第七十六話:疾走の末に。
走れど走れど街中はがらんどうの様子であり、周到に張り巡らされた物理的な罠や、刺客などの不躾極まりない待ち人の気配も、とんと無い。
どうやら、シィライトミア領域に誘導されている。馬車に乗車している全員が、それを予感していた。
なぜ、どうして……?
セラの思惑だろうか、という憶測は、懸念の頭先が思考の隅っこに見えた段階で、すぐに消え失せた。――リプカは、そして王子たちの全員もが、陥ったいまこの状況の策略に、悪戯を愉快に思い笑うような策士の表情を感じ取っていた。
不可思議を仕掛け、子供のように、それを単純に、愉快に思う。
化かされていて、ある意味馬鹿にされているような現状から、皆銘々にそのような情を読み取っていた。――セラの性格が成す策略とは思えない。
しかしセラが策略したものではないにせよ――彼女の思惑で発動された策略という線は、ありえる。
セラが何かを望んだのだろうか? 私たちを拒絶しているのだろうか、受け入れているのだろうか?
そしてその場合。
いったいこのような超常を、誰が、どうやって――?
そのようなことを、いまいち集中できないままの、言葉悪く言えば“片手間”で、途切れ途切れ、考えていた。
なにせ、超特急で揺れる馬車に悪戦苦闘するなかでの思索である。リプカはその壮絶な足場のアンバランスにはなんとか耐えてはいたが、気を回すことは他にもあって――クインを除く客車内の他の面々を助けるのにも必死であった。
ビビなどは、もう顔を真っ青にしていた。リバース寸前である。
「きゃっ」
「オィイッ! こんな状況でスケベやってる場合かエレアニカのォ!」
「わ、わざとじゃありませんっ!」
場違いな
リプカの腰に縋り付きながら、クララは気弱の滲む声を漏らした。
「い、いつまで走り続けるのでしょう……?」
「もう少しで一段落するはずだ、これは長時間場を持たせられるほどの継続力は望めぬ策である故にな」
クインはまったく余裕の表情で、一応に、こちらも顔を青くしている御者の女をその手で拘束しながらに答えた。
「この計画にはおおざっぱが無い、精巧が過ぎる。さすがに、長時間の間有効であるとは考えにくい。――推察するに、もうすでに、馬車で通るのに時間のかかる道は突破しているのではないか?」
「それはその通り!」
これには、意外なバイタリティを見せるアズが答えた。
「確かに、普段は車両だったり人ごみだったりが溢れてて、歩いたほうが速いみたいな繁華街の路面、特に時間のかかる道のりは、もうすでに通過しちゃってる。まるで、魔法みたいにスッ飛ばして……」
「まったく、綿密に練られた策略である。人ごみを無くしても超特急で飛ばすというわけにはいかない、幅狭の道を抜けた瞬間に状況が形作られたことといい、緻密すぎて怖くなってくるわ」
そう表現しながらも恐れを見せずに口にされたクインの論弁に、リプカは、しかし煽られるような不安を抱かざるを得なかった。
実は途切れ途切れに考えながら、リプカは首謀者に、ある人物を思い浮かべていた。
それは誰あろう――フランシス・エルゴールである。
怪異すら疑う現実の構築、どんな想像すらも及ばぬ手腕の実現に、まず真っ先に、人類種に対する主権者を体現している妹を連想した。
実際、悪戯じみた笑みの見える、性質の悪いユーモアを内包したような策略は、フランシスのやりそうなことであった。またそうであった場合、御者の女が主人に、異様ですらある恐怖を示すのも当然である。
だが同時に、リプカはこの状況に、フランシスの性分とは異なる姿を見つけていた。
リプカは考える。
もしフランシスならば――シィライトミア領域の王子、セラのほうを、リプカたちのほうに向けて激走させる。
そしてその、人の都合を人権ごと無視したような強引が作り出した、地獄のような気まずい空気を想像して、お茶でも飲みながら「ナハハ」と笑うに違いない。
フランシスがやったにしては、ブラック・ジョークが含まれていなかった。のっぴきならない状況ならともかく、そこに少しでも余裕があればそのような……俗世趣味、を、織り交ぜることに余念のない子である。リプカはそれを重々、よくよく、知っていた。
(それに、フランシスの仕業にしては、所々に粗さを感じる……)
しかしフランシスでないとするのなら――それは、フランシスの姿に輪郭を被らせた、別次元の優秀を持つ何者かがこの世に存在している、ということであった。
(正直、信じ難い――)
(そんな奇跡が、二度起きるものだろうか……?)
無限にサイコロを振るうち、度重なる衝撃に耐えかねて、割れたそれらが「7」を示す確率とは、そんなに高いものだろうか? 得体の知れない不安を抱く――。
未だ激走は続いた、そして。
やがて建物が姿を減らし、周囲は田舎道の様相へと景色を変えていった。
「うーし、減速すんぞー」
馬車は僅かに速度を落とす。車体が巻き起こす疾風で観測後に揺れていた花々が、平和な揺らぎを見せ始める。
馬車の揺れが正常に戻り収まると、ビビは素早くウエストポーチから何かを取り出し、食い縛っていた歯を引き剥がすように開き、それを口に含んだ。――途端に、青白さを越えていた顔色が僅かに回復し、呼吸が安定しだした。
「強度の酔い止めだ。肉体機能に影響を及ぼす、ほぼ麻酔だから、あまり摂取はオススメしない……」
まだ優れぬ表情で、クインへ白い錠剤を手渡した。
「フン。おい女、飲んどくか? ――お前、吐くなよ……?」
袖で口元を押さえながら、涙を滲ませて、微振動するようにコクコクと頷いた御者の女の口をこじ開け、錠剤を放り込んだ。――途端に表情が穏やかになる。
「すまん、これを飲んでしまったから、私はしばらく何もできない……」
「おいアルファミーナの、自白剤か何かはないんか?」
「ないよ。私はそんな、なんでも用意のある便利なキャラクターではない。……駄目だ、少し眠る……。おそらく三、四時間は……なにをされても……起きれない……」
最後はうわごとのように呟くと、ビビはクインの膝上へ、気絶するように倒れ込んでしまった。
「おい
「クイン様、クイン様だって、ビビ様のお膝を借りていたのですから」
「しょうがないのぉ……」
そんな会話を交わすうちに。
辺りに咲き乱れる花々が――次第に、その数を減らし始めた。
そして街を抜けてまだ僅か、なだらかな丘を越えた先の平地をもって、アリアメルにしては珍しい地続きの道が、ついに終わりを迎えた。
豊富な水量が穏やかなうねりを見せる、地を分断する川。そして水位からほとんど高さをとっていない造りが特徴的な、趣きある色合いの長い橋が見えてきたのだ。
「うそぉ……着いちゃった……」
アズが、力の抜けた声を漏らした。
アリアメル連合、シィライトミア領域。
そこに辿り着いたのは、すでに日も落ちた、しかし星々の本領には未だ至らない、空の藍色にまだ明るい紅が望める時間のことであった。
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