第九十五話:妖精人《ようせいびと》シュリフ・1

「『暴力はいけない』って言うけどさあ、ここまで弱い大人を見ると、それもどうなんだろうなぁとか、思っちゃうよな」


 はしたなく股を広げて腰を落とした、爪先立ちのしゃがみ姿勢で。

 突き出した膝に腕を乗せながら、ティアドラはいつもの挑発的な色のない、しんみりとした口調でぼやいた。


「例えば、キレてナイフを取り出すような馬鹿な若造くらい、大人だというのなら、どうにかできて然るべきだろ、とか思っちゃうわけよ」


 言いながら、目の前で猿轡さるぐつわを噛まされたうえ、手足を縛り上げられ転がされている男三人へ視線を向けた。


「最低限というか……いい大人が、情けないと思わないのか? 書類で戦うスタイルを絶対視しているのか知らんけど、実際こうなっちまったとき、お前らはいったい、なにを思うんだ……?」


 本気で分からないというふうにぼやくティアドラだった。

 視線を、少し離れた位置にずらす。

 そこにはもう一人、リプカが捉えた、簀巻きにされた密偵があった。


「なあ、お前らどうして、『どうにかなる』と考えちまったんだよ。――まあ、たまにいるけどな。それを成すために必要となる技能を磨く努力なんざ、生涯一度もしたことがないってのに、それが出来ると、どうしてか思い込んじまう奴ってのは。大義を掲げるのに必死で己を鑑みる余裕が無い奴や……ミクロなところでいや、無為無策でツキを信じるギャンブル狂いだってその類いだわな、ガハハ」


 あくまでのんびりと、返事のない雑談に興じるティアドラ。

 その気の入らなさが、内心の、本気の呆れを表しているようであった。


「猿猴捉月のふるまいってな。ちょっと違うか? なんにしても、おとなしく吐いちまえって、大人なんだから。いまの時代、注射一発、飲み薬数滴で事足りちまうんだ、粘るだけ双方気力を使うだけなんだからよ」


 そこまで語ると、目の前の三人のうちの、手近な一人へ手を伸ばし――身を引いたその男の猿轡を取っ払った。


 男は僅かばかりに、しかしどうしようもなく呼吸を乱しながらも、ティアドラへ油断のない暗い瞳を向けて、動揺さえ見せぬ肝の据わりようで相対の意思を示した。


 そんな男へ、ティアドラは髪を掻きながら、一つ、重いため息を漏らした。


「分かれ。ごっこ遊びなんだよ、お前ら。どれだけ雰囲気に浮かされて、まるで一流のような態度を取っても……お前らさっき、少しでも抵抗できてたか? あのなあ、そっちは組織だろうから、集団の力があるからな、いまいちピンとこないかもしれないけれど――こっちから刺客を送り込めば、お前ら一日で全滅だぞ」


『頼むから分かれ』、と、怒りとは無縁の感情で言い聞かせながら、手遊びのように、男の乱れた髪を手櫛で整え始める。――威圧などない、むしろその対極にあたる情さえ見える所作で、これでは含む意味ない可愛がりである。


「アリアメル連合っつう環境でこんなことをしでかそうというのが、無理があったんだって。このままじゃ、それこそ猿猴捉月のふるまいだろうが。前に二人、中間に一人、気付かせない後方に一人っていう、ご立派なフォーメーションで監視してたとこ悪いんだけどさ、はっきり言うぞ、無謀だ。お前聞きかじりだろそれ。イグニュスの兵隊に頼んで滅茶苦茶される前に、目的と、どこから来たのかだけ吐いて、帰れ。それで帰してくれるみたいだから。な?」


 てちてちと指の腹で頭横を叩くと、男は顔色を真っ青にして、口をわななかせた。


 ――イグニュス連合の戦鬼は基本的に戦争屋であり、こんなミクロな争いにはまず手を貸さないだろうが……【禁足領域】を挟んで聞こえてくるイグニュス連合の暴威、そして目の前の女性がどうやらイグニュスの戦鬼であるらしいという気付きが、男の心身から、凝り固まった威勢を削いだ。


「ハイ、どっから来たんだ?」

「……アルメリア領域」

「んで、シュリフを名乗る少女を、あー、助けに来たと?」


 聞きようによっては皮肉に聞こえるそれに、男は【シュリフ】という単語に熱量のある震えを見せたのち、時間をかけて……渋々、頷いた。


「はい、ごくろーさん」


 最後にまたため息をつき、ティアドラは腰を上げた。


 ――ティアドラの後ろで成り行きを見守っていた他の王子と、クインに虐められていたシィライトミア家の女執事は、それぞれの表情で簀巻きの密偵を見下ろした。


「フン、アルメリア領域からの間者か。事情を鑑みれば、まあ、さもありなんといったところか」

「一応、もう少し詰めてみるべきではないか?」


 ビビの憂いに、女執事は頷きを返した。


「ここから先は、シィライトミア家にお任せください。皆様のお手を煩わせてしまいまして、本当に、お詫びの言葉もございません……。そして、心からの感謝を」

「オメェは先に謝罪することがあるだろうにッ!」

「ギャァアアッ!」


 クインのフライングニーに潰れたような悲鳴を上げる女執事を尻目に、クララは目を細めて密偵を見つめながら、一人ごちた。


「確かに、刺客といっても……いつかの者たちとは、質が違うように思えますね」

「いやいや、単純にティアドラさんとリプカちゃんが強すぎるっていうのも、絶対あるって……」


 本当なら密偵には聞かせるべきでないツッコミを、堪え切れず小声で漏らすと、アズは、塔を模した屋敷の高い場所を見つめた。


「――なんにしても、あとはリプカちゃん次第だ」


 ティアドラ以外の王子も思わず、そちらを見上げる。


 ――ティアドラは玄関口の柱に寄りかかりながら、猿轡を外してやった密偵へと話しかけていた。


「なあ、あんた普段はなにやってるやつなのよ? ……銀行員? オイオイ、良い職就いてんじゃねえのよ。いや悪いこと言わねえから、そりゃ退屈な毎日に特別な色を求めたいのは分かるけど、普通の中年やっとけって。働いて、飲んで、平和を享受してよぉ。それって少しもくだらなくないぜ? 【シュリフ】っつー特異点と同じくらい、特別なものだと思うけどな。……いや、鼻で笑ったけどよぉ、だって、【シュリフ】って存在がいなくとも、お前の生活は回るだろ? でもお前の平和が死んだら、その当たり前が崩れたら、お前の生活は回らなくなるんだぜ? お前は【シュリフ】っつー存在の先に、なにを想像してんだよ? 大義のために自己を犠牲にした先の未来に、お前の納得は、魂の安寧の場所は、存在してんのか? …………。……お前やっぱ、このこたぁ忘れて普通に生きろ」


 青褪めた男の肩を叩き、顔を俯けながら気だるげに腰を上げると――他の王子とは別の空を見上げて、ティアドラは平和に苦笑いするような、短い吐息を吐き漏らしたのだった。



 

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