第百四十二話:夜明けと夜の希少・1-1
「いや今日はいいでしょ」
リプカの決意を片手で取り下げるようなぞんざい調子で、ソファーにごろりと寝転がりながら気の抜けた声をかけてきたのは、アンだった。
とびきりの微笑みで歓談を誘ったリプカに対する、返答第一声がそれである。
やるせない。
「意気込み十分なご様子で現れたところ悪いですが、そうやって自分を急かしすぎても、いいことないですって。そんな気合い入れられて向かい合われても、困っちゃいますし。ねえ、オーレリア様」
「ん? ん……――いえ、心を尽くして向かい合っていただけることは、光栄な機会です。ですが、あまりに気を張り詰めたご様子だと、お話ししにくいというのは、あるかもしれません。でして、自然体でお話ししてくださると、嬉しいです!」
「ですって。ねえ、サキュラ嬢」
「リプカ、気合いじゅうぶんー……」
「ということです。――おやどうしましたリプカ様、酷暑に晒されたアイスキャンディーみたいに溶けてしまって」
ガクリと膝をついてしまったリプカを、ソファの上から寝転び姿勢で見下ろしながら、アンヴァーテイラはいぢわるな言葉を吐いた。
へこたれたリプカは見上げるように、アンへ口元を
「……そんな、鼻っ面を叩くみたいなことを、言わなくてもいいのに」
「まあまあ。考えてもみなさい、リプカ様」
部屋に備えてあったお煎餅を片手に語るアンは、いかにも適当調子であったが――よく見れば、半目なその瞳の奥色に、若干真面目な情が見てとれて。それを見取ったリプカは一応のこと、きちんと話を聞く体勢を取った。
「そんな『シリアスで行きます』みたいな姿勢でいられたら、打ち解けられるものも打ち解けられません。私たちはお互い立場が特殊で、繋がりそのものが奇縁です。べつに社交界で顔を合わせたというわけでもないんですから、まずは肩の力を抜いて、なんでもない雑談から初めてみるべきでは? ――いやメンドくさいから言ってるんじゃないですよ?」
その顔にははっきり『
アンヴァーテイラの饒舌は止まらない。
「いきなりですよ、『皆様、お時間よろしいようでしたら、お茶でも頂きながら、少しお話などいかがですか……?』なんて、こんな
「そう、でしょうか……? そうなのかも……」
「――僭越ながら一応突っ込ませていただきますと。アン様、私たち一応、貴族令嬢でして。そして、だらけているのはあなた一人」
「おっ、フフ、言うようになりましたね」
ずびし、と茶目っけのある表情で己を指差したオーレリアに
「確かに、そういった考えも、あるかもしれない……。言われてみれば、道理のあるお話です。――でも、お話ししたい事というのも、それはそれで、雑談ですので……ええと……」
難しい顔で悩むリプカへ、オーレリアは柔らかな微笑みを向けた。
「リプカ様、そう難しく考えることはないと存じます」
「ほうですよ」
アンはといえば無味無臭の無表情、オーレリアと対極の人情の無さで、煎餅をバリバリと
「オルエヴィアの軍師様も仰っていたでしょう、頭を柔らかくしろと。あれはどういう意味だったんですかね……? べつに特別意気込んで話す必要もないでしょう、ただ疲れてしまいます。無意味な充実感は、もしかしたら得られるかもしれませんけれど。肩の力を抜いて話したって、それで禍根は残らんでしょうし、そのほうが良いと思いますよ、私は」
「――そうかもしれません。考えてみれば、このような機会も貴重であることですし――」
「ほらまだお堅い」
言い淀んだリプカへ、アンは起き上がって腕を伸ばし、リプカの口に煎餅を一枚、ずむりと突っ込んだ。
「むぐゥッ!?」
「はいお茶」
「熱い……」
「落ち着きましたか?」
「あんまり……」
「――随分と、ソワソワしていますねぇ。刻限が定められている中で、こうして
その指摘に、リプカは息を飲んで――煎餅の粉を吸い込んでしまって、むせてしまった。
「リプカ……大丈夫……?」
「あ、ありがとう……」
「ぶきっちょですね」
「うぅ……」
サキュラに背をさすってもらい、呼吸を落ち着けると――。
リプカは、迷うような沈黙の後に、アンに向かって一つ、頷いた。
「――はい。アン様……正直、少し……少しならず……不安に思ってしまいます……」
「ふうん。――具体的な行動を、まだ自分では何一つ、成せていないから?」
「う……ッ。……そ、その通りです……」
「なるほど。…………。――それはね、リプカ様」
アンはまた、ごろんと横になって。
そして発したのは――誰にとっても意外な言葉だった。
「気にする必要はありません」
「……え?」
「不安に思う必要はありません。貴方はきちんと前に進めていますよ」
「…………」
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