが、彼女は驚いたような顔をして、心配そうに私の目の前に屈み込んだ。


「賢輔さんのお眼鏡に適(かな)う人がいなかったって話です。流石に疲れてます?」

「……ああ、そうか。そうかもな」


こんな定型文も理解出来なかったなんて、相当キテるようだ。

一息つくにしても気を抜きすぎた。

香里は机の上に眼鏡を置くと、珍獣でも見るような目つきで私を眺めている。


「珍しいですね、賢輔さんがそんなに疲れてる姿、私、初めて見ました」

「……そうか」


目頭がきりきりと痛む感覚にきつく目を閉じて眉をしかめる。

業務簡略化の名目から、情報整理の一切を紙上から液晶に移行したのは良いが、今までになかった辛さも所々で出て来るものだ。


私は香里がいることにも構わず浅い眠りに落ちて行く。


「あ、寝ちゃうんですか、今日はお薬いらないみたいですね」

「……そうだな」

「…もしかして、私がいるから安心しちゃいました?」

「……そうだな」

「……!」


香里が息をのむ音が聞こえた。

薄目を開けるが、重くのしかかる瞼のせいで彼女の表情は分からない。


「け、賢輔さん、それは不意打ちすぎますっ」

「……そうだな」


重いと憎まれ口でも叩いてやろうと思っていたのに、本当に疲れていたのだろう。言葉は声にならず、香里が一人できゃーきゃーと慌てふためいている事も、もう朧(おぼろ)げにしか理解できなかった。


不意に柔らかな重さがのしかかって来た。

耳元で、私を呼ぶ恥じらい声が耳を擽(くすぐ)る。


胸を強く圧迫されるような感覚に呻(うめ)きが漏れる。

しかし不思議と嫌な感じはしなかった。


温かく柔らかいものに包まれて、私は完全に眠りに落ちた。



「賢輔さん、私、賢輔さんが大好きですよ」

「……ううっ、ん」





恋する乙女はあの詰まった呻き声ですら肯定と受け取るのだと理解したのは、まだ先のことだった。

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