第百九十五話:前夜・1-1

 一応迎えに行ってはみたがすでに姿のなかったアンは予想通り、一人でお宿に戻って、相部屋の隅っこに横たわり、死んでいた。


「……アン様、息はありますか?」

「…………」


 反応はまったくない。

 リプカは怖くてその表情を覗けなかった。


「ね―リプカ……。アン、どうしたの……?」

「帰ってきてから、まだ、一言も話しておらず……この調子でして――」

「……もう少しだけ、このまま、静かにさせてあげてください……」


 相部屋に戻ってきたところを見るに、意外と人恋しいところもあるのかもしれない、なんてことを考えながら、アンヴァーテイラに情をかけて、そのまま静かに放置してあげた。


 横たわるアンへサキュラが『生まれた心の隙を突いて唐突に距離を詰めることが恋愛理論学の極意っ! ――セオリーラヴ3号――』を供えているのを見ながら、さて空いた時間で何をするか、と考えていたところ――明らかにこれ以上のいとまがないことを告げる騒然が、表のほうから響いて聴こえてきた。


「――だからそれはリリーアグニスのの遣いに任せればよかろう! なっ、予めあの付き人をパレミアヴァルカ連合に戻しておいて正解じゃったじゃろ?」

「いつの間にかいなくなっていたと思っていたがな。しかし橋渡しとして機能させるために、早いうちから彼女をパレミアヴァルカ連合に配置していた慧眼はさすがだが……そういう問題じゃないだろう……」

「リリーアグニス家だからさ、多少の無茶は通るケド……。アルファミーナ連合への伝言役をリリーさんに任せるとするとさ、どう見積もっても一回きりしか橋渡しを頼める余裕がないんだけど……」

「んじゃあ一回きりで全てを整えればよかろう。――分かれッ、初めからそうするしかない話なのだっ!」

「無茶を言う」

「無茶を通そうって話じゃあッ」

「むむぅー」


 出迎えに向かうと、クイン、ビビ、アズの三人は難しい顔としかめっ面を突き合わせて、絶え間なく絶叫みたいな議論を交わし合っていた。


「輸入費用の時点でだいぶ無茶どころか破綻した話しか持ち上がらないのはどう考えてもヤバすぎる――」

「ネガティブなこと言ったら罰金な。見込みきんの一部として運用する」

「砂漠に涙だろ……」

「ハイ罰金ー。――形にするだけでいいんだからどうとでもなるわ、ここはリリーアグニスのと相談するからお前は理論のほうを詰めろ」

「こっちはもっと実現不可能なんだがな……」

「ハイ罰金。お前次は本当に取るぞ……ッ」

「分かったよ……。――ああ、リプカ、ただいま」

「お帰りなさいませ」と労いをかけて、リプカは一同が抱えた大量の書物や筆記用具、何かの図面が描かれた用紙といった荷物を引き受けた。

「任せちゃっていい? ――ありがと、リプカちゃん! いやーなかなか難航していますなぁ。まあでも、大丈夫だからッ」


 いつも通り、の射すような笑顔でアズナメルトゥは言うと、胸をトンと叩いてみせた。


 クインも不敵に鼻息を吐いてみせる。


「こちらのことに心配はいらんぞ、いざとなったらアルファミーナのが全部なんとかするからな」


 それを聞いたビビは、今も手にした書物から目を離さないまま、目を横棒にして、頬に一滴の汗を浮かせた。


 とりあえずアズに割り当てられた部屋まで荷を運んで、四人分の紅茶を用意すると、リプカはさっそく、三人へ話を向けた。


「あの、今日得たことで、皆様にお話ししなければならない事柄があるのです」

「なんじゃい」


 そしてリプカは、シュリフと過ごした今日一日の事を、出会う前のゼロから十まで余さず、話して明かした。


 時間がない中、思い出せる限りの全てを語ったのは、クインならば自分が見逃した重要をサルベージして見つけ出す可能性があるからという、いつもの理由であったのだが――どうやら今回ばかりは、結論である『賭けの戦利品』の話だけで済んだ事であったようだ。



 根源たる願い、見い出した真実。


 バイオヒューマノイドのテレイグジスタンス素体に、テレイグジスタンス素体が成り立つ情報を元に、私たちは想定とは別口の解釈へ辿り着くという予期と――その先の未来……。



 ――――てっきり、茫然じみた悄然の顔が並ぶものと思っていて。リプカは痛みに似た思いを覚えながら三人を窺ったのだけれど。


 だから――ワッと歓声が上がったことには、飛び上がるくらいの驚きを覚えた。




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