第六十二話:私の最たる願い
『恋にしか許されない純心。
愛でしか成せない達観。
焦がれども貴方のために祈る、朝と夜の境目。』
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クララは書状を透かし見て、領域証明と呼ばれる絵柄の判をよくよく確認した。
それが偽造であれば違法の企みが絡む事情である。明示された領域証明の偽造、模倣は、連合問わずの犯罪行為――。
だがどう確認しても、それは本物のようにしか見えない。透かすとまた違う印が浮き出るそれは、クララの知る、シィライトミア領域の証印と同一のものであった。
(……馬鹿な)
セラがここを発ったのは今朝方――まだアリアメル連合の地すら踏んでいないはずの彼女から送られてきたという重要書状のありえなさに、受け入れ難い不自然を感じていたが、しかし領域証明は
「……どうやら、本物のようですね」
クララは確認するように口にした。
リプカはまだ魂が抜けたように茫然としていたが――クララには、虚空を見つめるその瞳に、何かが映っているように見えた。
「リプカ様……なにか、お心当たりが?」
「あ――あの……」
リプカはハッと瞳に色を戻すと、口ごもった。
「……ええ、心当たりはあります。ですが、すみません、それは他言することができないのです――」
「そうですか……。しかし……よほど重大な問題が起こったのでしょうか? 決定があったにせよ、断りの告知を、こんなにも早くに通達してくるなんて……」
「…………っ!」
それを聞くと、リプカは表情を強張らせて狼狽を浮かべた。
心懸かりを思い苦しみながらも、どうしてよいのか分からず、途方に暮れている様子だった。
そんな自分を激するように、服の裾を握った拳だけが、肌白く血管浮き出るほど強く握り込められていたが――こればかりはすぐに判断を下せることではないと、クララもやむなしの思いを抱いていた。
(何事か問題が起こっているにせよ、そしてそれを知っているにせよ――それはお家の事情。それが重大であればあるほど、関与しにくい)
(そも、此度の機会を辞する旨が書された書状が届けられた今、もうすでにエルゴール家――リプカ様とセラ様との繋がりは断たれ、社交的に考えれば、両者は実質無関係も同義。そう考えれば……干渉しにくいとか、そういう話でもなくなってくる……)
クララは軽く唇をはみ、眉を寄せながら、膝に降ろした書状を見下ろした。
クララにはシィライトミア領域の――おそらくセラ個人が抱えている事情が何なのか分からない。そしてそれは他言できないことだという。
それに、セラは婚約者候補の一人である。見ぬふりをする得はあれ、助ける有益は無い。状況だけを感情交えず考えれば、そういった図式が見える。
だが――。
リプカはいま、酷く苦しんでいる様子だった。
己の意思の定まらなさ、己の力の及ばなさ、それら弱さを責めるように――そしてそんな中でも、足掻くように。
事情は分からない。けれど――。
確かに分かることもある。
「リプカ様」
クララははっきりとした輪郭の発音で、名を呼ぶと――きつく握り締めていたリプカの手を取り、優しく、自らの手のひらで包みこんだ。
驚きを浮かべるリプカの瞳を真っ直ぐに見つめながら、クララは言った。
「リプカ様、これだけは知っておいてくださいませ。私はどんな道筋にあろうと、貴方様の味方です。貴方様がどんな願いを求める時であっても、私はそれが叶うよう、全霊で力を貸すでしょう。――覚えておいてくださいね」
そう。
事情は分からない。けれど――クララには。
寄り添いたいと願った彼女が目の前にいて。私は彼女へ今、手を差し伸べることができる。
クララはにこりと柔らかに笑うと、包み取った手を再び、そっとリプカの膝の上に戻した。
「私は一旦ここを離れますね。私の助けが必要だと思ってくださったのなら、いつでも呼んでください。私もそれが嬉しいから」
そう言うと、最後に再び微笑みかけ、ベッドから降りて「では」と頭を下げると、クララは出口の方へと歩き始めた。
「――――あの、クララ様っ!」
扉の取っ手に手をかけたそのとき。
ずっと胸がいっぱいになったように言葉に詰まっていたリプカが、声を上げ、クララを呼び止めた。
振り返るとそこには、想い人の、頬を染めた表情があった。
「クララ様――私、本当に、クララ様の――心を……頼りにしております……」
その答えに。
自身がいったいどんな表情を返したのか、クララには自覚できなかった。
――扉を閉め、少し冷え込んだ廊下へと出た。
婚約者候補を助ける展開になるかもしれない。――けれどクララに、後悔は微塵もなかった。
クララの表情は、凪のように穏やかである。
(最愛を教えてくれた人の、苦しむ
(望んだ幸いが何であったにしても……私はそれを捨てられる)
いまはただ、こんなにも想えることが幸せなのだから。
――クララは清々しく胸の内に吹き込む
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