第三十話:鍵

 フランシスの語りには一貫性があった。


 一貫性。


 令嬢として、あまりにも不遜の過ぎる態度。

 まるで自身が好まれぬよう努めるような、身から棘を出すような語り口調。


 そのあからさまな不自然を、エルゴール家の毒巣、リプカの置かれた冷遇の事情と合わせて考えれば――。


(……フランシス様)


 クララは、王子を集めた席での、フランシスの傍若無人な語りを思い返し、心の内で彼女のことを思った。


 ――フランシスのことは、他の五人の王子よりも、よく知っていた。


 人間が違う、というのが第一印象だった。同じ人類でこれだけの能力差が出ることが信じられなかったし、なにか聖なるものを目にしている気にもなった。


 神に選ばれた存在。神性を纏いし者。

 彼女の言葉は高圧的ではあったが、決して高飛車ではなかった。それもまた、彼女の神性を殊更に明晰にする一要素であったことを思い返す。


 彼女に人間を見出したのは、戦争が終わった後のことだった。

 リプカと結ばれたいと思っていると、フランシスに打ち明けたときのことだ。


 都合の良いように偽らずに、この気持ちが少しでも多く彼女に伝わりますようにと、心の底からの想いをありのまま言葉にして、その願いを告白したのだが――。


「――――あ゛?」


 ……あの信じられぬ威圧を宿した剣幕の表情は、未だに忘れられない――。


 さすが、リプカ様の妹君だ、と呑気な感慨を現実逃避のような茫然の白の中、浮かべてしまった。足が竦んでいたことに気付いたのは大分あとだった。


 だがその剣幕に初めて――クララは、フランシスに人間を見た。


 それは何かを守る表情だったから。クララはそう感じ取った。


「――あー、聞こえなかったんだけど? なに……? お前がお姉さまを――あんだって……?」


 思い出しながら、思わず噴き出しそうになった。

 それは先程の会合での、クインへ向けたフランシスの語調に近いものがあったからだ。


 ひたすら怖い、というのがその第一接触で抱いた感慨であった。


 しかしこちらが胸に抱く願いも、最早その程度で折れる熱ではなかった。クララは芯では怖気づくことなく、フランシスに自身の抱く想いの確かを訴えた。


 結局、一回目の接触では良い返事どころか、まともな表情すら返してもらえなかった。


 ――しかし、二回、三回、幾数回と彼女の元へ訪れ、途中激怒すら露わにされながらも、それでもめげずに越訴を続けてゆくうちに、フランシスの表情にも変化が表れ始めた。


 苦しむような。

 少し、悲しむような。


 そして最後には――その表情は、凪ぐような穏やかを見せていた。


「――――わかった。お前がお姉さまに抱く想いの大きさは、よくわかった……」


 静かに言って――そしてそのときフランシスはやっと、本当の意味でこちらの瞳を直視したように思う。


「お姉さまへの縁談禁止令を解く。戦争に参加した他の四国と、もしかすればオルエヴィア連合からもお姉さまへ王子が遣わされるだろう。――後は自分でなんとかしろ」

「――ありがとう、フランシス様」


 ――そしてフランシスが最も恐ろしい表情を浮かべたのは、そのときだった。


 威圧ではない。あくまでそれは、自然な表情であった。


 その形相を形容する言葉はこの世に存在しないように思う。


「――もしもお姉さまを不幸にしてみろ。そのときは、お前の家族、お前に関わる者全てが私の敵だ」

「――了解致しました。尽力をもって、必ず……」


 頭を下げたクララを、フランシスはしばらく感情を覗かせない眼光の失せた瞳で見つめていた。


 やがて俯き、体を小さく揺らし、迷うような様子を見せてから――立ち上がり、テーブルを挟んだ対面の席に腰掛けるクララのほうへと歩み寄った。


 脅されるのかと思った。間近で瞳を直視し、己の意思を私に見せつけるのかと――。


 違った。


 フランシスは距離を置かずクララの前に立つと――おもむろに座するクララの頭を、覆い被さるようにして自身の胸に抱き寄せた。


 そして、クララに表情を見せぬまま……感情に揺れる声を漏らした。



「――――お姉さまを……幸せにしてあげて」



「――――……」


 ――自分は一生涯、その感情に満ち溢れた声を忘れぬであろう。


 人の子の声。

 聞いたこともないような、剥き出しの奥にあった無垢。


 初めて、彼女の人間に触れたことを悟る。


 クララはフランシスの胸の中で瞳を見開き、その感情を噛み締めると、フランシスの背を包み取りいだいて、彼女の想いの吐露に応えた。


「必ず。……必ず――」


 ――こうして、エレアニカ連合が、そして各国が画策抱いていた、フランシス・エルゴールの姉であるリプカ・エルゴールに婚約者候補の王子を送るという政治は、現実となった。


 思いから覚めると、クララはぎゅっと、拳を握り締めた。


 必ず、私はこの想いを叶える。

 この願いは、もはや思い人を想う一つの単純ではなくなっていた。約束を交わし、その後押しを受けた。――彼女の願い、その感情すらも、いまは私の想いの一部である。


 だから――必ず。


 積み重ねた書のページを捲る手に熱がこもる。

 ここに。を紐解く鍵となる記録があるはずだった。


 ちらりと、他の王子方の様子を窺った。


 ――自分クララはフランシスの人となりを知っていたから示しの場所に辿り着けた。だが彼女らは、もしかすればそれも無しに、ここへ辿り着いた可能性もある……。

 知略合戦になれば、勝ち目はないかもしれない。……焦りが生まれる。


(これではない……この書でも……)


 ――だが、あるはずだ。


 エルゴール家の歴史書――リプカ・エルゴールが生まれてからの経歴までも綴られた、エルゴール家の成り立ちを示す書物が、どこかに――。


 フランシスは第一に、姉の曇りない幸せを願っている。クララはそれを知っていた。

 そしてフランシスが見せた、周囲を悪戯に威圧するような態度。――家族内に受け入れ難い毒が混ざっていることをよしとしない者を弾くための言動であると、クララは受け止めていた。


 聞き及んだ晩餐会で、フランシスがどんな思惑を描いたのかは分からない。

 だが、言うなれば思惑以前の大前提――フランシスの思い描く未来像に、婚約によりしがらみから解き放たれ微笑むリプカの姿があることは、確信できる。クララはそれを知っていた。


 フランシスは、呪縛のように身に絡むエルゴール家のしがらみと対峙し、リプカを解き放つ道筋を示せる資質を、婿に求めている。


 お姉さまを……幸せにしてあげて。


 あの言葉が、再び耳の内で木霊する。


 だから――。


 ……少しだけ、はしたなく気分の悪い行いではあるが。

 彼女のしがらみを解くには――彼女の闇を知らねばならない。


 彼女はいったい、どのようにして育ったのか。知らねばならない、僅かな滞在の間にも見えたエルゴール家の暗い影を、明確に浮かび上がらせるために――。


 他人の事情に土足で踏み込む、尊厳を害する行いであるかもしれない。だが、後ろめたさに罪悪感を覚える話であろうと……それの必要はクララ自身も感じていた。なにより、誰あろうフランシスがその事情の重要を示唆している、あの露骨な導きの仄めかしは、彼女が願う方向を示す方位磁石であることを、クララは理解していた。



『屋敷にあるものは書庫に至るまでご自由になさって結構――』



 含みありげな言い方だった。

 なぜ書庫なのか? お客人を招く一階に場所を構えている屋敷もあるくらいで、一般的に立ち入りを制限するような場所ではない。だが、婚約レースと称した此度の機会についての用意として語られたことを考えれば、そこに意味を見出せる。


 その闇を紐解かぬ限り、リプカとの幸せは訪れない。

 必ずそれを解け。

 そのように言っていると、クララは確信していた。おそらく婚約者各々の関心を試す意味も含まれた、暗に示された明確。


 きっと、そこまでは間違えていない。

 ……だが、それは、クララがフランシスのことを深くに知っていたからこそ導き出せた答えだった。フランシスのことをよく知らなければ、その示唆には気付けなかったかもしれない。

 他の王子方は、なんでもない当然のように、この場所の重要を割り当てた。


(――もしかしたら……)

(もしかしたら、他の王子方のほうが、私より上手くリプカ様の心の傷と向き合えるのかもしれない……)


 そんな思いがフッと湧いたが――クララは首を振り、なお一層、書に被り付いた。


(違う……!)

(私が、自ら望んでここにいる理由。――迷うことはない。だって、私は――)

(――私は他の誰よりも、リプカ様に恋焦がれている。あの人の傍に歩み寄りたいと、いま、誰よりも強く願っているんだ……!)


 あの人と寄り添いたい。その抑えられぬ情動故に、私は誰よりも彼女と向き合える。

 いまはただそれを信じて、クララは積み重ねた書の山から、また一つを手に取ろうとした。


 ――そのときだった。



「…………酷いな」



 ぽつりと漏らされたクインの呟きが、書に囲まれた静謐の中に落とされた。


 普段であれば気にしない程度の、何気ない呟きだった。だからクララは、クインへちらと視線をやりはしたものの、しばし何も思うことはなかったが――。


 ――間を置いて事態に気付くと、クララはガタリと音を立て椅子から立ち上がり、クインの傍へ足をもつらせながら早足に歩み寄った。



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