第百十一話:霜奔《しもばし》り
ついにセラが表立って動き始めたという知らせが入ったのは、地獄のブートキャンプ、二日目夕刻のことであった。
クララの話によれば、まあ当然のこと、つつがなく粛々と顔を繋いで、特筆するところもなくそれだけであったらしい。
ウィザ連合に渡っていたはずの、セラフィ・シィライトミアの立現。
ただでさえ付き合いの近いアリアメル連合のことなので、エルゴール家との縁談の話があったところから突然、何の報もないままセラ本人が現れるというのは少し奇妙であろうが、セラなら上手くやるだろうな、とリプカは予感していた。
色々考えたいこともあったが、クインに「いまは自分のことだけを考えろ、肛門から出たての生みたて生卵ッ!!」と短鞭で尻をひっぱたかれたので、そのことに思いを馳せるのは後に回して、一旦置いておいた。
海に
つまり、シュリフを救う、その手段について。
セラはそれについて、いったい、どこに見当をつけて動き出しているのだろう……?
そのことについては、リプカは迷いなく、絶対の頼りへ思い当たったけれど……しかしそのための頼り、手段は、そう多くないように思える。
まさか、それすらも模索状態のまま、ずっとずっとその状態のまま懸命している――?
もしそうであったなら――そうであってしまったのなら。
地獄のように果てのない心労を想像して、ゾッと血の気を引かせた。セラのあの濃い隈、疲労に塗れた表情を思い返し、臓腑に鉛を詰め込まれたような感覚に陥った。
とにかく、どうにか自分も、動き出すしかない。
なにか小虫が張り切って、ムンとポーズを取っているところを思わず想像してしまったリプカだったが……しかし仲間が特別中の特別である小虫なのだと、そのことを思うと、決意に火を灯す勇気も湧いてきた。地獄のブートキャンプを経た後であるいま浮かべるにしては弱気な感慨であったが、人間なかなか、性根までは変わらないようだ。
と、まだ日も浅い早朝、ベッドの上で指を組みながら、そんなことを思案したのだが。
しばらくして、ふと窓の外、アリアメルの景観に目をやった途端に――一旦、全ての思考が、突風になぶられたように飛んでしまった。
何の気なく見下ろした外には、アリアメル連合の超常――不可思議としか言い様のない景色が、視界いっぱいに広がっていたのだ。
「はァ??!?――――エェエっ!??」
素っ頓狂な声を上げて、思わず部屋を飛び出して駆け出した。
すわ、超能力者の攻撃意思か。――アワを食った思考の中、本気でそんなワケの分からないことを思ったりもした。
――おはようございます。
酷く慌てた様子のリプカに目を丸くしながら、フロントでお宿の従業員が挨拶をかけてくれた。
リプカは狼狽を隠せぬまま、むしろ至って普通なホテルマンの様子にも動揺を浮かべながら、外に広がる景色の不可思議を伝えた。
するとホテルマンは微笑みを浮かべて、「ああ、
「し――霜奔り……?」
彼の話によれば、それは【コワタシ】とも呼ばれる現象で、一年に一度程度の頻度で見られる――現地住人にとっては超常でもなんでもない、一つの景色であるそうだ。
リプカは信じられぬ面持ちで、ホテルマンに礼を言うと、外に出た。
そして見渡した景色――。
アリアメル連合に満ちる水、豊かな流れという流れが、息が白くもならない常温の中、白く濁って、凍りついていた。
どう感じても、肌寒い程度の気温である。
しばし、茫然とその景色を眺めた。
周囲に不穏な気配がないことを慎重に確かめてから、少し街中の方向に降りてみる。すると、ホテルマンの彼の言う通り、そこには変わらぬアリアメルの住人の生活の姿があった。
道行く人々の間で、「ああ、【コワタシ】ですねえ」「そうですねえ。今年は今日でしたね」といった、挨拶代りの世間話が交わされている。ふと見れば、幼い子供たちが笑いながら、白く濁った氷の上に乗って、はしゃいでいた。
リプカもついつい、胸を高鳴らせながら、初め爪先でつつくように確かめてから、「えい」と、氷の上に乗ってみた。
――濁った氷の下に、水の流れが見える。
「わあ……!」と感嘆の声を上げて、目を輝かせたリプカだったが、その
【コワタシ】。
きっと、字を当て嵌めるのなら、【子渡し】となるのだろう。
思い返せば幼い子供たちは、お互いに距離を置きながら白く濁った氷の上に立って、楽しげに笑い合っていた。
リプカは小柄だが、それでも、大人の女である。
突然予兆無く、それこそ霜を踏むような
足場が崩れて、音だけ派手に川の中へ転落した。
無邪気にたわむれる子供たちがある中、ドレスを身に纏った、大の大人の代表選手たる装いの少女が、子供よりはしゃいで水飛沫をあげるという超常光景がそこにあった。
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