第百六十四話:口付け――人外証明・1-1

 結局、シュリフと上手く向き合うコツについてはアンから聞き出すことができなかったけれど、代わりに語られた話はそれで興味深く、そして考えさせられるところの多い内容だった。

 疑点や疑念もまた、多くあるという意味で――。


 どうしたって、少し極端な不可解に思えてしまうこと。


 あれだけの才能があって、状況を一変させる力には至らないだなんて、そんなことがありえるのだろうか……?


 本当に? どうしたって届かない現実というものも、あるにしたって、大抵のことは――。簡単に考えすぎなのだろうか? その問題については、悩んでも分からないところであった。


 また、再三の形で気に掛かった疑念にも注視がいった。

 つまり――シュリフが目指している結末は、どういった何処いずこの場所であるのか? 変わらず、現時点に至っても、まったく見えてこない謎である。


 アンはシュリフの能力の限界を語ったけれど、意外と、限界点が目視できる、超常能力の及ばない領分というものが明確な形であったとしても。


 結局のところ、異能、異才の及ぶ範囲内の領域に関しては、自由自在とするところなのではないかという話で――。

 間もなくそれすらも崩れ去るという想像も語られたが、その想定地点がどこであるのか……リプカには未だ、想像すら及ばない。


 シュリフとの対談を重ねるにつれて、それも判明してくるところであるのか、それとも、結末を迎えるその時まで未知なままであるのか――。


 ――――と、そんなことを考えるうちに、常人より体温の高いリプカの体が、少し冷えてしまうくらいの時間が経っていた。



(…………来ない。…………)

(大丈夫、かな……)



 ロコが指定したのは、人目に上手く隠れたような小道、モニュメントらしき小さな噴水がぽつねんと存在している場所スポットであった。


 裏道との境みたいな場所の通りで、野鳥の行き来のほうがずっと多いくらいに人通りはまばらだった。小さな噴水は、四方一メートルくらいの囲いの中で、可愛く打ち上がった水量が一応のこと「噴水です」と主張している程度の慎ましいものであり、人通りはないけれど、人に聞けば場所が分かるという、密談の待ち合わせ場所として、そこは最適な場所スペースであった。


 その噴水前のベンチに座りながら、リプカはそわそわと辺りを窺った。


 時々人は通るけれど、待ち人の姿はない。

 過ぎる時間が、とても鈍く感じた。


(…………。――ロコ様を信じて待とう。ジタバタしても、しようがない)


 そう思って、心を据わらせたつもりになっていたけれど――さすがにも長い時間、誰も現れなかったとなると、どうしたって不安は思ってしまった。


 幼年組の王子たちは、近衛に護衛を頼んで、喫茶店で待機してもらっている。


 幸いアンも、ロコとの秘密のお話か、と都合良く察してくれて、大人しくしてくれていた。


(まだかな――)

(――――いえ、また突然、こちらの度肝を抜く形で現れるかもしれない。用心しているに、越したことはない……)


 とはいえ、さすがにこう、長時間気を張っていると、疲れる。


 だから、思わず一息をついてしまったタイミングで、正面から声がかかったときは――分かっていたのに思わず、小さく飛び上がるくらいには驚いてしまった。


「こんにちは、リプカ様。――また、会えましたね」

「――――……」


 お尻にスプリングが付いてるみたいにビョーンと飛び跳ねた後――。リプカは少し不貞腐れたみたいに頬を膨らませて、待ち望んでいた待ち人を見つめた。


「わざとですね……? 絶対、そうです」

「驚かせてしまいましたか?」

「はい、驚きました――ミスティア様」


 ミスティアは品良く微笑むと、リプカの隣に、腰降ろした。


 今日はマフラーを巻いている。辺りは特別寒いというわけではなかったが、どうしてか、ミスティアのファッションは周囲に浮かず、とても似合っていた。


 再会の感慨に耽ることは略して、リプカはシュリフの瞳を見つめて、間を置かず語りかけた。


「次に会う機会は、三日後――。今日会えたことは、貴方様の想定外でしたか? ミスティア様」

「どう考えますか?」

「……想定外である表情には、やはり、見受けられません」


 ミスティアは笑った。


「私が嘘をつくと、皆、意外そうな顔になります。私にはそれこそが意外ですが、これはどうやら、人の癇に障る主張のようです。過去このことを明かしたとき、アンヴァーテイラには殴られました」


 容易に想像できるその構図に、リプカは苦笑してしまった。


 ロコは役割を果たした。

 昨晩のうちに頼んでいた、明日、シュリフたるミスティアと対談のため、引き合わせてほしいという指令を遂行して。


 ミスティアは微笑んでいる。


「私に何かお話が?」

「たくさん、お話ししたいことがあります」

「しかし、時間は限られています。貴方様はそれに――気付き始めている」

「そうですね。――それでも、たくさんお話ししたいことがあるけれど……。まずは、ミスティア様、いくつかのことを教えてくださいまし」

「どうぞ。私に答えられることであれば」

「ミスティア様の言った、『あと四日後』の後、事態の急変を迎えると仰った七日目以降の日に、――いったい、何が起こるのでしょう?」


 その問いに対する答えも。

 やはり、無駄の削がれた合理スリムな口述で明かされた。 


「あの日から七日が過ぎた八日目の日に――シィライトミア家に属する使用人の多くが反旗を翻し、セラフィの居場所が一時的に奪われるという事態が起こります。私を生かすために、アルメリア領域へ『【シュリフ】という病状が成った』という情報を漏らした執事を中心として裏切りが起こり、彼女らの策でセラフィは家を追われてしまう。残念ながら、私の手では事態を止められませんでした。――反旗を起こすために必要な勢力の形成が成るのが、七日後の日。そうなれば事態は複雑化し、後手の対応に追われるうち、セラフィを元の場所へ呼び戻すチャンスは失われてしまう。だから、七日のうちに全てを終わらせてほしいのです」


「――――ちょ……っと、待ってください……」


 リプカは頭を押さえながら「待った」をかけて、必死の表情で事態に追い付こうとしていた。


 あと四日の後。

 七日以内に全てを終わらせてほしいというシュリフの願いを叶えられなければ、セラフィを呼び戻すことはできない。


「…………」


 ルーティーンを挟みつつ、頭を回し、じっくりと考えを重ねて……リプカは口を開いた。


「御者を装っていた彼女……。私たちが最初に会ったシィライトミア家の使用人は……貴方様を恐れていた。それがどのような形での恐れなのかは計り知れませんが、そのような畏敬を向けられている貴方様の意思に、言葉に、否や反旗を唱えられるものでしょうか? 貴方様は未来が見通せるというのに。他の使用人に謀反を呼び掛けるにしても、それを察知できる貴方様と、どうしたって面と向かい合わなければならない、その状況下で、そのような事態が起こるものでしょうか……?」

「彼女は、その現実への対抗策を実行しました。己の命を天秤にかけるという奇策を。『私の反旗に干渉することがあるのなら、私は自ら命を絶つ』と、私の目の前で、自らの胸にナイフを突き立てながら彼女は宣言した。私は、その言葉が真実であること、もしもの場合どうあろうと彼女は、本当に自ら命を絶つことを知っていたので、それを止められなかった。『貴方のいない世界に何の価値も無い』と。――困った子」


「――貴方は」


 声を、僅かに枯らして。

 リプカは目を見開きながら問うた。


「貴方様は、それでも、自らが消えることを選び取るのですか……?」

「彼女とはまた、話し合って、そして私の考えを伝えるつもりです。私の意思は変わりません」

「…………。事が起こる要因、そのお話は、理解できました……。ありがとうございます。――そしてもう一つ、教えてください。ミスティア様、貴方様が思い描く結末の景色とは……いったい、どんな場所なのでしょうか?」

みなが笑顔で、顔を上げて、前を向いて歩いていく。そんな光景を、私は空に描こうとしています」


 それには、輪郭明瞭に、はっきりと答えて。

 シュリフは空を見上げた。


「私という『病名』を巡っての結末としては、奇跡みたいな光景ですが――もしも一つ望むのならば、私はそれを願いたい。誰も顔を俯けることなく、心情は計り知れないところですが、それでも視線を上げて前を見つめられるように。それが私の思い描く場所、私の目指す遥かな望み」


 シュリフの表情には、息吹を運ぶ、まだ冷たさの残った風のような、スッキリとした清涼があった。


 リプカは拳をきゅっと握った。

 反感を思ってのことではなく――『


 病名。シュリフは自分をそう表現する。


 それはイマイチ理解できない、シュリフ当人の感覚。いったいそのように表しているのか……心情の井戸の深ささえも、見通せないし、触れられない。



 けれど、リプカはもう、それに触れる術を知っていた。



 立ち上がる。


 シュリフの前に立った。


 ……シュリフは微笑み、無言で瞳を瞑った。


 ――――――怖い。

 今度もまた――あの時と変わらず、どうしてか……。


 自分は恐れている。心情をゾワつかせる衝動が再び奔る。


 また、息が荒ぶる予兆を覚えて、自分に落ち着きを言い聞かせた。


 じっと佇み、心拍が整うと――一歩進み出て、シュリフの顔に近づいた。


 本当に間近まで顔を寄せたところで、戸惑うように、僅か迷って。



 そして――――シュリフに口付けした。




  

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