皇女オーレリアの説教――常識変革における、柔軟《理性証明》と圧倒《存在証明》――・1-2

「ヘアカラー……。常識はどんどん塗り替わっていくものですね。常識なんて、ほとんど知らない身だけれど……。見た目にビックリするスタイルも、もしかしたら、未来では、それが常識の基準として行き渡る世界であるかもしれない。そう考えると、なんだかドキドキします」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐアンとサキュラの後ろを歩き見守りながら、オーレリアに話かけると、皇女は楽しそうに相槌を打った。


「そうでしてね。未来にドキドキを抱けるのは、素敵です。ただ残念ながら、それを一番に楽しめるのは、社交界が主戦場である貴族令嬢ではなく、自由に羽をはばたかせることができる城下町の民なのでしょう。常識の壁を超えるほどそれが広まるのは、もっと後になってしまうかも。……ちょっと、ツマんないことを言いましてね」


 頬を掻くオーレリアに、リプカは考え込みながら、思い付きを口にした。


「常識……。やっぱり社交界に見慣れないスタイルで行くのは、控えたほうがよいことなのでしょうか? だって、目新しいスタイルで赴けば、目立つでしょう? 社交界は目立ってナンボな世界だって思うことは、浅はかなのかな……?」


 常識というものを九つの歳の子に尋ね聞くのも妙な話だったが、オーレリアへの世間体的な気兼ねというものは、もうとうに取り払ったリプカであったので、そういったこともごく自然に問うていた。


 オーレリアは顎に手を当てて、面目のツラを脱いで尋ねたその真っ直ぐな問いに、真摯な姿勢で応じた。


「うーん、目立ちはするかもしれませんが、悪目立ちということもありますから。下着一貫で会場に現れたお人がいたら、それは、あまり良くない意味でビックリしてしまうでしょう?」

「た、確かに……」

「髪を虹の色に染める、下着一貫で現れる、その二つにある差は……常識の線引きの、距離でしかなかったりします。本当にそれだけでしかない。これは冗談などではなく、もしかしたら、遥か先の未来では、下着で社交界に赴く、そんな常識も、根付くことがあるかもしれませんから。戯言たわごとではなく――そのスタイルを広く広める、優れたるデザインを生み出す者が現れれば、けっして無いことではありません。結局のところ常識とは、普遍意識という単純な内訳。社交界では特にそれが大切になってきますから、目新しすぎるものは場にそぐわないということもありまして。悪目立ちしてしまう、というのはそういうことです」

「なるほど……」

「でも、その常識の線引きの、距離というものは……案外、難しいものでしてね。私も、そのさかいについては、よく分かっていません。分かっている人などいるのかしら? なんてことも思ったりします」


 オーレリアは言葉を区切ると、新しい認識が混在する、歓楽街の色彩を見渡した。


「私はジュミルミナ、常識の全景を見渡して、瞳に収め続ける、それが使命たる存在です」


 またキャスケットの中の、白銀の髪に、僅か触れた。


「新しい認識が絶えず押し寄せる、いつの時代もそれは同じ。――お母様から教わった言葉ですが、当時の私にとっては、あまりピンとこない言葉だった。けれど、見渡し続けた今なら分かる……おそらくそれは真実。ならば大切なのは、“『自由』という抽象における、心の主張と、世の示したるところの領域、その双方を、より深く、より理解して捉えること”なのでしょう。どちらに過不足があってもいけない……そのとき、本質が見失われてしまうから。その先においては、どんな論議も……冷淡な言い方になりますが、意味を成さないという意味では、獣の叫びと同じです」


 獣の叫び。

 言葉を意識の中で転がしながら、リプカは僅かの間考えてから、結局、伺いを向けた。


「どういったお話なのでしょうか?」

「では……リプカ様、ヘアカラーという一例を取り上げて考えますが、これは、人が集団を作るにあたっての社会常識から考えて、問題の無い行いでしょうか、それとも外れた行いでしょうか?」

「ええと……。――問題の無い行い、であると、私は考えます。なぜなら、他人に迷惑をかけているわけではないし……個人の自由に収まる範囲の行いであと考えるからです」

「なるほど。では、もう一例取り上げて。アリアメル連合では今現在、ヘアカラーという新しい価値観に流行の兆しが見られますが……まだその段階ですらありませんが、近年ではもう一つ、目新しい認識が国外から流れ始めてきています。それは、『入れ墨を体に入れる』という行いです」

「へぇ、入れ墨――イレズミ!?!??」


 リプカは思わず大声を上げて問い返してしまった。


「え――――い、入れ墨……って。――ほ、本当に……?」

「ええ、カルミア連合のほうから流れてきた、新しい価値観であるようです」

「そ、そう、なん、ですか――。い、入れ墨……」


 リプカが驚くのも無理なかった。

 何故ならこの大陸において入れ墨とは、罪人を表す刻印であるのだから。


 派手にそれが刻印されれば、もう大手を振るって通りを歩くことなどできない。リプカは残念ながら、に関わることが今までに幾度かあったが、は実際、例外なく、人道というものから外れた連中であった。


 露出した肌にまで彫りが及んだ人間を街中で見かけたら、確実に牽制の視線を向けるし、場合によっては突然、遠慮容赦なくブッ飛ばすだろう。入れ墨というものは、そのレベルの証明である――。


「いや、そんな馬鹿な……」


 思わず口を突いて出た言葉に、オーレリアは頷いた。


「なかなか、受け入れることが難しい価値観であると思います。それが革新となって現れるのは、もうずっと先のことだと思われまして。――さてリプカ様、では、ここでもう一度、問いを……。着飾る意味で、体に墨を入れる――これは、人が集団を作るにあたっての社会常識から考えて、問題の無い行いでしょうか?」

「う――うーん……。…………」


 顔を梅干しみたいに渋めて、長く考えた後、リプカは思考を振り絞るような声で答えた。


「それは……社会の在り様を保つ規律を……乱す行いのように思える。だって……そうだとしか思えない。わざと、罪人の行方をくらますことを目的に、ファッションにしているとしか……。くさびの証明は必要です、じゃないと……常識を踏み越えてのさばるバ――者共もいますから。牽制は、絶対に必要です。それの意味を暈かすとなると――」


 個人の自由の領分から逸脱してしまっている。

 難しい表情でそう結んだリプカの答えに、また頷いて、オーレリアはリプカへ笑みを向けた。


「リプカ様の意見はとてもよく、的を得ていました。というのも、入れ墨がファッションとして広まった起源はまさしくリプカ様の仰った通りで、カルミア連合エグィズデリタ領域において、支配体制を築こうとした貴族家の不条理な横暴に対抗するために、民が自ら体に彫りを入れて、罪人の烙印という意味を暈かし、また団結しようとしたことが始まりの、その場所にとって意味のあるスタイルであったのです。その歴史に感銘を受けた者がファッションとしてデザインしたものが、現在カルミア連合のごく一部で流行している、自ら彫りを入れるという価値観、というわけでして」

「なるほど……。でも……うーん……。オーレリア様が仰った通り、それが一つのセンスとして流行し、広まるのは、もっと、ずっと先のお話であるかもしれませんね……」

「そうでしてね。その暁には、入れ墨という名前ではなく、もっと他のカッコいい名称が冠されるかもしれません。――さてリプカ様。ではここで、一つ問答を。入れ墨という認識がリーズナブルなセンスの価値観として広まるには、いったい、どんな何が必要になるでしょうか?」

「えっ。――――ん、ん……。――ちょっと考えさせてくださいね」

「はい」


 リプカは考えた。

 その道のプロフェッショナルから直々に、様々な教えを受け勉学を重ねたリプカである。もう、何も知らない少女ではない。


 ――ただ、地頭のほうは、別段代わり映えしているわけではなかったけれど。


「……じ、時間が必要……?」

「残念ながら、誤りと言わざるを得ない回答でして」


 リプカは肩をがっくり落とした。


「僭越ながら、私の考えを説かせてください。それはでしてね、きっと――心の主張と、世の示したるところの領域、その双方を過不足なく取り入れる『柔軟』でして」

「あっ。――先程の話と、繋がるわけですね」

「はい。分かりやすい話をしましょう。――エレアニカの教えが説く『人の自由』の一節である、同性同士の恋愛についてですが――カルミア連合のほうでは、それを忌避する価値観があり……迫害を向けられる勢いすらあります」

「それは……酷い話です」

「その常識には、起こりの理由があって……極寒地であるカルミア連合では、出生率が領域の、ひいては国の存続に関わってくるという重大な事情があるからです。だからこそ広められた、都合という名の常識――」

「――なるほど」

「差別の目を向けられることは、とてもつらい事です。でも――では、エレアニカの教えの教徒として、エレアニカの教えを、一点の曇りもない信念、迷いのない直情をもって、カルミア連合へ開け広げたのなら……どうなってしまうでしょう?」

「――石を全力で投げられるし、真逆の結果になれば、国が滅びます」

「そう。故に、エレアニカの教えをカルミア連合へ布教するのなら、状況に合わせた柔軟をもって、そこに込められた本質を伝えなければならないでしょう。そうすれば、素敵な結果も想像できる。柔軟な形でなければわたらないし、固すぎる形は狂気に転じてしまう恐れすらある……」

「なるほど……」


 何度目の相槌か分からなかったが、そのそれぞれがきちんと別の意味を持っていて、そのたびにリプカは、己の内に何かを得て蓄えていた。


「心の主張と、世の示したるところの領域、その双方を、過不足なく見ることが大切。理解できるお話でした。――しかし、それが適切であるように思えることから考えるに、やはり常識とは、時間をかけてゆっくり変態していくもののように思えます」


 それを話すと、オーレリアはニッと笑んだ。


「ところが――今までのお話をひっくり返すようですが、実はもっと確実に、そして劇的に、つねであるはずの常識を変える方法というものがあるんです。柔らかくフィットさせるという私の述べた抽象と違って、こちらはこれ以上なく明確です。常識は、実は、変移していくだけのモノではない。常識はある条件の元、『進化』するのでして」

「――――。…………――デザイン。デザインの話があった。そう、常識を変えるほどの革新的――いえ、常識を塗り替えるほどの……圧倒的が表れること?」

「とても素晴らしい答えです、リプカ様!」


 九歳の子が言う賛辞であったが、オーレリアのそれは不思議と、人の心に清々しさを与えた。


 照れて頬を掻くリプカへ、明るい勢い調子のまま、説教の続きが口述された。


「そう、常識を塗り替える――圧倒的な存在、圧倒的なデザイン、圧倒的な新発見、圧倒的な論理! それが証明されたそのとき、常識はまさしく一新される! 一瞬で、新しいイロが世界を染める。上辺だけではなく染まったそのカタチが、そのまま世界のカタチの一部となる……。そう、例えば――エレアニカの教えという、信教のように」

「あ……。言われてみれば、まさにその例でしたね――」

「圧倒の証明は、塗り替わった世界と、領分を別にする世界にも多大な影響を及ぼします。領分が重なった先の、まったく類の異なる領域にも、意外な形で。だから、もしかしたら……入れ墨のお話だって、無限の価値を示す何者かが現れれば――それだけで常識が塗り替わることもあるかもしれません。下着の話も、然り――」

「むぅう――。お話を結ばれたところでお茶を濁すようですが……無限の価値というのは、想像するのも難しいものですね」

「そう」


 オーレリアはパチリと開いた瞳で、リプカを見つめた。


「圧倒的なものは、世に生まれること自体が稀も稀。――それが証明される確率となると、きっと、さらに低くなるでしょう」

「証明が様々な要因で妨げられてしまうこともありますし……自身の才能に気付かない、なんてこともあるかもしれませんね」


 まあ、それはないか、なんてことを思いながら述べた答えに。


「そうですね」


 オーレリアは、苦笑いで答えた。


 サキュラを叩き落す素振りを見せながらも、結局おぶって先を歩くアンヴァーテイラが肩を竦めたことには、リプカは気付かなかった。


「己の姿を見たことがなかったということも、きっと、ありふれたことでしょうから」


 不思議と心に染み渡る声色で。


 オーレリアはそのように、説教を結んだ。




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