令嬢クイン・オルエヴィア・ディストウォール・1-2

「父は立派なお人でした。様々があり、私が最後のオルエヴィアとなってしまったけれど……私が在り続ける限り、オルエヴィアの灯火もまた、僅かながらも確かに灯り続けるのでしょう。希望を添えた願いではなく、事実として、灯りを掲げる者が、今もきっとある……」


 ハーマッタンはハッと、クインの台詞に刮目した。


 場の雰囲気に、変化の予兆が現れた。

 それを聞いた途端、ハーマッタンの姿勢が明らかに変わったのだ。


「――これからどのような道を選ぶのか。重く課せられた使命ですが、そこに父の意思が共にあるような思いです。私はその使命に背を向けることなく、それを全うするでしょう。――どのような形であれ、どれだけ惨めな筋道を辿ることになろうとも」

「――そうですか」


 最後はクインらしい、烈火のような気丈の見える結びを聞くと、ハーマッタンは態度を改めた、畏まった敬意をクインへ向けた。


 ハーマッタンの様子が変わったことに、緊迫に神経をやられるような痛みを覚えながら行く末を見守っていたリプカも気付いたが――それが何故なのか、その理由までは分からなかった。


 それは至極単純な理由だった。


、貴方様の行く末を祈っております」


 紳士的な物腰で頭を下げて、ハーマッタンはそう口にした。


 プリンセス。

 考えてみれば、オルエヴィア連合が縮小し、実質ディストウォール領域が最後の領地となった今、形だけでいえば、現在クインはオルエヴィア連合の代表者ともいえる立ち位置にあるのだ。

 それを鑑みればクイーンであるが、ハーマッタンはプリンセスと、そう表現した。


 ――社交界において、資質クラスは特に重きを置かれる要素の一つである。そしてプリンセス(この場合、王族の娘、またオルエヴィア連合や北に位置する領域、海向こうで見られる、国の中枢領域を定める在り方【象徴領域】制における代表家の主、その娘の呼称)はその最高位にあたった。


 明確な決まりがあるわけではない。だが古くから貴族人は自然と、プリンセスという存在に敬意を払うものであった。誰が言い出したのかも定かでない、定着した通例であり、まさにそれは社交界に顔を出す貴族の常識であった。


 ――ハーマッタンのプリンセスという言葉に。

 ほど近くにいた幾人かの者が耳聡く、ピクリとそれに気付き、二人の座るテーブル席へ意識を向けた。


 クインは語り続けた。


「国を思う――存外難しいことですが、なれど幾星霜幾星霜、互いに姿を表すことで政治の糸口を確かめ合ってきた、語り合いの場であれば、星々の輝きを繋いで道を成すように、より良い方法が見つかるはずです。――無血は決して御伽噺ではない、私は諦めません」


 リプカにはいまいち話の筋が見えなかったが、ハーマッタンは筋道を察して何かを予感したのか、真剣な表情で、じっとクインの語りに耳を傾けた。


「苦難苦心にあろうと理知を持ち、星の輝きを示すように語らい踊る、気高さを抱き続けた到達点――演劇と称されどかけがえのない、抜き身の剣よりも明瞭に輝く英知が、慟哭の衝動に塗れた未来をきっと切り開くから」


 クインの語りへ、そっと耳を傾けている者が増えつつあることにリプカは気付いた。

 皆、なにげなく話を中断し、グラスを傾けなどしながら、見知らぬ一人の令嬢の語りに、一時の関心を向けていた。


 ――ここまでが前置きだった。そこまではまだ、一令嬢が思い浮かべる理想の話でしかなかった。

 ただの見識の披露であり、こころざしの確かな証明も、説得力さえも、その内容のどこにもない。――だが語りで縁取り形作られるようにして、舞台が整った。


 そして、次いでクインが口にした一言が――世界の全てを変えた。


 たった一言で、全てを。


 それはまさしく魔法の一言であり――クインはそれをもってこれ以上なく明確に、リプカへ、社交界のなんたるかを知らしめた。




 口にした一言、その苛烈に。


 説得力など必要なかった。


 こころざしの証明など無用であった。


 もっと言えば、クインの何をも必要としない――それはここに在る者であれば必ず胸内に熱き火が灯る、火種のような表しであったのだ。




 クインは、輝く瞳でハーマッタンを真っ直ぐに見つめながら、それを口にした。



「我々は獣には堕ちない」



 ――これもまた、リプカには理解の難しい言葉であった。

 だが、それを聞いた途端、ハーマッタン、そしてクインの語りに耳を傾けていた者が皆、一様に衝撃を表情に表した。


 クインは眉を下げ微笑み、問うた。


「夢物語であると、そう思われますか?」


 その問い掛けに、ハーマッタンは組んだ手を僅かに震わせながら――祈るように目を閉じて、深い情動を表した声色で、確かな返答をした。


「いいえ――いいえ。それは我々の、願いそのものではないか」


 そのハーマッタンの一言で、リプカは気付かされた。


 いったい何の話をしていたのか。

 クインが何を訴えようとしていたのか。


 そして――今晩学んだ最重要。

 貴族筋の人間が、何を思って社交界という形態を形作ったのか――それを、理解した。


 獣には堕ちない。

 気高さを抱き続けた到達点。

 無血は決して御伽噺ではない。


 ……全ての話が、繋がった。


「私もそう思います」


 ハーマッタンの返答に、クインは表情を和らげ、微笑んだ。


「陥れられたこの身なれど、だからこそできることが、たくさんある。混沌としたオルエヴィアに正義が照らす火が灯ることを、そうして灯った数々の火が、道のたがうことのない良き導きとなることを、私は信じています」


 これは上手いと、それにはリプカも気付いた。


 クインが祖国に裏切られ、陥れられた身分であることは、確かな事実である。耳聡い者の間では公然の噂話であろうその実際をここで持ち上げることは、いかにも同情と関心を惹く話題展開の妙手だった。


 また同時に、“諸悪たるオルエヴィア”とは全く違う印象を聞き手へ与え、クインという存在から、新たな風を感じるような印象さえ与えた。。


 吹き抜けるように鮮烈な、新緑色の存在感。


 クインのほうへ顔を向ける者の数は、次第に次第に、増えていった。


「私は歩みを止めず、進み続ける」


 クインはそう締めくくり――それが合図になって、人々の流れに変化が起き始めた。


 行く末を祈ると二度は言わず、ただ尊崇を示して頭を下げたハーマッタンにクインが微笑みかける頃には、辺りにちょっとした人だかりができていた。



「こんばんは、プリンセス。お目にかかることができて光栄です。私はルインス・ラーディクスと申します。不躾ながら、貴方様のお話に耳を傾けておりました。ぜひ私もお話したく思い――」

「こんばんは、ごきげんよう。私はルップタ・ダップノグランという、しがない貿易業を営む者でございまして。お目にかかれて光栄です。――ホ、知っていてくださった! ホホ、皆さん、私は自分で思うよりも大した業者であったようだ! ――ホフ、私も不躾ながらお話に耳を傾けておりました者なのですが、大変興味深く、是非にお話を交わしたいと思い――」

「プリンセス、お目にかかれて光栄でございます。私は、スカーシャ・ラヴロイ。――本当にお美しい、プリンセス。本当に……。ぜひお話を交わす機会を――」

「こんばんは。楽しんでいただけておりますか? 私のほうからも伺いたく思い、改めて挨拶に参りました。――お目にかかれて光栄ですわ、プリンセス。改めまして、わたくし、ラリア・クリスタロスと申します。――まあ、ありがとうっ! そう言ってもらえると、本当に嬉しいわ――!」



 ――リプカは唖然とその状況を眺めるほかなかった。


 最初は数人の関心であった。だが見る間に見る間に、そちらに関心を寄せる者が増えていった。


 とにかく、談話に興じるクインの話は面白かった。

 機知に富み、仕草一つが上品で美しく、知識見識も豊富であり、そしてなにより、ユーモアが秀でていた。


 マーハッタンと交わした最初の会話以降、クインは若干砕けた雰囲気で会話に興じていた。進んで話題を上げることもあり、そして、その機知に皆が唸るような話をしても、最後にはワッとみんなが笑うような、それこそ砕けた明るいユーモアで締めくくっていた。


 その明るい歓声が――人を離さず、人を呼び込む。


(わ、わ、わ――――うぉ、え、エェエ―――!?)


 勝負は決した。

 おふざけながらも真剣な表情で交わし合った剣先、三人の王子による競争の決着は、一目瞭然であった。


 いまや会場は、クインを中心に人が流れていた。


 貴族人たちは、言い方は悪いが本腰の入っていない会話で間を埋めつつ、クインと顔を合わせる順番待ちをしている状態にあった。

 アズとクララの周りにも、人だかりがないわけではない。だがクインのそれはスケールの違う独壇場であった。



 そして、リプカは気付いた。

 人々の、心底から愉快に笑う、その表情。

 ――みな、彼女が“オルエヴィア”であることを、すっかりと忘れている様子であった。



 社交界。

 日々練磨された「粋」を競う、令嬢の主戦場。


 なんと苛烈で、そして美しいものであろうか。いや、美しいのはただ一人――。


 リプカは茫然とその光景を眺めていた。


 資質クラス存在感オーラ素養パーソナリティ。その全てを十全に備えた人間の、なんと美しいことだろう。可愛くて美しい淑女、皆に囲まれて座り、頬を染めて微笑む彼女と自分が普通にお話していたということが、なんだか信じられなかった。


 ふと、リプカは一つ気付き、少しだけ腑に落ちた。


 これは確かに政治事であったが、しかしクインが使ったのは会話術と、そして、【扇動】の才能であった。

 皆の心に火を灯す。納得させるのではなく、扇ぐ。それはといえる、特殊な才であった。


 自分の強みを活かして戦う。その重要に気付き、また一つ学んだような気になったリプカだったが……。


 しかし。


 クインの立ち回り、その真骨頂は、事ここに至ってもまだ、実のところ表れてはいかなった。


 流れの中心となったここが終わりではなかった、まだ先があったのだ。この後すぐに、リプカはそれを目にすることになる――。


 

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