第百七十八話:私たちの生きているこの世界

 夕暮れにさしかかろうかという橙色に染まった空の下、四人は今日のお宿へ向かう馬車に乗るため、並んでゆっくり歩いていた。


「だいだいいろの空のしたー、手をかざしながら、明るい太陽めがけてウィンク……♪」


 リプカとオーレリアの間に並び、二人と手を繋ぎながら歌うサキュラの声が空に吸い込まれてゆくさまに、もうすぐ今日一日も終わるのだな、なんて感慨を抱く。


 リプカはポケットに手を突っ込みながら隣を歩くアンへ声をかけた。


「私、やっぱり、セラ様に夢見すぎなんでしょうか……?」

「今日一日の終わりに、一日の時間を無駄にしないためのことを考えて労を割くとは感心な心掛けです。その感心に免じて正直に答えましょう。夢見すぎだよ」

「そうなのかなぁ……」


 アンのコメディめいた調子の返答に、夕日に移り変わろうという太陽へ呟きを投げかけた。

 アンも、なんとなくの視線で傾く日を見つめながら、話を挙げた。


創話そうわとは違うんですよ、私ら生きてる人間です。演じている面もあれば捨てられない中身もある。誰だって、人間生物という類の生き物として余計でしかない、とびきり弱い中身を抱え持っているものです。でも人はそれを人間らしさと呼んだりもする、捨てがたく、わかがたいのでしょう、きっと」


「それは、その通りかもしれませんが」


「その弱さと戦ったり、受け入れたり。あるいは個人の中に眠る『強すぎる衝動』がそれを飲み込んだり、その弱み自体が強すぎる衝動に変質して最たる個性の形となったり。あるいは『無』を望み生きる屍となった者も見た――」


「それは――また……、戦慄に肌が粟立つお話ですね……!」


「色々見たけれど……、克服の方法は数あれど、しかしやはり、人間生物として余計でしかないはずの弱さというものは、人間、どうしたって持っているものではないでしょうか。えにしを繋ぐために。無を望んだ男でさえ、最後は人間性に飲み込まれて人形として失格の有り様を見せていたのだから……」


「…………」


 空恐ろしい話はともかくとして。

 人間、どうしたって人間的弱さを持っているものという話は……リプカにとって、とても納得できるものであった。


 私もそう。


 そして――あのフランシスでさえも、それは例外ではなかった……。


「セラ様がその弱さを、極めて優れたる強度で克服していると考えるのは、浅はかでしょうか……?」

「浅はかだとは強く言いませんけれど、見ていて『おいおい』とは思っちゃいますね、それほど露骨です」


 ビスビスビス、とリプカを指差しながら、アンは、ハッと目の覚めるを指摘した。


「なんだか完全無欠の超人王子みたいに語りますけれど……貴方だって本当は、彼女の弱さをその目で実際、見ていたのでは? 強さが印象的すぎて、忘れているだけで」


(――――……)


 地獄の晩餐会でのこと。

 シィライトミア邸でのこと。

 ティアドラからの報告――。


 ――言われて気付いた。


 どうして忘れていたのだろうか……?


(――弱さとは、強さと打ち消し合うような単純ではないのに。それは、私が一番よく分かっていたことのはずなのに……)


「小説などの物語作品では、キャラクターの性格が初期とは違うといったことはよくあることですが、これが現実の場合は、必ず理由というものがあります。――生きてるんですよ、私たちは。だから弱みも抱えている。それは自然なことです、そうでしょう?」

「――はい」

「見せた弱さがご都合によりなかったことになどならないし、抱えた苦悩がコメディ調で消失するということもない。それでも強さを張らにゃ渡れない世の中だというのなら、友人なら、世の中ツレえこともあるわなっつって適当に適度に理解しながら、貴族ですから、適切な距離もって遊んだりすりゃええんでないの?」

「……アン様って、いま、おいくつ?」

「もうすぐ十一」

「嘘ぉー……」


 一種の呆れを浮かべるリプカを無視して、アンは人差し指を宙にくるくると回した。


「まあ言うなら、アレです。人当たりの良い側面は“懸命”だし、その懸命を分かってくれない人間だって多くある。プライベートでも当然としてその懸命を要求してくるヤツ、あなたの夢見がちは、ソレ」

「ゴッ……、ガーン…………ッ」


 リプカも女である。

 感性の知としてそれは理解できるところの話で、故に金槌が空から落ちてきたみたいにショックも大きかった……。


「そ、そんなぁ……」

「――でもアン様、なかには、進んで懸命を見せたいという類の人もいるものでして」

「まあいるけれども。あナニ、オーレリア様はそのタイプで?」

「まあ……地の面の見せ方というものがイマイチ分からないといいますか……。ま、参りましたね、話の振り方をチョット間違えました……」

「ヘタに甘やかそうとするからそうなるのです、ヘコますときは徹底的にヘコませればよろしい」

「しかし、とっさの助力とは、その人の気質に魅かれて出るものですから。混ぜ返そうとしたことは事実ですが――」

「甘い、だからこそシバくときは徹底的にシバくことが――」

(…………。これが成人女性の姿か……)

「リプカー……、いま、何のことを話してるのー……?」

「ん、えっとですね、つまりは――」


 日が暮れる。今日も終わる。


 あと一日。

 彼女たちとこうして過ごせる時間も、もしかしたら――。


 ふと思う。


 新王子たちと過ごす日々がなければ、とんでもないことになっていたかもしれない。


 リプカは再三に、シュリフたるミスティアが導きたいと願った未来についてを思った。


 友達。

 ――なんとなく、理解し始めたこと。


 リプカはようやっと、シュリフの構想に、ある類の実感を掴むことができた。


「まあ、貴方の思っているその想定は、だいぶにズレた所感であると思いますけれど」

「え?」

「いえ、なんとも。――おっ、大聖堂にが灯った」

「ん? ――わぁ……!」


 それもアルファミーナ連合の技術なのだろう。

 白熱灯のぼんやりとしたあかりとは一線を画す鮮やかな光が雰囲気良く、大聖堂を照らし上げていた。

 元の素材の良さもあって、それは感嘆の浮かぶ景色である。


 オーレリアに後ろから肩を抱かれながら「うをー……すごい、きれい……」と瞳を輝かせるサキュラ、その数歩後ろで、リプカはアンに語りかけた。


「【エレアニカの教え】……良い経典だと思う。願わくば未来でも大切にされていてほしいなんて、自然とそう願っていました。――もっともそれは、心配するまでもないことかもしれませんね」

「――んー、どうでしょうね……」


 荘厳な大聖堂を望みながら、しかし、アンは意外なことに声を落として言葉を濁した。


 リプカは、アンの表情と大聖堂とを、幾度か視線を行き来させた。


「ど、どうしてです……?」


 その微妙な表情のワケを問うと、アンは顰め声で答えた。


「宗教としての核が、この教えには欠けてますからね……」

「宗教としての核……なくてはならないモノ……?」

「というより、普通の宗教であれば自然、それが根幹となる要素ですよ。


【エレアニカの教え】は本当に良い経典だと思う、より良き道を示し、しかも、それこそどんな奇跡じゃって話ですが、利権や金回りも大体クリーンです。こんな宗教、世界全土を探しても他に無いですよ。


 ――でも祈るための宗教じゃない。


 祈りとは人間がどうしても行ってしまう行為であり、だからこそ、その受け皿として宗教が必要なんだ。しかし【エレアニカの教え】は、祈るためというより……教えを示すことに特化しているから。もしかしたら……他の宗教に飲み込まれる恐れもあるだろうと――そういった話です」


「…………」


 荘厳な大聖堂を見つめる。

 凛とした象徴、その佇まい――。


 それほどまでの激動が起こるものだろうかという疑念と、何が起こってもおかしくないという心細さを同時に覚えた。リプカは今日初めて、大聖堂に向かって、祈りの手を作った。


 人に託す願い、その象徴だという槍に込められた思いに、どうか人々が多く、多く、祈りますようにと、願って。



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