第百十八話:夜明け方のその日・1-1

 その後、お茶を楽しむ歓談の輪の中に、用事を済ませたというていでアズだけがやってきて加わり、少しの間、リプカと共に皆と楽しくお話しした。


 アズが話に加わった途端、分かり易く場の賑わい方がパッと明るくなって、それを契機に皆なお一層の積極的を表して、歓談は大変な盛況を見せた。


 きっとアズだけがここに来た意味は、“こうやるんだよ”“こういう方法もあるんだよ”という手本を見せることにあったのだろうと、リプカは理解した。――それにクララが身分を明かしてしまえば、さすがに歓談どころの空気ではなくなるという理由もあっただろう……。


 それにしても上々ではないか――と、正直リプカは、自分の出来に驚くくらいの手ごたえを感じていた。実際、数日前の自分では考えられないほどの、“至って普通”を体現した順調を見せていた。


 のだが。


 まあ……案の定というか、ほどよい落とし所というか、最初から全てが上手くいくということはなかなかないもので。


 えんが交わった他人と楽しく歓談するというリプカの挑戦は、残念ながら、まったく首尾の良い十全というわけにはいかなかった。


 お食事を終えて、今日は楽しかったと皆銘々明るい顔で席を立ち、それぞれお別れを口にし始めた、その少し後のことであった。


「あ、あのさ――」


 この度の集まりもアリアメル連合の例に漏れず、比率として女性がとても多くあったが、皆が散り始めたころにリプカへ声をかけてきたのも、耳元で輝く青のイヤリングがとても似合っている、美しい女性であった。


 なんでしょう、と朗らかにリプカが尋ねると、知的な印象を受ける綺麗なショートボブ丈の黒髪を揺らしながら、女性はおずおずと言葉を紡いだ。


「あのさ、これから、二人で、遊びにでもいかない……? その後、お食事でもどうかな……?」


 おや、もっとお話ししたいというお誘いなのかな? ――と。


“こちらを見つめる女性の表情”にちょっとだけ疑問を持ちながらも深く考えることはせず、リプカは状況が掴めていない呑気な考えを持った。


「あっ、今日がダメだったら、明日でもいいし……! ――あの、ど、どうかな……?」


 窺うようにこちらを見つめる女性の表情が赤められていることには気を留めずに、クインならこの場面なんと言うであろうかということをちょっと考えてから、深い意味はなく、屈託のない笑顔を返した。


「夕刻には予定があるので、それまででしたら、ぜひ。ここのお店も、とてもよい場所でしたので、他の場所も教えていただけましたら幸い――」

「リプカちゃんリプカちゃんリプカちゃんそれはマズイッ」


 女性の表情がパッと華やいだタイミングで、間一髪、思わず勢い込んだ、アズの慌て声が割って入った。

 アズは女性のほうに小走りで寄ると、慮りと親しみを見せたひそめ声を向けた。


「ごめーん分かってっ! 実はリプカちゃん、結構いいとこのお嬢様だから、逢引きは国際問題になっちゃう……!」

「あ――……。そ、そうだよね、そっかっ――そっかぁ……」

「ん、リプカちゃんそういうの慣れてないだけで――本心で嬉しかったと思う、そういう子だから。ごめんね、今回は諦めて」


 アズは柔らかな優しい声で諭した。


 諭された女性は瞼を僅かに落とし、視線を下げて――。


「そっか、うん、分かった」


 と、事の成り行きが分からず混乱するリプカの前で、しゅんと顔を俯けて、コクリと小さく頷いた。


 それを見て、ようやっと事態を察したリプカは、内心凄まじい動揺を浮かべながらも取り乱すことはせずに、自身のすべきことを自然と見据えて、女性の方へ歩み寄った。


「ごめんなさい……! でも――嬉しかったです」


 女性は眉の下がった微笑みを浮かべて、リプカへ一歩寄るとその手を握り、ちょいと――頬に、口付けした。


 心底の残念を浮かべて手を振り、背を向けて去ってゆく彼女を見送りながら、リプカは心ここに在らずの声を漏らした。


「アズ様」

「はい」

「私、もしかして――いま、モテました……?」

「おモテになられましたねぇ」


 リプカは今頃になって、雷に打たれたような立ち姿で驚嘆を露わにした。

 アリアメル連合では水上スポーツができると、とてもモテる、ということは前もって聞いていたけれど――。


「こ、こんなにも明らかな好意を抱かれるものなのですか……ッ!?」

「そだねぇ。――周り、見てみ?」


 アズに促され見てみれば、実感して初めて気付いた魅力の視線をこちらへ向ける者が、まだ多くあった。

 先陣を取り特攻を試みた彼女が、どうやら何事かの理由があって身を引いたのを見て、いまは皆、憧れの中にある種の諦めを内包してヒートダウンしていたが――どうやらリプカはずっと、そうとは夢にも思わなかった、悪く思わぬ情の視線を一身に受けていたらしい。


「そ、そんなことが……あるなんて――」

「まんざらでもない表情ですな」

「いえ、ただただ茫然としております……。――……いいえ、やっぱり、確かに嬉しかったかも」


 ちょいと触れられた頬を触りながら、リプカは若干表情を赤らめて呟いた。


「スポーツが得意なお方は、ここに越してくるべきかもしれませんね――」

「かもね。でもリプカちゃん……そういった想いを上手に受け流す技術も、もしかしたら大切かもよ? あちらを立てればこちらが立たず、ってね」

「え?」


 アズの指差した方向を見れば――そこには、非常に微妙な表情でこちらを見つめる、クララの姿があった。


「ワァ」


 間抜けな声を漏らして、一瞬の間、完全な放心を浮かべたリプカだった。


 クララは気まずそうにこほんと咳払いして、つらつらと釈明じみたことを述べ始めた。


「いえ、べつに、いやらしくも嫉妬の欲を思ったわけではありません。それが不貞であるとも思わず――ただ私は、時間をかけてそこに辿り着きたいというだけですから」

「恋慕というのはよく分からんが、フットワークの軽さというのは、間違いなく有利の一因であるよな」


 ぐったりしたビビを肩で背負って引き摺りながら現れたクインが所感を述べて、ビビの尻を蹴り上げ気付けしながら、本日の総まとめを口にした。




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