そして理知へと至る・1-2

 ――その問い掛けを受けて。その大きな感情を受け止めて。


 リプカは開いた口を、きゅっと閉じて。僅か沈黙したのち、それに答えた。


「きっと、人は。――その内情を指して、人間味にんげんみと呼ぶのです」


 でない情の影を表情に落としながら。迷いのない、誠実を込めての声色で、それを伝えた。


「……人間味?」

「世界のカタチに関わらず、であるために見据えて求める、貴方のEGOエゴ。他者へ手を差し伸べてそうするように、貴方自身のために貴方の矜持へ思いやりを寄せること。あまり、耳当たりの良い綺麗なものではないけれど――その混濁は、失うべきでない大切な、人の心情のように思います。そして、人はそれを……人間味と呼ぶ」

「――なるほど」


 一つ、頷きながら――シュリフは、思えば初めてそこで。

 ほんの小さくではあるけれど、腹の底から抑える間もなく湧いた――そんな自然な笑声を上げた。


「それは、面白い心情です。人間味――。……きっとそれは場合に応じて、信念や信条、理想、あるいは勇気や青春といった言葉で言い表されるのでしょうね。私のこれは、いったい何と表されるのだろう」


 言って、瞳を開いて顔を上げたシュリフの表情には。


 迷い晴れて、春の夜明けみたいな光を湛えた、無垢の晴れ晴れがあった。


 透明で、、眩い輝き――。


(――――……)


 その姿を目にして、今、知ることがあった。




 この道を、進むにあたって。


 目の前に、いくつもの扉があって。


 旅の道中で、いくつかの鍵は手にした。けれど――。


 一つ目の扉を開錠する鍵が、どうしても、見つからなくて。


 そして――。


 いま隣にある彼女の輝き――それこそが、どうしても見つからなかった、不明を開く、最初の鍵であった。




 途端、目の前の扉が開かれるのと同時に、すでに手にしていた鍵の扉も同時に開け放たれて、――情報の洪水が訪れた。


 開け放たれた扉の向こう景色を覗き、走馬燈のような想起で記憶野から掘り起こされたこと、またそれに連なって、連なって――事に関わる出来事が想起される。


 たった一瞬間に様々を思う、記憶の洪水。

 現実の景色が遠のいて、視界が空想に覆われる――。



 覆われた白に映し出された絵、真っ先に思い返されたのは――一昨昨日さきおとといの夜に遭った、あの襲撃者たちの姿。


 次いで、隣に腰掛けて何かを語る、クインの姿。


 最後に――昨日望んだ、シィライトミア領域大聖堂の全景と、オーレリアの姿。




『生きがいだから。――呼吸しているのかどうかも分からない。そんな中……あのお方の存在だけが……月明かりのように眩しい……。全てが不確かだ、けれど……あのお方の存在だけが……唯一……確かだ……。私たちはきっと、月の明りを守りたいんだ……。そのためなら、死ねる……ハハ。他はあまり、意味がない……そう確信したそのときから……。――ハ、ハ……、きっとあなたには、分からないだろう……。だが私らにとって……それは、なによりも重大だ――』



 連なりの、最初の想起――一昨昨日さきおとといの夜に遭った、あの襲撃者たちの姿。


 及んだ理解は、あの者たちがどんな熱に浮かされていたのかという、そのことだった。


 表の世界で、しかも稀有の功を成就して立派に働いていながら、リプカには理解できなかった熱に浮かされて、凶行にまで走る覚悟を抱いた崇拝者たち。


 共感の及ばなかった、それが滑稽にすら映った、その心情。


(けれど――今なら分かる、理解できる)

(彼等が、何を信仰していたのか)


 隣にある、少女のカタチを目にしたことで――色鮮やかに。


 理解の根源。


 リプカは。


 今やっと、彼女シュリフが真実本当に、人間とはことの根源に、理解が及んだ。


(【妖精的基盤症状之人格シュリフ】。心情絡み合った人の心とは存在を異にする――人ならざる純心を持つ存在……)


 人の心、絡み合った心情。


 愛と憎悪。


 喜びの中の哀愁。


 渇望しながらの怠惰。


 勇気と気後れの交差。――色欲故の優しさ、施しに隠された嘲り。虚栄心と傲慢の醜さ、空虚をかき集めた強欲。憎悪と赦し、尊敬と嫉妬のせめぎ合い――。


 あるいは――。


 愛と増悪と喜びと哀愁と渇望と怠惰と勇気と気後れの、色欲故の優しさや施しに隠された嘲りや虚栄心と傲慢の醜さや空虚をかき集めた強欲に対する、憎悪と赦し、尊敬と嫉妬のせめぎ合いの尊さを捨てた――怒り。


(沢山の情が想起されて形を成す人の混濁。私たちの常識。対して、隣にある彼女の感情は――)


 夜明けの光みたいな、透明。


 そう、シュリフが物事を見つめる視線は、表情は、向き合い方は――人には体現できない純心で。


 人間存在に然るべく科せられた複雑から脱した、その純粋な輝きを目にしたそのとき、人が悩む多くの感情が「「濁り」」のように思えて。どうしてか彼女の目の先を見れば、自身の悩みすらが浄化されていくような感慨が訪れた……。


 人となる彼女の純粋、それは光のようにも見えた。


(そうか)

(これを信仰していたのか)


 現実の何かが欠けたようにどこか冗談めいて思えたあの夜のことが、僅かに湿った空気の匂いまで香り出して、一新された輪郭で思い返された――。


 狂気に染まってまで大切にしたかった、彼等の救い。渇望。


(目を逸らしたい人間存在の混濁と、対極に位置するような象徴を発揮する存在。彼女が現実存在であることへの、切望――)

(きっと、あの夜会った彼は。あの場面で自然そうしたように、打算を目論んで論を講じる自分自身のことすら、本当は、心底、嫌で嫌で。自分でも視えない情感の絡み合った私と云うものの人間性に、無意識のところでは反吐へどの情を抱いていて。人間存在に絶望していて。だから象徴存在を見たそのとき、それに気付いて、信仰した――)

(……分かる、触れたようにはっきりとそれが分かる。あの時の表情の意味すらも。何故ならこうして見れば、シュリフたるミスティア様の象徴は、それほどまでに顕著であるから――)


 場所柄、気付く。

 感情の正負はあるだろうが、その形は明らかに、一つの在り方と類似していることに。


偶像アイドル……)


 何かの表現を崇拝される存在。


 象徴を発揮する者たち。


(混濁の対極、澄んだ純心の象徴)


 そして――その少女に見えた、


 それを思った瞬間、脳裏の景色が移り変わる。


 ――僅かセピア色のかかった情景に、クインの姿が見えた。




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