第百八十五話:アンヴァーテイラのドナドナ

「随分遠いですね。あの地を場所に指定してきたことの、意図はなんだろう……?」

「どうせ、大切な局面だから、こちらも自分語りを用意しておいたほうがいいかもなとか、そんな考えでしょう」


「なるほど。……アン様がくれた助言、今日一日がなんのためにあったのかを考えろという示唆は、つまり三日目の今日は、ミスティア様が話をよりスムーズに進めるために見通したことであった、ということでしょうか?」

「そーだと思いますよ。ああ、庇うわけではありませんが、サキュラ嬢が熱を出したことで、あの女を責めるのはお門違いかと。能力以上の過多を負い、神を気取る巫女のような真似に走るような奴じゃない、あの女は自身の身の丈を人間サイズに定めることを決めているから。まあその話も今日、あるでしょう」


「昨日の素晴らしい楽しさがあったから、今日がある。ミスティア様を責めるような心情はありません、その過程を否定するような考えは持ちたくないから。それに、アン様。今日だって、きっと、素敵な日です」

「そーですか」


「はい。…………。……あのですね、アン様。そろそろ……その『くびリ殺ス』というような、殺気を……収めて……」

「私も禽鳥きんちょう語の簡単なところは会得えとくしているのですが、あの小鳥がさえずるに、『暇であることは知っています、都合が良いからついでに来なさい』ですって。――きっと禽鳥きんちょう類には礼儀の意味が理解できないから、自然、そんな簡素な文面になったのでしょうね。それ以外あり得ないでしょう?」


「…………」


 リプカは目元を覆って俯いた。


 筋の立った手を握ったり開いたりしながら、地獄のような視線を外へ向けるアンヴァーテイラは、血も冷たくなるくらい怒っていた。


 何故そんな怒っているのかといえば、理由は小鳥の足に結ばれていたという紙片にあるのだろう。


 聞けばそれには、次のようなことが記されていたらしい。



『貴方にとっての大切。一昨日伝えたそのこと――生まれの家を離れる、一つの決断が迫っている』



「誰が頼んだんだ、誰が」


 ずっと声調子だけは冷静であるのが、より恐ろしく、怒りの程を表していた。


 これはどうにもならないなと諦めながら――リプカは内心で首を傾げていた。


(なんだか……なんだってこんなような伝え方を……? 紙片なんかに記さず、そのワケを添えてきちんと直接、伝えればよかったのに。――それでも怒るだろうことを嫌がった? ……でもそれなら、今から会いましょうというのは理に叶わないし……)


 どうにも、なにか引っかかるものを感じていた。


「アン様。昨日と一昨日は、シュリフたるミスティア様と、何をお話しに……?」

「ん、まあ――今までお疲れ様貴方はもう自由ですっていうねぎらいの成り損ないみたいな伝達と、ちょっとした雑談挟んで、それから、いらんこと口にしくさって……。んで昨日は、貴方はもう私から離れた自由であると言った手前あれですが、然るべき時に半身たるミスティアのことを気にかけてあげてほしい、といったことを、一方的に押し付けてきた――……。――――ん?」


 怒りに捕らわれていたアンはそこでふと、冷や水をかぶったみたいに情緒を冷静に墜とした。


「…………。話、って、なんだ……? もう話すこともないだろうに……。――――……。なんか…………嫌な予感がするな――」


 奇遇だが、他人事ながらリプカもそこに、肌を逆撫でする嫌な予感というものを犇々ひしひしと感じ取っていた。


 ただ……毎度のことアテにならない、トンチンカンな自分の勘のことである、こうまで嫌な予感を覚えるということは逆に、そこに不穏な意味は含まれていないのかも、なんてことも思っていた。


(これは、私たちの感じ取った不吉の予感とは関係のない、彼女の導く、必要な見通し――もし、そうであったのなら)

(いま隣にアン様が在ることは、大きな意味に思える……)


(新王子のお三方――今日中に出すであろう、三つの選択肢、三日の果ての答え)

(この局面でアン様を共に同行させた意味は……アン様の存在を示唆するため……?)


 そんなことを推察した――。



 まあ、結論から言えば、肌を逆なでするほど確かに感じたその嫌な予感に、間違いなどなかったのだけれど。



 このたびのことはアンヴァーテイラ個人だけに向いた、他に関係のないそこで完結した話であったし、あとにした推察こそトンチンカンな考えで――ミスリードだった。


 逆鱗を無造作に引っ掴んで剥がすような、アンヴァーテイラ個人へ向けた試練。


 ただ……リプカもアンヴァーテイラも、さすがに、そのようには考えられなかった。先に待ち受けるのは、二人の予感をゆうに超える奇想天外のらんであるだなんて、さすがに……。


 だって――……。


 ――傾けた眉を寄せて思案巡らせていたアンだったが、やがて取り出し見下ろしていた紙片をしまうと、ひとつ息をついて、考えを打ち切った。


「まああの女も、これ以上こちらの神経を逆撫でする真似は、さすがにしてこないでしょう。一昨日、あれだけマジにキレた後であるわけですし」


 その筋の通った理屈に、隣で聞いていたリプカも頷いた。


 ただ怒っただけでない、明らかデリカシーに欠いたことでデリケートな部分に触れてしまった、そうして買ったマジの憤怒の後であるのだから、さすがに――。


 最悪の想定を破棄して、アンはもう一つ大きな息をついて気持ちを切り替えると、座椅子に座り直した。


「これ以上はない。面倒ですがこういったこともこれで最後だと思って、このことを片付けたら一発殴ったろってことを奮起の燃料に、仕方ない、頑張りますか。――最後というのは、あの女との、いまの関係において、って意味でね」


 これも最後――、その言葉に僅か表情を陰らせたリプカへ、アンは何の気ないように末尾、言い足した。


「……アン様、どのような結末になるのかは、分かりませんが。どうか、見ていて。そして、その先の未来を、そのときは……共に見つめてほしい。そうしてくださいますか?」

「……ま、自然とそうなるということもある、当然という意味で約束しましょう。――その先の未来が、どのような結末であっても」

「――ありがとう」


 その直情な瞳から顔を逸らし、外の景色に視線をやりながら、アンは少しばかり真面目な色を添えてそのように答えた。


 予想だにしない、冗談みたいな試練が迫っているのは、当人のほうであるのに。


 無防備に、馬車に揺られていた。ドナドナ――。


「…………しかし、こんな苛立ちを覚えておいてなんですけど。考えてみれば、これは……大した成果であるのかもしれない……。なんだか慮りの成り損ないみたいなことを、あの女が試みるとはね。隣人の意味に連なる“助け”――紛れもなく、このことがその意味に連なる事であることは間違いない。あの女がそんな感性を発揮するときがあるとは。見通したという最後に、あの女も少しは、人の心というものに方向正しく、寄ることができたということなのか――」

「きっと、アン様を想う――だからこそ寄ることのできた心遣いなのでしょう」

「……フン。まあ、殴るのは確実にこなしますが、……少し慮るだけはしておきますか」

「その時は、その慮りを形にして……その血管の浮いた手の力を少しだけでも抜いて、手加減してあげてくださいまし……」


 そんなことを話しながら、二人はシュリフたるミスティアが指定したというその場所へ、あの活気に溢れた街並みへと向けて、走る馬車に揺られていた。


 ガタゴト、ゴトゴト。

 ドナドナ。


 

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