【令嬢リプカと六人の百合王子様。】第二部完結:令嬢リプカと心を見つめる泣き虫の王子様。~箱入り令嬢が踏み出す第一歩、水と不思議の国アリアメル連合での逢瀬物語~
第八十六話:令嬢クイン・オルエヴィア・ディストウォール・1-1
第八十六話:令嬢クイン・オルエヴィア・ディストウォール・1-1
いったいなにがどうなればこうなるのか、という現象はよく見てきた。フランシスの所業諸々を指してのことである。
そんなところで姉妹二人対比を見せなくてもという、無類の落ちこぼれっぷりを見せてきた自覚のあるリプカだったが、しかしフランシスの天才と自分の落第が真逆であるとは思っていなかった。
自分だって一つくらいはフランシスと近しいものを持っているというポジティブな自負ではなく、それは、存在における格の違いの自覚であった。
落ちこぼれの順当を見せてきた自分と違い――フランシスの才覚は、天才の順当では収まらぬ超越であるという理解。
実際それは正しい解釈だろう。――そして本人は気付いていないが、間違いなくそれは、学ぶ能力は悪くはないにも関わらず今まで大きな成長を得られなかった、リプカのつまずきの一因であった。
リプカはある時期から、自慢の妹、フランシスを手本に頑張ろうと奮起し始めた。……しかし残念ながら、頭の根本構造が異なる者を見本にしても何も得られないし、むしろ迷走するだけで終わるということが世の常である。
同じ理由で、異次元の才を持つ者から物事を教わるということも、実は無謀なことであったりする。
知ある者が同型の未熟者に分かりやすく物事を教えることはできても、異型の者が彼等に教え事を試みることは、なかなかに難しいことだ。教鞭にあやかる者に秘めた能力があろうと、それは鳥がカエルにジャンプの仕方を教えるようなものだから。飛翔と跳躍は、根本的に類が異なる……。
世の中、見本にしてはいけない人間というのも存在する。
――それで言うと、アズとクララの見せる社交の
太陽のような眩さで、衆目の注目を集めるアズナメルトゥ。
近づいてみれば気立ても明るく、こちらの心まで温かくなるような心地を覚える女性。話してみれば、機知に富みユーモアに秀で、退屈とは無縁の会話を楽しめる。時間を忘れついつい、長居をしてしまう彼等の心が、リプカにはよく分かった。
アズは異国の令嬢という物珍しさだけでは決してない、輝く求心力を発揮していた。
そして、クララ。
エレアニカ連合セラフィア領域の出身というステータスを活かしながらも、決して高慢な印象を抱かせず、かといって品格を損なうような
皆が彼女の登場に刮目し、クリスタロス夫人が自ら赴くほどの影響力を示したクララだったが、彼女の物腰はその事情を包みこむように柔らかだった。そしてこれが肝心であるとリプカは感じたが、その物腰は礼式で塗り固めた上辺のものなどではなく、しっかりと彼女の人柄が見える、個性を覗かせた受け答えであった。
その二人が、この社交界で大きな流れを作っていた。会場全体を観測すれば、人の行き来が二人を起点に形作られているようにすら見えてくる。求心力が、実際に形として観測できるのだ。
アズとクララの立ち振る舞いを観察するだけで、気付くことがいくつもあった。
一番ハッとした納得は、この歓談の機会が礼式の上辺に溢れていない、その理由であった。
答えは単純、考えてみれば
そんな彼等の審美眼の前では、完全武装した礼節など、性根を見抜かれることを恐れた「恐怖の表れ」に他ならぬ陳腐なのだ。
礼節は大切だが、仮面舞踏会のような表情を引っ提げて来る者は、瞬時にその上辺を見抜かれ未熟の判を押される。この世界では、人格は指摘されないことがお約束の、むしろそれ自体が人格と見なされる、それさえ覚えておけば大丈夫という儀礼的立ち回りが通用しないのだ。礼儀にプラス、人柄が必要なのだ……。
それはアズとクララ、二人の立ち振舞いを見ていればよく分かった。礼儀作法を十全に弁えて、しかしそれを踏まえて、より大きく個を見せて――。
だから二人は今、これほどまでの求心力を見せている。
貴族の洗練を体現したような、美しい人が数多くある美形揃いの中であったが、しかしその舞台で二人は、特別に輝いて見えるようであった。
本当に、見ているだけで、勉強になった。
――ただ……。
その二人とはべつのことで、……気がかりもあった。
リプカはそわそわと落ち着かない様子を見せることを堪え、そちらに視線をやった。
「…………」
クインは誰も訪れぬ空白地帯で、一人グラスを傾けていた。
クリスタロス夫人への、初めの挨拶のときから、その試練は顔を覗かせていた。
『――お初に御目にかかりまして。オルエヴィア連合ディストウォール領域から参りました、クインと申します』
クインは最初から、何一つ偽らなかった。
クリスタロス夫人は目を見開き驚きを露わにしたが、敬遠するような仕草、ましてや下賤に向けるような態度なども表すことせず、「あら――そうですか! 遠いところからお越し下さって嬉しいわ――」と歓待を示したが――さすがにそこには、隠せぬ動揺と致し方なしの建前が混じっていた。
同伴者もなく一人ぽっちのクイン。ただ孤独にグラスを傾ける今の状況が良くないことくらいは、リプカにも分かった。
孤立はいかにも不味い。
――しかしクインは、そんな絶望的な状況の中、いつもの積極性はどこへいったのか……遠くで見守りいくら待てども、行動の兆しを見せることはなかった。
このままでは、存在感を示せずに終わる。これではなんのために来たのか分からないし、噂の広まり方次第では、クインのお家柄にも、あまり良くない影響が及ぶことすらある。
リプカは不自然にならないよう視線をやりながら、なんとか力になれないかと、そんなことを考えていたのだが――。
それはまったくの杞憂あった。
リプカはなにも分かっていなかったのだ。
――やがてのことである。
一人でグラスを煽っているだけとはいえ、クインに存在感がなかったわけではない。むしろその逆、孤独にいながらも、無暗なプライドを見せ滑り気味の凛々しさを醸し出すでもなく、恥ずところのないというように背筋を正して座る、儚げな美少女。不思議と奇妙な印象は抱かず、ただただ目が魅かれた。
――しかし、わざわざ声をかける者もなかった。誰もが彼女と顔見知りというわけでもなく、場にそぐわぬという意味の奇妙はなかったが、異種独特の雰囲気を持つ家柄も分からぬ少女に、進んで関わろうという者はない。
だがついに、華やかなこの場で美女が孤独という不憫を思い、彼女に歩み寄る者が現れた。
――そんな彼はきっと、深い度量を心に持つ紳士であろう。
「もし、お嬢さん。よろしければ、シャンパンを一杯、ご一緒しても?」
紳士が声をかけると――。
クインはゆっくりと、紳士の目を真っ直ぐに見据えた。
ハッと、紳士が小さく息を飲んだ。
その形のよい大きな瞳と目が合って。その中で瞬く、星を散らしたような光を見つめて。
クインが上品に微笑んだ。儚げな雰囲気から柔らかな表情が花開き、遠巻きな遠目では分からなかった、彼女の美しさが際立った。
「ありがとう、紳士様。ぜひご一緒したいです」
クインは悪戯っぽく言ったのだが――これが仮にリプカの発言であったなら、相手にいらぬ不快を与えていたところだったろう。せっかくの好意を向けてもらったここで、からかうような言い草は、普通に考えれば相手の神経を逆なでするような行為である。
――なのに、クインの言い方はどうしてか不快感がなく、不思議と誠実さえ見えて、好感すら持てた。
紳士は穏やかな表情で、グラスを取り、相席に着いてくれた。
「ハーマッタン・ルートです。よく性と名が逆なのではないかとからかわれますよ」
「まあ! 私はクイン・オルエヴィア・ディストウォール。お初にお目にかかります」
その名乗りに、ハーマッタンは目を見開いた。
危ういか、とリプカは思わず薄目を瞑ってしまったが、ハーマッタンはすぐになんでもないような表情に戻り、クインを見つめた。
「オルエヴィア。それに、ディストウォール。では……」
「ええ。私はディストウォール領域の暫定当主です。父が他界しておりますので……」
「そうか、そうですか。今日知ったばかりの間柄ではあるが、そのような残念なこと、お悔やみ申し上げる」
ハーマッタンの憂いに、愛想良い表情で儀礼的な返答を返すクイン。雰囲気が幾分暗くなり、その席周辺の明度が落ちたようにすら感じた。
リプカは遠目で見ている身にも関わらず、過呼吸を起こしそうになってしまった。
ここからどんな会話を展開すればいいというのか。
一言二言の言葉を交わしただけで、『もっとこの方とお話をしてみたい』と思わせるような、人を魅了する会話ができることが重要――? ここからどうすれば、そんな雰囲気に踏み上がれる? この状況から話を発展させることができれば――それは魔法だ。
紳士の助けを待つ他ないのだろうか――? リプカがそんなことを考えた、それと同時のことであった。
クインが、“魔法の一言”の前準備たる語りを始めたのは。
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