第百九十話:そして理知へと至る・1-1

 吸い込む空気の色さえ異彩な、特別トクベツの熱気に満ちたことには、まだ景色の見えないそこへ一歩近づくだけで、予感を抱いて気付く。


 今日もアイドル・チャレンジのステージは鮮やかな色彩で注目を集めて、ステージ上の白熱と観衆の期待で、次代の新しい熱を沸かせていた。


 彩雲を望んだみたいな感慨が胸内に広がったり、頭をカラッポにして熱狂できたり。――そんな異彩で描かれた広間の、片隅に座る二人がある。


(…………)


 リプカは今、アイドルたちのパフォーマンスよりも、斜め向かいに座るシュリフのほうに多く気を取られていた。


 弾けるような明るさに溢れた一曲に賛辞を送る彼女は、目を瞑りながらもいつも通りの表情で、特段はしゃぐこともなく、変わりない様子で拍手を送っていた。


 そういえばと、リプカは気付く。


(そういえば、ミスティア様は見るのではなく、ステージに立って歌うことに魅かれていたという話であったはず。参加受付をお願いしておいたほうがよかったかな……?)

「私が踊っても、きっと、何にもならないでしょう」


 考えていると唐突に、心を見透かしたような声がかかった。


 リプカは思わずビクリと小さく飛び上がったけれど、シュリフは冷静なものだった。


「私があのステージに登壇しても、なりふり構わない彼ら彼女らのようにはきっと、いかないから」

「――歌の得手不得手の話では、なさそうですね」


 シュリフは微笑み、目を瞑ったまま頷いた。


「様々を通して人というものを観測する中で、彼等は特別、異彩際立って私の瞳に映りました。何者かになろうと足掻く者たちのことです。彼等は他の可能性を賭して自分の可能性に臨みます。そこにあるかも分からない一つの実像を臨むため、足掻き、血を吐いて心を壊しながら苦しみ、何が待つかも分からないままにただ、前と定めた方向へ――求める。もっと楽な生存方法もあるだろうに、どうしてか彼等は自らその身を希望で焼きながら足掻き続けます。そこまでして、自身も未だ明確を知らない願いを求めるのです。――最初から余すところなく自分という存在を知っていた私にとって、遮二無二に自身の姿を求め続ける者たちは、他に類のない無限大の輝きを纏う人の形として私の目に映りました。リプカ様、それは貴方様もそうだけれど、ここに集う幾人かには、到底及びません。――ああ、その一人が、どうやら姿を見せてくれるようですね」


 ――見れば今一人、ステージのだんを上って、その晴れの姿を見せるところであった。


「――――あっ!」


 見覚えがあったその顔に、リプカは小さく声を上げた。

 一昨日に見かけた、エンプティ・オーケストラ・レッスンステージの角部屋で、外へ声が洩れることも構わずに一生懸命、歌唱の練習をしていた、あの女の子だった。


 よろしくお願いしまーすっ!


 元気よく挨拶して、そして――。



「さあ、恐れずに踏み出して、輝ける未来へゆこう! 闇も光さえも飛び越して、いつか目に視たその向こう、そう、サイハテのギャラクシアへ♪」



 ――――シュリフの言うことが、よく分かった気がした。世界を掻き回して別の色彩を広げるみたいな歌唱は、綺麗だけでない、苦いものも胸を裂き痛むモノも混ざった気勢の歌声で、リプカは思わず息を飲んで、彼女の色彩に聴き入った。


 彼女は信じていた。

 けれど、何を信じているのかなんて、きっと彼女自身も分からないだろう。


 それでも、その抽象を実在のように信じて、彼女は様々を――もしかしたら今の全てさえ賭して、歌にして、舞踊にして――全力を形にしていた。


 その姿を指して、『滑稽だ』と言う者も、きっとあるだろう。

 だって、先があるかも分からない事に、彼女は懸命していたのだから。


「――美しい」


 シュリフは、目を瞑ったまま、ステージ上へ表情を向けていた。


「目を瞑っていても分かる。どうしてと思ってしまうほど、光り輝いて、美しい――」


 燃ゆる炎。

 その先は誰も知らない。

 無粋極まりない想像で、だからあらゆる意味で……今が全て――。


「そうなりたかったわけではないけれど、そのような瞬間に逢いたい、そんなふうに思ったことが何度あっただろう。けれどそれは――存在の全容の理解、または真相への到達、種族の終点、それらを見てしまった者にとっては、もう永遠の夢物語、永遠の夢想。私は自分が何者なのかを知っているから、踏み出せない、奮起することができなかった」

「…………。貴方様は、ミスティア様。セラ様の妹君」

「そして『病名』、人の選択志向をコントロールする術を持っていて、その方法の熟練については今現在の世界で最も優れた存在であり、他の巨大な勢力と衝突しづらい立場にあって、私の力の程はその社会秩序を覆せるほどのものでは、決してない。――私の可能性が切り拓ける範囲すらも明確なのです。蜻蛉よりも眼が良い視覚が、世界においての立ち位置、存在の全容すらもはっきりと浮かし知らせる。もう、見えない道がないのです。何も特別なことではありません、自身の真相を知った者もそう、遮二無二の果てに、荒野と変わらぬ終点の大地へ辿り着いた者もまた、同じ感慨を抱く。貴方様の妹君、フランシス・エルゴール様も、やがてはそこに至るでしょう」

「…………」


 掻き乱すようなメロディーのエンディングにVサインして、誰よりもに熱を込めていた彼女のパフォーマンスは完走された。


 一際大きな歓声が起こった。

 それはきっと、今日一番の盛り上がりだった。


 けれど、無粋な話をすれば……判定のための数値で相対的に見れば――きっとそれは、他よりほんの少しだけ大きいくらいの歓声。


 それでも彼女は、そのほんの少しを握り締めて、今、道を信じた輝きを表情に、一寸の先をも照らすような明るさを表していた。


「きっと苦悩に沈むことがあっても、あの無限の輝きは、失われることはないでしょう。褪せることがあっても、変色することがあっても。全てを諦めるその日まで」


 温かな拍手を送って、それから、シュリフはリプカの方へ向いた。


「リプカ様、彼女たちの輝きをこの目で初めて見たその日、私は涙を流していたと言ったら、貴方は笑いますか?」

「――いいえ」


 リプカは一つも笑わなかったけれど、彼女自身が小さな笑いを一つ漏らすと、瞑った視線を空のほうへ持ち上げて、独白の続きを明かした。


「私は未知に挑む道の先に、生まれながらに到達していた。なかなか、情熱的な言葉を口にすることはできない。――だから、みなが笑顔で、顔を上げて、前を向いて歩いていく。そんな光景を空に描こうとしたことは、今更存在の位置を弁えず私が初めて抱いた、自分の姿を求めたる希望でした。それを思うことは……清々しくさえあったのです」

「…………」

「道の全てが視えるから、それ以外のどこにも踏み出せなかった。しかしある日、未来を全力というものを目にしたそのときに。未来を全霊という選択肢に、気付いた。どんな選択すらも意識した瞬間に演算が働いて予期の内に収まってしまう、けれど、ただ未来を信じた全霊を尽くせば、もしかしたら――。もっとも、それから幾度かそのことをこころみてはいますが、まだ一度も上手くいった試しがないのだけれど」


 シュリフの不器用。

 シィライトミア邸でのこと、アンヴァーテイラへの心遣い。

 リプカは改めそれを思って、胸を刺す感傷に切なくなった。


「視える道を踏み外してまで暗がりへ踏み外すことに、意味が宿る時が来るのかなんてことは未だに分かりません。しかし私はどうやら、本心からそのことを信じていたのでしょう。今回のこと、最後の未来の事に限っては――矜持に背を押されたそのとき、道ではない暗がりの場所に。自身の地獄すら知り尽くしてその先に見た、最後の願いに触れたとき、初めて抱いた強い意思に押されて――」

「貴方様の、矜持」

「そう、病名意識わたしの矜持」


 自分の胸に手を当てて、それを少しだけ、握り止める。

 彼女は目を瞑っていたけれど、ここではないどこかを見つめるように、瞳の焦点を遠くした彼女を、そのとき、情景で見た。


「貴方様は尋ねた、私が失われるそのこととは?


 それは、私にとってのそのこととは――【病名】としての私の運命の果てに、誰かが失われる事です。その現実が訪れた時、私というものは失われるでしょう。


 隣人を裏切る、最愛の者を売る、子等こらを生贄にする。


 まだ良心が残っているなら、人なら誰でも持つだろう、道徳倫理の最低限と引いた線。私にとってのそれが……私の命運に巻かれた誰かのしっし。私が心と決めた最後の主柱しゅちゅう、自尊と赦し、超えてはいけない線、私と云う意識のそのもの。人間のそれと同じように、病名意識わたしの矜持はそこにあります。


 ――道の無い暗闇を信じた私が、矜持に動かされて己が背を押した。自分でも驚くほど迷いのない力を背に受けて、願いの自覚が自負となり、未知なる旅路の行く末に希望を持たせて進ませた。そう。私はその先の光を心底から信じていた、だってその道は、私にとっての常闇とこやみと、真反対にある場所だったから――。


 けれど……どうやら私は、私自身のことはよく視えていても、私の傍にいてくれる他者のことには思うほど、目が行っていなかったようですね。ほんの少しだけれど……随分と、思った以上に」


 それを語るシュリフの微笑みは穏やかだった。


 その表情は、心を語りながらも凪いでいる。


 リプカは張り裂けそうな感情に、思わず胸間を押さえた。


「一寸の先も無い場所へ踏み出して。何者でもないその者が、空虚に満ちた胸を張り、希望を手にして真実と言って、それを信じて歩み出す。――愚かなこともあったのだと思う。しかしどうしてか――――リプカ様、陽炎かげろうであったはずの希望のともしびが……消えないのです」


 片の手を、リプカの手のひらの上に乗せて。

 シュリフは胸内の情を言葉にした。



「リプカ様、私は分かりません。それでも私がそれを求めようとするこの心は、いったい何なのでしょう?」




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