第四十四話:エルゴール家領域内条例設定議論会議

 エルゴール家の廊下に、見事な化粧を施したかのような、静かだが確かに存在感を主張する姿勢で廊下を歩む女性の姿があった。


(――胸を張る)

(顎を引く。堂々と、自信を持って)


 廊下をくリプカは、間違いなく今までで一番堂々とした姿を見せていた。


 変に体のどこかが突っ張ることもなく、肩の力も抜けている。クララが見たら惚れ直すかもしれない。それくらいに個をしっかりと主張した姿勢だった。


 ……リプカは、エルゴール家の教育で見せた覚えの悪さからは考えられない、それを思えば不自然な程の飲み込みの良さを発揮していた。


 念のためにと、あの後ビビに見てもらいながら姿勢の練習を部屋でしていたのだが、堂々とした姿の理由はそれだけではないだろう。――社交の術を教えてくれたアズのためにも、ここはしっかりしなければ。そんな思いを抱き、リプカは食卓の広間へ向かっていた。


 とはいえ、肝心の気の持ちようは、ビビとの会話により多少緩んでいた。


 それが致命だった。


(――よし)

(大丈夫……!)


 気合い十分で、広間の扉を開け放った。


 ――使用人に準備の確認を取るために随分と早い時間に足を運んだリプカであったが、広間には先客がいた。


 そもそも、あれやこれやの確認のため、使用人がリプカの元へ訪れなかった時点で、妙だと勘付くべきだったのだろう。


「……………………え」


 リプカは部屋の有り様をぼんやりと視界に映しながら、長い放心の後、小さい呆け声を漏らした。


「あーそれはそこでいい。それはそっちだ。これは……どこがいいか」


 広間に先んじて足を運んでいた者が、慌ただしく働く使用人に次々と何やらの指示を飛ばしていた。透けて輝くような赤の髪を忙しく揺らす女性――クインだった。


 広間は内装までもが様変わりしていた。


 床には仰々しい赤色の絨毯が敷かれ、どこから引っ張り出してきたのか、テーブルの各席には五つの国旗が食器の前に備えられていた。その内の一つにはリプカも見覚えがあった。黄色、黒、赤の斜め線が描かれたしるし、ウィザ領の国旗である。

 絶妙な配置で食卓に置かれた蝋燭が重々しい雰囲気を醸し出し、広間はいまや、まるで重鎮が顔を合わせる会談場のような様相に変貌していた。


「――そのくらいだろう。食事は指示した通りに」


 その出来栄えに頷くと、クインは使用人にそのような確認を向けた。


「――ク、クイン様……これは……?」


 リプカがやっとに混迷の声を向けると、クインは振り向くなり「うむ」と鷹揚に、まるで自分こそが家主であるような王者然の態度で、その疑問に応じた。


「まあ必要な場だと思ったからな。代わりにやっといてやったぞ」


 感謝せよとでも言いたげなその言い様に、リプカはますます戸惑いを浮かべた。


「必要な場……? ナ、ナニガデショウ……?」

「うむ。いまこのとき、エルゴールの屋敷で必要なこと。――それは話し合いの場だ」

「は、話し合い……」

「そうだ。故に――」


 クイン仁王立ちで腕を組みながら、カッと目を見開いた。


「これより、第一回、クイン・オルエヴィア・ディストウォールによるエルゴール家領域内条例設定議論会議を開催するッ!」

「――――???」


 その無駄に長い、あまりに意味不明なお題目の会合宣言に、リプカは口を半開きにして、完全に気を飛ばして呆けてしまった。

 クインは何をどう受け取ったのか、満足げに鼻から息を吐くと、組んだ腕を一層胸上に持ち上げて仰け反った。


 明らかな暴走、あからさまな不穏。というか、使用人がクインの指示に従順であるのを見るに、あまりに馬鹿けた考えではあるが察するに……「当主代理リプカから代理の権限を託された」といった類いの嘘を吐いて欺いているのだろう。あり得ない狼藉である……。


 即刻叩き出されるだけでは済まない、自身のお家の格を地に堕とすような、狂った暴挙。

 当然の義務を全うするものとして、当主代理としてその暴走を止めるなら今このタイミングであったが――しかし、心構えの足りなかったリプカは、それを前にして、ただただ茫然を浮かべるばかりで、その機を逃してしまった……。


 部屋を開けたら、人生をドブに捨てた少女が造り上げたトリップハッピーワールドが広がっていた、なんていう超現実と対面できる心構えは用意していなかったから。なにが起こってもそれと対決できる気構えが、本当なら、必要であったのに。――クインの賭けは成立してしまった。


「ク、クイン様、あの……」

「まあまあ、任せておけ。事は悪い方向に進みつつある」

「事は悪い方向に進みつつあるのですか!?」

「間違えた。悪い方向には進んでいない。言ったろう、これは必要なことである。お前はそれに気を配っていなかったようだから、私が、婚約者候補である私が甲斐甲斐しく、会合をセッティングしてやったのだ。婿の三歩先を進んで連れ合いの助けとなる――良い嫁の条件である。そうだろう?」

「そ、そうなのでしょうか……? あ、あの、私が気を配っていなかった、とはいったい……」

「万事任せておけ!」


 リプカの胸をポンと叩き、クインはとにかく自信に満ち溢れた表情でリプカの問いを遮った。


「クララ――あの女は女性の魅力で勝負しているようだからな。ならば私は、連れ合いとしての在り様、その魅力を示して存在を主張しよう。お前に私の嫁としての器量を見せてやる」

「ん、む……」


 なんだかとんでもないことになりそうな予感を感じながらも、どうやら自分のためにやってくれていることだという主張を受けて、リプカは迷いを浮かべてしまった。


 そして、とどめとばかりに。


 クインは表情を真剣なものに変えて、ぐいとリプカの顎に手を添えて、瞳を無理矢理自身の視線と合わせると、遊びのない語調で言い放った。


「忘れるな。最後にお前の嫁として、お前と共に連れ添うのは――この私だ」

「は、はあ……」


 リプカは気持ちの入らない曖昧な返事をしながらも――そこだけは嘘のない、力強くも透明なクインの声色に、思わずぽっと頬を赤らめて視線を反らしてしまった。


 そんな場合ではない。


「――そういうわけだ、ここは任せておけ」

「んぐ……し、しかし……」

「まあまあまあ (中略) まあまあ (中略) まあまあまあまあ――」

「む、むぐ――」


 そうして、なあなあで追及の機すら失ってしまい――結局、万事クインの思惑通りに事が運んでしまった。

 クイン・オルエヴィア・ディストウォールによる、エルゴール家領域内条例設定議論会議。その謎の催しの開催は、今やもうどうしようもない秒読みの段階であった。


 ……様々を学ぶ少女の現在である。思うところはあるかもしれないが、どうか、その行く末を見守ってやってほしい――。


「あの、クイン様。結局のところ、その会議はどのようなものなのでしょうか?」

「いまに分かるっ! 私の嫁としての裁量を見せてやろうじゃないか!」

「う、む、む……」

「まあ泥船渡河というしな。なにも特別危険な船体でもあるまい」

「…………? 何か仰いましたか?」

「いやなにも」

「そうですか……」


 ――時刻はもう間もなく、夕食時。



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