信じはじめたそのこと・1-4

「ご案内するんでぇ、あー、付いてきてください」


 クインに座椅子代わりにされていた執事が、悪意丸出しな気だるい口調の声を発しながら、一応の案内役を務めて、見送りのため馬車まで付いてきてくれた。


 そんな執事の背を指差して、クインがのたまった。


「おいダンゴムシ、こいつを拉致すれば、今後何かと有用に働くのではないか?」

「ヒッ――」

「なんか許される雰囲気あるしなァ」

「バッ、馬鹿にするなぁ……っ!。ご主人様は、あの、アレ……――馬鹿に、するなぁっ!」


 ぎゅっと皺を寄せたしかめっ面を作りながら、反論のなり損ないみたいな曖昧を返答した執事に、リプカは歩み寄って話しかけた。


「執事様。貴方様にとってミスティア様は、どんなお方ですか?」


 彼女の人柄を少しでも掴みたいと、参考意見として尋ねた窺いであったのだが。

 ムッと尖らせた唇を慌てて改めた執事が返した答えは――予想のどれからもかけ離れた、抱いていたイメージの枠外から飛んできた、そんな回答であった。


「…………。お母さん」

「え――?」

「強いて言えば、私にとってあのお方は、私のお母さんです」


 ――思わず、シィライトミア邸を振り返る。


 人情の見える一面を覗き、その人柄に近付けたと、そう思っていた瞬間もあったのに。いまだに、まるで雲を掴もうとしているように、イメージが捉えられない……。


 人柄と考えることに無理があるのか。

 分からない。今の自分の実力では、その問題は、及ばぬ領域にあるような気がしてならなかった。


「クイン様」


 シィライトミア邸に残るティアドラの代わりに御者台に座ったクインの隣へ腰掛け、リプカは改まった声を向けた。


「私がこれから学ぼうとしている、様々における勉学についてですが……できるだけ時間を詰めて、懸命させてください」

「あん? ――フン、いい度胸だ。地獄のブートキャンプコースでしごいてやるから、覚悟をしておけ」


 ピシリと手綱を鳴らし、馬車をかせながら、クインは厳めしい声を発した。


「帰ったら早速始めるぞ。容赦があるという甘い期待は、それまでに捨ててしまうがいい」


 リプカは頷いた。


 ブスッとした表情の女執事に見送られて、一行はシィライトミア邸を後にする――。


「……んで?」


 手綱を手繰りながら、なんの気なしという雰囲気で、クインが問い掛けてきた。


「シィライトミアのに、いったい何を伝えに行ったのだ? 聞かれたくないなら、それでいいが」

「それは……私が、一番欲しかった言葉を伝えに行ったんです」


 クインは「ほおん」と素っ気ない返事を返して、その後は黙して、馬を手繰った。


 ――不意に、雑木林のトンネルに差し掛かる前、まだシィライトミア家の空が見渡せる庭内を走っているところ、甲高く、妙に濁りのある鳥の鳴き声が上空から聞こえてきた。


 見れば、シュリフの部屋で戯れていた、あの子であろうか……? 見覚えのある小鳥が、宙を踊るように飛び回りながら、馬車の跡をつけていた。


(…………あれ?)


 そして、リプカはそこで気付いた。

 シュリフからお土産として渡された、『禽鳥きんちょう語のためのハウツー』が記された用紙が消えていることに。


(…………)


 不用心で失くした、というわけでは、ないのだろう。

 なんとなくであるが。

 あれを話のタネに、セラと歓談を弾ませる現実もあったのではないかと、そんなことを思った。


 自分は選択を誤ったのだろうか……?

 しかし何にしても、もう未来は進み出してしまった。


「《ヂュビィイイチルピピビピピ――……》(雨×の××なく、南×××空×は、晴れ××が射してい××)」


「……ビピチルピピチピ――(さよなら、また会いましょう)」

「――――お前いま鳥と会話したか!?」


 上空から降るように聞こえてきた、妙に濁りのある囀りに、あくまで人間の声ではあるが確かな返答をしたリプカにぎょっとした声を上げて身を引いたクインへ苦笑を浮かべながら、リプカは思った。


 全てのことは、先入観の像。

 確かに、そうなのかもしれない。リプカはシュリフの謳ったその思想を、信じはじめていた。


 例えば、神技だと疑わなかった言語的表現が、蓋を開けてみれば、比較的分かりやすいディティールが詰まっている単純であったことだったり。先入観で断じて、見ようとしなかったから今まで見えなかった……意外な一面性。


 自分はこれから、いったいどんな事を学ぶのだろう?


 状況が状況であることは理解していたが――。

 それに想像を巡らせると、どうしても――どうしようもなく。


 心内のどこかから湧いてくる、ワクワクするような気持ちを抑えられなかった。



 ここからが、きっと本番。

 私は変わる。変わることができる。

 だって私には――こんなに凄い人たちが、傍に付いていてくれるのだから。

 どんな困難も越えてみせる。



 雑木林のトンネルに未知への期待を重ねて、リプカはその先に広がる光、その景色を想像して、拳をきゅっと握り込んだ。


 不安から来る緊迫を跳ね退けるくらい、胸を高鳴らせながら――。






「《ピルヂヂヂチチヂチ……ピ……》(南の空は雲薄く、ずっと晴れ間が射している)」





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