クインの野望・1-2

「いいか? これはそんなに難しい話じゃないんだ。戦争を起こすと言ったが――それは混沌をもたらす無法ではない。どころか、私たちのみならず他の国々にさえ恩恵がもたらされる、秩序を取り戻すという大義名分の旗を与えられるであろう、望まれた必要悪ですらある」

「ど、どういう意味……ですか?」

「いま、元オルエヴィア連合は空中分解状態にある。お国の組織力は無力化したが、正直、危険な状態だろう。オルエヴィア連合の結束が秘密裏にも生まれぬよう、他の国々に厳しい視線を向けられ、現在総出で監視されている状況であるとはいえ、国土は広大だ。いつ反抗組織が生まれ、厄介な決起を起こすか分からぬ、非常に不安定な状態にある。――反抗組織が生まれるのは時間の問題であり、それは止めることはできない。不可能だ。もう生まれているかも分からない……視界の届かぬ物陰で、知らぬ間に危険極まる蜂が徐々に巣を作り始めるように。……ここまではいいか?」

「え、ええ……」


 リプカは正直、難しい話じゃないと前置きされながらも実際複雑な話に眩暈を覚えながらも、なんとか喰らい付くように理解に努めていた。間を置き確認を取ったクインに、頷きを返す。


 ……いつの間にか、完全にクインのペースである。


「つまり統治が及んでいない状況にあるわけだ。それはフランシス・エルゴールの手腕をもってしても十全に到達しない、戦後に抱えた益に孕んだ危険だ。網よりも細かに、網のように目を張り巡らせることはできない、アイツにはそんな暇もないしな」

「…………」


 フランシスの苦労を思い、リプカは表情をかげらせた。


「――ところがだ。私とお前が婚約を結べば、これらの全てが解決される」


 クインは両手を広げる仕草と共に、一層、声高にそう明言した。


「え――? ど、どういう……?」

「お前の力を借り、私の手腕で、再び元オルエヴィア領を統治する! ――いいや不可能ではない、どころか公算は万全である。お前と関係を結べば、私はフランシスの傘下に下ることとなる。そうなれば私の起こす二度目の戦争では、フランシスの力も借り受けることができるだろう。……そうだ、フランシス・エルゴールも力を貸す。何故なら、私たちは各国に最終的な納得をもたらすであろう、理念のための御旗を掲げることができるのだから。お前がまだ夢物語だと思っているその勝利が実現すれば、それまでより遥かに高度な統治が実現し、反抗組織が発起を起こす危険性は比べるまでもなく減衰するからだ。……元オルエヴィア連合の者が統率者となり、新たにオルエヴィア連合を統治するなど、普通であれば反旗を危惧され誰も納得しない。反抗組織の撲滅どころか、オルエヴィア連合そのものが、巨大な反逆組織に成りかねぬと。安心どころか、不安のタネは増すばかりである……。だが、私がお前と関係を結べば――私は、先の戦争で理想の結果を世に示した、フランシスの手の内の者である……。私がフランシスの信用さえ勝ち取れば、話はスムーズに進むのだ……」

「…………」

「手の内にある者が統率者となれば、フランシスとしてもやりやすいことこの上ない。万々歳である。反逆の意思が無いことを分からせ信用させれば、奴の力も借り受けることができる」

「……で、でも、何故……」


 気付けばクインの話に引き摺りこまれ耳を傾けていたリプカは、そこで戸惑いの声を上げた。


「でも、何故、私なのです? 私一人がいて、何か変わるものなのですか……?」

「先の戦争では、自由に動かせるコマが足りなかったのだ……。それが敗因だった……ッ!」


 クインはきつく歯を食い縛り、拳を握り締めながら、紅蓮に染まった声音を漏らした。


「私たちは勝利していた、だが……ッ! …………。……お前の力さえあれば、万全に状況を制圧できる遊軍を発足できる。お前を将に置いた身軽烈烈の部隊である。遊軍の重要性については、フランシスが賛同を示すであろう。それで、なにも私の妄執が成す戯言でないことはお前に証明できるはずだ。大切な姉を戦場に引き出すことに関してフランシスから了承を得るのには苦労するだろうが……先の戦争で私が挙げた戦果をもって、納得させる。それさえパスすれば――私の理想の実現である。……分かるか? お前と関係を結びさえすれば、私の望む全てが手に入るのだ」

「…………」

「……私の話ばかりになってしまったな。お前にとっての益の話をしよう。――もしオルエヴィアを取り戻す戦争を起こし、私たちが勝利を収めることができれば――お前には巨万の富と栄誉が約束される。遊軍は必ず目覚ましく活躍する、してもらわなければ勝てぬのだ。故に、もしお前が生きて帰れば――民はお前を英雄と呼び、お前は、最高の栄光を手にするだろう。もう誰も、お前を馬鹿になどしないっ!」


 クインの確認するような視線に――リプカは特に、反応を返さなかった。


 それをじっと見定めると。

 クインは一つ目を瞑り、先程とは打って変わった、呟くような声音で、その先の話へ切り込んだ。


「――そして、私とお前が連れ添うという話だが。私は……今の私にとって……オルエヴィア連合の正当な奪還が、何よりの望みである。それ以外の何もを必要としないほどに……」


 一言一言の言葉を確実にリプカへ届けるように、ゆっくりと語りを紡ぐ。


「正直、いまのお前には、連れ合いとして何の魅力も感じていない。なにかボサっとしたものがそこにあるな、程度の認識だ。いまのところはな。――だが。もし、もしお前のおかげで国を取り戻すことがあったのなら――私はお前を、心の底から愛することができると思う」


 クインはそっと、リプカの手に、己の手を重ねた。

 リプカの身が跳ねる。


「私の、大切なものを守ってくれた人として。詭弁ではない、これは偽らざる本音であり、確信でもある。私はお前を愛すことができると思う……」


 すっと、リプカに顔を近付ける。

 瞳を覗き込ませ、その内の光をリプカに確認させるようにしながら、クインは言った。


「どうだろうか……?」


 ――クインの瞳に宿る光は、真っ直ぐな実直に見えた。


「私と、婚約を結んでくれはしないか?」


 言い終えると、クインは無言で、リプカを見つめて返答を待った。


 ――正直なところ、リプカは揺れていた。

 それは動揺という意味もあったが。


 いつの間にか、クインに抱いていた不審や、悪戯な罵倒などで生まれた悪感情がさっぱり消えていることに、リプカは気付かない。

 特に、最後の言葉には揺らされていた。

 リプカが一番欲しい言葉である。――けれど。


 順番の、問題だろうか……?

 それとも――。


「ごめんなさい。そのお誘いは、お受けできません……」


 リプカははっきりと答えた。


 ……頭を下げたリプカを、クインはしばし呆然の面持ちで見つめていた。


 そして――。


「――――な、なじぇ!?!??」


 素っ頓狂な声を叫び上げた。


 ――リプカはクインへ真っ直ぐな視線を向けて、胸の内の思いを語った。


「クイン様が、どれほど真剣に私をお誘い頂いたかということは……伝わってきました。けれど、私はそれに賛同を示せません。――クイン様、私は、私のこの力を、大切なものを守ることだけに使い続けると、決めているのです。戦争は……奪う行為。どうあっても、それは歴然たる真実でございます。ましてそのお話だと、先にけしかけるのはこちら……それは私の持つ主義に反する行いです」


 それを告げるリプカの瞳の光には、断固とした芯が仄見えた。

 変え難き信念――それを読み取ると、クインは「ぐぬぬ」と、表情を焦りに歪め始めた。


「え、栄光が手に入るのだぞっ! 人々の称賛が! 巨万の富すらもッ! それを足蹴りにしようというのか!?」

「す、すみません。私にはもっと……大切なものがある……」

「――――……ッ」


 クインは俯き、歯をギリリと鳴らしながら拳を戦慄かせた。

 やがて「ギャリ」と、ひと際酷こくに奥歯を鳴らすと――ハラハラとクインを見つめるリプカへ、青筋を立てた、犬歯剥き出しの表情を見せた。


 そして――胸が膨れ上がるほど息を大きく吸い込み――。



「こンの――ぼーへーチャンがーーー(?)ッ!!」



「――あ、イタたたタタふぐぅっ!?」


 裏庭中に響く謎の罵声を叫び上げると、リプカの頬をむんずと引っ掴み、それをぐいぐいと横に伸ばし始めた。


「お、おまえーッ! この意気地なしーっ! お、おまえ、おまえには野心がないのかーッ!」

「ふぐ、ふぐぐぐ……」

「ク、クイン様、おやめになって……っ」


 それまで静観していたクララが助けに入る。

 庭影で様子を窺っていたビビまでもが、こちらに駆けてきた。


「ふぐっ、ふぐ……」

「おまえーッ、それだけの力を持ちながらーっ、なーーーぜそう野心がない!? この、くの、くの……ッ!」

「ク、クイン様、リプカ様のお顔が……!」

「フゥ。――おいやめろ、お前の立場が悪くなるぞ」

「うるせーーーッ!! 止めるな、コイツの性根ごと伸ばしてやるッ!」

「やめろってば」

「ふく、クヒンはま……」

「あ゛!? なんだ!?」

「ぼーへーチャンって、なんへふか……?」

「――私の国の言葉で、ボーっと突っ立ってる、野心のない兵士って意味だこのトンマーッ」

「ふぎゅっむうう……!」

「こらこらこらこら」

「リ、リプカ様……! クイン様、落ち着きになって……」


 さて、クララとの二度目の顔合わせ、最後までゴールを決め切れたかもしれなかった本日の逢瀬は……。

 残念ながら第三者による不測の乱入により、最終的にしっちゃかめっちゃかな終わり方を迎えることになってしまった。

 破天荒の空模様が呼んだ嵐の唸り音は、いまや乱痴気騒ぎのそれである。


「伸びろーッ!」

「むーーーッ」

「それ以上伸びないって。やめろっつのに」

「お、落ち着きになって、ください……!」

「落ち着けるかーッ。オラーッ」

「ふぎぃ……っ」


 ――エルゴール家の庭に、女三人寄ればとは別の意味の、姦しい喧騒が響き渡っていた。


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