第二十六話:ご相談・騒動の後

「う、うぅ……」


 リプカは項垂れながら屋敷内を歩いていた。

 時折、真っ赤に腫れた頬をさすっている。


 結局あの後、クインはリプカの頬をつねりながら散々な罵倒を浴びせ続け、止めようとする二人共々の必死もあり、ついにその騒ぎに人が集まりだして――クインは大勢の手でリプカから引き剥がされ拘束されると、「なんじゃァオラァ、こちとら王子じゃぞッ!」という叫びを残し、担ぎ上げられるようにして何処かへと連行されてしまった。――おそらく、連行先はフランシスの元である……。


 乱れてしまった髪は慣れない手つきでビビが整えてくれたが、しかしなんだか魔法が解けてしまった心地があった。


「た、大変でしたね……。大事ないですか……?」


 クララには困惑の混じった微笑みと、何故か胸の奥に痛みの奔る、憐憫混じりの心配を向けられてしまった。


 情けないことこの上ない気分に落ち込んで――。

 その後、結局最後まで雰囲気を取り戻せず、用意された部屋までクララを送り届けると、そこで一旦別れ、謝罪と励ましを向けてくれたビビとは気を利かせてくれたのか途中で別れて、部屋に戻ってひたすら沈む気分にもなれず――屋敷内をとぼとぼ歩く現在に至った。


(魔法が解けてからは、あっという間だった……)


 リプカは茫然と思いながら、裏手の庭が望める渡り廊下に座り込み、膝を抱えて真っ白になった。

 腫れた頬に、外の冷たい風が優しい。


「――リプカ様?」


 声をかけられ、真っ白の状態から回帰する。

 顔を上げると、そこにはセラとミスティアの姿があった。


「どうなされました?」

「あ、ど、どうも……。いえ、ちょっと……涼んでおりまして……」

「――リ、リプカ様!? ほ、頬が真っ赤ですよ……!?」


 ミスティアの驚いた声に、リプカは恥じ入り、思わず両手で頬を隠した。


「――なにかありましたか?」


 落ち着いた声色のセラの窺いに、リプカはあの騒動を思って、何と返答していいやら、悩んだ。


「ええと……なんといいますか……。その、少し……、ひと悶着ありまして……」

「私がお力添えできることでしょうか? ――もし問題となってお話ができないときは、お気になさらず否を申してください。お話を聞いて力になれるとも限りませんが、もしかしたら、できることもあるかもしれません」


 非の打ちどころの見当たらない、まさに十全十美たる気遣いの仕方で、そう言ってくれた。

 リプカは少しだけ悩んだ後、セラに事情を聞いてもらう選択を取った。何か見えてくるものがあるかもしれないし、正直、藁にも縋る気持ちもあった。


「あの、聞いていただいてもよろしいでしょうか……?」

「喜んで」


 セラは言うと、自然な仕草でリプカの隣に腰掛けた。


 ――このお方は、動作の一つ一つが、為され過ぎているほど、洗練されている……。

 そんなことを感じながら、リプカは先のひと悶着、話すことがちょっと恥ずかしい、あの騒動を語り始めた。クインの目的まで話すかどうかは再び迷ったが、考えた末、それも話すことにした。


 話を聞く間、セラの表情は、表面的には終始変わらぬ冷静なものであったが、セラの隣に腰掛けたミスティアは、驚きの表情を浮かべたり、話に聞き入ったり、最終的には笑っていいのかどうか迷うような表情を浮かべたり、表現豊かだった。


「――なるほど、大変でしたね」


 セラは一つ頷いてから、表情を少しだけ濁した。


「しかし……すみません。私が直接力になれることはなさそうだ……」

「い、いえ、お話を聞いて頂いただけでも、気持ちが楽になりましたわ」


 リプカのあたふたに、セラは「ありがとう」と丁寧に礼を返した。


「――それにしても、凄い発想を思い付くものですね。渦中に置かれたリプカ様を前に、配慮を欠いた発言となることお詫び致しますが……正直、彼女の折れぬ意欲には尊敬さえ抱く思いです」

「――そうですね。それは、確かかもしれません……」


 セラの胸中に、リプカも頷きを返す。


 リプカは、どす黒くも輝く炎が躍る、クインの瞳を思い出していた。


 クインに諦めはなかった。裏切りの企みにより敗戦の責を一身に負うという最悪の不幸に見舞われながら、失意に沈むでなく、怨念や激怒といった負の感情に彩られながらも輝く希望を表情にあらわし、真っ直ぐに、活路となるその方向を向いていた。

 それに、彼女の企みは――どこまでも純粋だった。


「結果的に、断ってしまいましたが……しかし、そこに、ある種の誠意があったことは確かだと思います。でも……彼女の誘いは、どうあっても……」

「――いらぬ苦心を思わせてしまって申し訳ない。だが、彼女にその種はどうあれ誠意を感じたというのなら、それが関係を繋ぐ足がかりになるかもしれません。彼女の申し出はどうあろうと受け入れられないという現実があろうが、貴方がその瞳で見つめた、確かな彼女の中身と向き合えば、語り合えることもあるでしょう。その人の生身に触れたとき、相手側も瞳を見開きはっきりとこちらを見つめ、自ずと両者の関係が変化していくものです。――良い方向にも、悪い方向にも」


 そこまで語ると一拍の間を置き、リプカを再度見つめるようにして、結論を述べた。


「あとは、リプカ様がどうしたいかという考えが重要であるように思います。どうしたいのか――あやふやではなく、輪郭確かな具体性のある考えであれば、尚よいかもしれません。少なくともクイン様との関係と再び向き合うには、それが肝要であるかと。そこから、関係のほつれを紐解くその切っ掛けが掴めるやもしれません」

「――……なるほど」


 リプカは感心したようにコクコク頷きながら、セラの考えを受け止めた。


 光明が射し込んだ心地の胸中に、晴天の霹靂が響き、視界が晴れる。状況の五里霧中に茫然となっていたリプカの瞳に、活力の色彩が取り戻された。


「――ありがとうございます、セラ様。混迷していた現状を見通せたような思いです!」

「少しでもお力になれたのならよかった。私の立場で介入し、どうこうなる問題ではありませんが、もしリプカ様が事態を前に進めようとしたとき、手に余る難事に突き当たることがあるなら、そのときは微力ながらお力添え致しましょう。大丈夫、リプカ様ならできる。最初からクイン様との、今後の関係にも大きな心配を置いていた貴方なら、きっと彼女を真っ直ぐに見つめることができるから。それが、おそらく、まず第一に大事となることでしょうから」

「参考になるお話でした。あの……呼び止める形になってしまって申し訳無かったけれど……本当にありがとう、セラ様」

「どういたしまして」


 セラはリプカの心からの礼に、社交の鎧を捨てた、彼女の素の見える微笑みでニコリと笑うと、美しい所作で立ち上がり、中腰の姿勢でリプカへ手を差し伸べた。


「呼び止める形と仰られましたが、実は私たちは、貴方を探していたのです。――フランシス様がお呼びのようです。あと少しでここを発たれるとか。なにかお話がおありなのでしょう。大広間までご一緒しても?」

「そ、そうだったのですか。――ええ、喜んで」


 リプカとミスティアも立ち上がり、三人、大広間へと雑談を交えながら向かい始めた。

 ――その途中で、ふとリプカはに気付き、疑問を抱いた。


「あの、セラ様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか……?」

「なんなりと」

「どうして私が、クイン様との今後の関係についても大きな心配を思っていたことが分かったのですか……?」

「――別段、不思議なことはありません。リプカ様の表情と語りから、それが伝わってきたのです」


 ――セラは、感情を隠す完成された社交の微笑みをもって、そう答えた。


「そ、そうですか……」


 リプカも深く追求はせず、――こちらをじっと見つめるミスティアの視線にも気付かず、その場はそれで流してしまった。


 大広間が見えてくる。

 リプカは再びフランシスとしばし離れることに、寂しさを思った。



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