第四十二話:夕暮れ時のお別れと未来水準の奇妙・1

 リプカとて元々女子である、基礎技術を理解しているところからのスタートということもあり、アズによる化粧術の教鞭は、途中難儀しながらもなんとかかんとか、夕刻前には、あらかたのところまで履修を済ませることができた。


「んじゃリプカちゃん、またすぐに戻ってくるから! ――でも、私のいない間に決めちゃっても全然構わないんだぜ?」

「ぜ、善処します……! ……やっぱりちょっと寂しいです」

「もう、すぐ戻ってくるって」


 夕暮れの兆し、赤い日に染まる景色の中、正門前でパレミアヴァルカ連合からの迎えを待つアズを見送りに出たリプカは、ちょっとだけ沈んだ表情を浮かべていたが――どうしても隠せなかった気落ちした心は、アズの眉を下げた微笑みに照らされて和らいだ。


「二、三日で帰ってくるよ。したら、また色んなことを一緒にやろう!」

「はい! いまから楽しみにしています」

「うへへ、私もっ」


 二人仲良くお話ししていると――遠くから、リプカにとって聞き慣れない、轟く唸り声のような音が響いてきた。

 尋常ではない轟きだった。その異音は次第に明瞭になり、近付いてくる。


 クインに対する刺客――。


 思考よりも早く直感が脳裏をよぎり、リプカは思わず警戒態勢を取ったが――アズは視界の上に手をかざして、なんでもない調子の声を発した。


「お、来た来た」

「え――?」


 困惑するリプカの視界に、それの正体が映り始める。


 遠目で見ても何なのか分からない。なんなら、はっきりとその正面像が見えてきても、それの正体は掴めなかった。獣かなにかだと思ったくらいだ。


 そして――土煙を上げながら、けたたましい駆動音と共に現れたそれは――。


「こ、これは……」


(――――自動車?)


 ――で、あるはずだった。


 近づくにつれ速度を落とし、やがて土煙がたたぬよう徐行して、自動車は二人からやや距離をとった場所に停車した。リプカは口を半開きにして、目の前のそれを見つめた。


 メタリックな黒の外皮とガラスで覆われた、外と内が完全に隔絶された構造。後部の筒から煙を吐き出し、前を照らす光源はあまりにも眩く、冷たい。


 自動車――リプカもその存在は知っていたし、何度か目にする機会もあったが……目の前のそれは、リプカの知るそれとはだいぶに形が異なっていた。


 それは奇妙に平べったく、横幅は細身で、とにかく縦に長い。スリムなようで、目の前にすると、とてつもない威圧感がある。本当に時たま、街中を走っているところや、フランシスが利用するときに目にした、箱型の正方形である自動車両と比べると、それは明らかに異質なデザインであった。


 一線を画している――。その異型を観察するうち、馬車の親類のようなデザインの見知ったものよりも、それは自動車両の形として、より鮮麗されているように思えてきた。


「――パラティン6R型か。さすがに良い車に乗ってるな」


 運転席から降りてきた女性に荷物を預けるアズと、後ずさりしながらも好奇の視線を車体に送るリプカの後ろから、そんな声がかけられた。


「おー、ビビちゃん! 見送りに来てくれたの?」

「パレミアヴァルカ連合の、お偉いの出立だからな。粗相のないように見送りにくらい出るさ」

「理由が儀礼的すぎて悲しいし!」


 アズの憤慨に笑いながら、お偉いの見送りと言いながらも作業着姿のままで出てきたビビは、アズに手を差し出した。


「まだ日は浅いが、お前といると楽しいよ。次はもうちょっと接点があると嬉しいね」

「おっと、へへ……。――それも儀礼かい?」

「半分程度はそうだな」

「うおいっ」


 気軽に笑い合うアズとビビの対人能力に謎の焦りを感じながらも、リプカは景色にそぐわない異型の自動車から視線を離せずにいた。

 それに気付いたアズが、リプカの手を引いた。


「ここらじゃこういう車は珍しいよね。これすごい頑丈だし速いんだよ? 時速200キロくらい出る」

「へ、へぇ……すごい……」


 時速200キロという速さがどの程度のものなのかは上手く想像できなかったが、アズに手を引かれて間近で見た異型の複雑、そこに詰められた技術水準の高さには察しがついた。

 角部分やちょっとした凹凸、外皮の滑らかな曲線――その局所の一点ですら、どのような技術で加工したものなのか見当もつかない。


 その科学技術の粋を間近で見つめながら――。


(…………)


 リプカは、僅かに眉を顰めた表情を浮かべていた。

 まるで異様を目にしているように。

 その物珍しい車体の魅力に魅かれる気持ちもあったが、呆けた気持ちが覚めるにつれて、好奇に浮つく情動とは対極の冷えた疑念が胸内に広がり始めていた。


 湧き上がった疑念の正体、それは有体に言えば――不気味だった。


(……やはり、少し奇妙が過ぎる)


 世間ずれしているリプカとはいえ、さすがに気付いたあまりの不自然。――世俗の外側から見たとき当然持つであろう違和感を、彼女も抱いていた。


(何故――何故、同じ大陸に在るはずの国々を跨いで、技術水準にこれだけの差があるのでしょう……?)


 まるで過去と未来。ほとんど別次元の隔絶と言っていいほどの格差。


 同じ大地で連なる国々同士で、ここまで並外れた度合いの隔たりが生まれる……そんなことがあり得るのだろうか? リプカは疑念を抱いたが、現実として、その奇怪な隔たりは存在している……。


(これもまた、私の知らないお国の事情が関係していることなのでしょうか……?)


 リプカはそう察した。


「んじゃ二人とも、またね! 帰ってくるときはお土産持ってくるからっ」


 アズの明るい声に、ハッと顔を上げる。


 手を振るアズに慌てて手を振り返し、とてとてと歩み寄った。


「アズ様、どうか道中お気を付けて。たった数日ですが、また会える日を楽しみにしています」

「ん、私も楽しみにしてる……!」


 アズは屈んだ姿勢でリプカをハグして、リプカの肩越しに、傾き始めた日に照らされた微笑みを浮かべた。


「――それじゃ、ちょっと行ってきまーす!」

「お気をつけてー!」

「気を付けてな。――ああ、土産は、あの薄い煎餅だけはやめてくれ。正直あれは食べ飽きているから」

「アハハ、わかったー!」


 車が僅かに震え、周囲に響くけたたましい音を撒き散らし始める。


 下にスライドした窓ガラスから身を乗り出して、風に髪を躍らせながら手を振るアズの姿は、見る間に小さくなってしまった。精一杯に手を振るリプカは、車体が見えなくなった後も、しばらくその方角の彼方を見つめていた。


「……行ってしまわれましたね。やっぱりちょっと寂しいな」

「二、三日だ、すぐさ。あの車であれば、それこそ半日あれば着く」

「あの自動車……見たこともない形でした。耳にキンキンするものではなく、お腹に響くような、とてつもない音を上げているのも印象的でしたし……」

「あのブランドの車種は駆動音控え目なほうなのだが……まあ、聞き慣れていないと、それでも爆音に感じるかもな」

「…………」


 他にも聞きたいことはあったが……リプカは口を噤んだ。

 聞いてはいけないことを知らずに口にするのが怖かったから。


 親しき仲にも、という言葉通り、仮にも国を代表する王子に、個人を通し、無暗にお国の事情を問い質すのはいかがなものかと、そのような弁えを思ったのだった。


 分からなかったが――考えた末、結局、そのことには触れずにおいた。


「――お屋敷に戻りましょうか」

「ああ」


 夕日の照る中、ビビと二人並んで、お屋敷のほうへと歩き始めた。


「――そうだ、部屋の内装工事なんだがな、あらかた済んだのだが、できれば今日中に全て終わらせたいんだ。よければ手伝ってくれないか?」

「ええ、いいですよ。でも、私に手伝えるかな……?」

「大丈夫だ、技術的なことは私がやるから、それ以外を頼みたいんだ」

「あ、なら任せてください! 物運びなら得意ですよ」

「――やはり先程の儀礼云々の発言は嘘だったんだな、ぐらいのことは言ってもいいと思うぞ」

「…………?」


 ビビの発言の真意が読めずに首を傾げたリプカを見て、ビビは心地よく微笑んだ。


「どうしました……?」

「いや、いい友人関係が結べそうだと、そう思っただけだ。――含みなく、率直にな」

「ど……どうしたのです、いきなり?」


 空を見上げて笑むビビに、リプカは思わず頬を染めた顔を向けた。


 ――日が急速にその色を変え始め、リプカの顔を余計に紅く染め上げる。昨日さくじつと同じくらい長かった一日が、終わろうとしていた。


 

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