第百六十三話:運命の体現者
「セラフィ様のことを、特別な人間であるとは思えないと仰った、その理由を教えてもらえませんか?」
指定された場所に赴く道中、リプカはアンに、そのことを尋ねた。
アンは視線だけをリプカへ向けると、小さく鼻から息をつき、肩を竦めた。
「理由……そう思ったからとしか言えませんが、その内訳の詳細を語る感じでいいので? ――そうですか、面倒になったら喋るのをやめますが、まあ、それまでは語っても」
「できれば、面倒にならないで……」
アンは逆手で頬を掻きながら、目を細めて、語った。
「最初に言っときますけど、これはなにも、セラフィ・シィライトミアの当主様を貶めているとか、そういう話ではありませんよ。特別であるという尺度も、私の主観である価値観を指して言ってるモノなわけで――、そしてそれは、別段、誉め言葉でもない」
「ええ、それは、話を聞くうち……なんとなく理解できたところです」
「私の言い表している特別とは、その存在だけで、状況を一変させることができる者を指しての言葉です」
さらに目線を細め、視線を俯けて、アンは言った。
その表情に、リプカは思わず、きゅっと口元を結んだ。
「まるで、己こそ世界の真理とでも言わんばかりに、個の主張を体現する者たち。私が言っているのは、そんな奴らです」
「状況を一変させることができる者……。セラ様もまた、そのような資格を有しているように思えるのは、私の見立て違いでしょうか? 私は……それに多く、助けられてきた」
「その存在だけで、状況を一変させることができる者、です。セラフィ・シィライトミアは、その存在、それだけで世界を変えてきた埒外ですか?」
「ん、んー……」
「言い方を変えましょう。セラフィ・シィライトミアは、フランシス・エルゴールのように――自身が新たな常識であるような、運命の体現者、そんな埒外でしょうか?」
「…………」
その具体的な例には、さすがに、口を噤んでしまった。
人を指して使うには相応しくない、埒外という言葉で妹を表されたそのことにも、少しも怒りは湧いてこなかった。埒外、確かにそのくらいの言葉でなければ、あの才は言い表せない、そのことを知っていたから。
ある種、間違いみたいな才覚。
自身が新たな常識であるような存在。アンの言っていることは、リプカにとって、よくよく理解できることだった。
その存在がこの世に在るとき、集団の必要性で構築されているはずの常識が、個の要因で塗り替えられ、更新される。
セラがそのような存在かといえば――。
……確かにそれは、貶めているわけでも、蔑んでいるわけでも、罵っているわけでもない。
「極めて優秀な者。簡単に言えばそんな感じですが、そんな言葉じゃあイマイチ表しきれないことは、貴方も知っているはず。故に、埒外。セラフィ・シィライトミアを指して、特別な人間であるとは思えないと言ったのは、そういった理由ですよ」
「なるほど……、理解しました。――けれど。特段の非凡を定義するときには、その人の特色だけを素直に見つめようとする視野が前提として必要になってくる――私のその論において言葉にしている『特別』においては、やはり、セラ様はまさに当て嵌まってくるように思えます。そのことについては……どう思われますか……?」
「それもやはり賛同できかねるところです。貴方、シィライトミアの当主様に夢見すぎですよ」
「夢見すぎ……!?」
「いいですよぉ夢見てても、それはその人の勝手です。けれどそれじゃあ、あー……、その支えになることはできない」
くさい台詞を恥じるように、アンは間延びした表情を浮かべて言った。
「なに言ってんだか私は」という気恥ずかしさの億劫を見せながらも、それでも話は続けてくれた。
「笑んでるようにも悲しんでいるようにも見える、水面に映った影法師に手を差し伸べても、意味ないでしょ。明後日の方向に手を伸ばしてるだけです。少なくとも、特別って枠でくくるには早すぎる……そのように、私は思いますけれどね」
「…………。――確かに……。それは、仰る通りかもしれません」
意味するところを察して、リプカは表情を少しだけ険しくした。
懸念の筋には真っ当を覚えた、アンの警句。
(もしかすれば)
(外から見れば、私は本当に、セラ様に夢を見ているように、映るのかもしれない……)
可能性の話だ。
――けれど、らしくないことをしている、と自覚しているふうで、それでも語ってくれた彼女の見解である。
重要に感じるには、十二分な理由だった。
「もう一つ――」
告げられた懸念を、その筋を、心に留めて。
そしてリプカは時間を置かず、続けて伺い立てた。
「シュリフたるミスティア様と、どう向き合えばよいのか……お話するコツみたいなものがあったら、それを、教えてくれませんか?」
「あ゛?」
凄い返事がきた。
リプカは冷や汗かきながら、拝み倒すような勢いで頼み込んだ。
「お願いします、毎回、相手のペースに押し負けるような有り様で、気付けば話が終わってしまうことが多く……そこをなんとかしたいんです、自分の主張をもっと声にできるように……、相手に伝わるように。そのコツみたいなのがあれば、ぜひ……!」
「あ゛ぁあ゛?」
「ミスティア様の想定が崩されるのを愉しみにしているとか、そういったことを仰っていたじゃあないですか、そのよしみで……!」
「なーにが“よしみ”じゃ」
邪険にそう言いながらも。
表情を難しくしながら、アンは髪を掻いて視線を反らし、一つの間を置いてやがてポツポツと声小さくも、語ってくれた。
「――特別とは、その存在で状況を一変させる者を指しての例えだと、話したでしょう。それでいえば――あの女もまた、別段、特別であるわけではありません」
「えっ!?」
「だって、考えてもみなさい。状況を一変できてないから、今こうなってるんでしょう」
素っ頓狂な声を上げたリプカへ、アンはその事実を示した。
「そ、それは……。まだ、結果までの道中であるからでは……?」
「フランシス・エルゴールであれば、そもそも、こんな宙ぶらりんみたいな曖昧な状況に、陥ってますかね」
「…………。いいえ――それは、否、です……」
示された事実は……確かに、そうであったけれど。
あの、特別の体現者として疑うべくもない事を、信ずるより前に確信する、そんな彼女が……?
「特殊であっても、特別とは思えない。あの女はね、どうすることもできないことは、意外と、どうすることもできないんですよ。どうすることもできない――多くの事情に関してね」
『時々、自身の見た未来が外れることを期待することがあります。それが稀にしか起こり得ないことを知っていても、願う度、何度も。今回も熱に浮かされ、だいぶに馬鹿なことをしましたが――私一人の尽力は、やはりどうしたって、空回りでしたね』
アンの弁に、リプカは、シィライトミア邸で交わした会話を思い出していた。
どうすることもできないことは――どうすることもできない。
「超常的な能力で策は弄せても、それだけ。少なくとも、私が見てきたあの女の実像、そこにあったのは、そういった人物像です。飛び抜けてはいますが、才覚の届かない領域は確かに見える。だからね――」
アンは表情をくしゃりと崩した。
「あの女の想定が崩されることを、楽しみにしているとは言いましたけれど――実際は、十中八九間違いなく、何をどうしてもあの女の想定は、最後の最後で崩れ去りますよ、きっとね。そう、貴方が何をしなくとも」
「ど、どうしてですか……?」
「世の中舐め腐った奴っていうのは、最後の最後でそういう目に遭うからですよ。驚くほど同じような道のりを辿る……、世のテンプレ構造です」
「テ、テンプレ構造……」
言っていることはよく分からなかったけれど、アンの言葉には、明確な輪郭があった。
空にため息を吐きながら、アンヴァーテイラは気も一緒に抜けるような声を、宙に向かって投げたのだった。
「人はいつだってそうだ。己の身の程を弁えることはできても、どうしたって、他人の才を常識で計ろうとしてしまう。あの女を見ていると分かるようです。――それでも、人間は愚かだったと」
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