第十六話:退屈な議論会・1-1

 慌ててその身を支えたリプカの腕の中で、クインはものの見事に失神していた。


 上目を剥いて気絶するクインが哀れで、撫でるようにすっと目を閉じさせた後――リプカは再び内心で頭を振り乱し絶叫しながら、憐情からの謝罪を念じて繰り返した。


(あとでフランシスに頼み込んで、と引き換えにどうにかしてもらいましょう……)


「しょーがないわねぇ、もー」


 億劫そうな声を上げ、フランシスは腰を上げるとクインの元へ歩み寄り、腰辺りに手を回し、器用にその身を立ち上げた。


「あ、わ、私が……」

「私がいくわ」


 慌ててクインを支えようとしたリプカへ、フランシスはきっぱりと断りを告げた。


「お姉さまは晩餐会を楽しんでて」

「え、えぇ……でも……」

「主役が離れるとまずいわ。ね?」

「――え、ええ。分かりました」


 リプカの首肯を見て一つ頷き、フランシスは最後に客人へ顔を向けると、陽気に言ってみせた。


「では皆様、不肖とする私どもの至らなさもあり、色々とお騒がせしましたが――どうぞお気になさらず、引き続き、お食事をお楽しみくださいませ」


 それだけ言うと、真っ直ぐ出口の扉へ向かって、晩餐会の場から、クイン共々消えて行った。


 ――音を立てて、扉が閉まる。

 後に残されたのは、しんと静まり返った、耳に痛いほどの静寂。


 滅茶苦茶になってしまった晩餐会。

 折れた腰が上がらぬまま、ほとんど恐怖と同一である羞恥に顔面を蒼白にして、恐る恐る客人の方へ振り返ってみれば――。


 ――てっきり、自身をぽかんと見つめ、人が通常形作ることのできない、心底の呆れを浮かべている顔が五つあるものとばかり思っていた。

 せっかくの縁が、すべて滅茶苦茶になってしまったとすら。


 しかし現実は――そうではなかった。


 五人共々、様々な感情の色を表情に浮かべていた。


 一番印象的だったのは、ティアドラとビビの表情だ。

 ティアドラは愉快の浮いた顔つきであり、ビビは無表情に近い顔だったが――二人とも、同じように興味深げな色を浮かべているという点では同一だった。


 アズは、出会ってから初めて見る、笑顔を引っ込めた真剣な表情で、フランシスとクインが退席していった扉を見つめていた。


 セラは今も、変わらぬ冷静を見せている。


 ミスティアだけがただ一人、突然の騒動に感情が追い付かず、おろおろとした戸惑いを浮かべていた。


「――どうぞお気になさらず、引き続き、お食事をお楽しみください、ってさ」


 やがて、ティアドラが一つ手を打ちながら、無音の間に声を響かせた。


「食っちまおうぜ。冷えると不味くなるだろ」

「そだネ!」


 アズもすぐに笑顔を浮かべて、明るくそれに追随した。


「色々お話もあるだろうけど、とりあえずお食事を頂こっか!」

「そうですね」


 セラも首肯する。ミスティアもセラを窺いながら、おずおずと頷いた。

 ――ビビはもうとっくに一人で食事を口に運んでいた。


「ほら、リプカちゃんリプカちゃん、一緒に食べよ!」


 アズの笑顔を受けて――リプカは目を白黒させる。


 そして、あれだけの醜態入り混じる騒ぎがありながら――晩餐会は、何事もなかったかのように再会された。


 状況が掴めず、落ち着きなく周囲を窺いながら、リプカはアズが口にする雑談にコクコクと頷きを返していたのだが……。


(――ああ、そうか……)


 そうしているうちに、この不自然とも取れる空間に必然を見つけて、どうしようもなく、そのことに気付く。


(これは――この皆の集まりは……、なんだかんだ第一に、――政治事なんだ)


 それがこの空間の温和を形成していることを悟った。

 ただこの温和は仮初に近いものであることも理解できた。


「――やっぱ駄目だわ。なんか気になることがあると、食事に身が入らないんだよな。俺の悪い癖だ」


 そして、ついに場の停滞を崩し、話を切り出したのは、――またしてもティアドラだった。

 フォークとナイフを置き、独特な勝気で笑みながら、椅子に深く座り足を組み、他の五人を見渡した。


「いや楽しく食事しながらのほうがいいんだけどさ。あれだ、俺のことは気にせず食事を続けてくれよ」


 言って、他の面々の食事を進めるスピードが緩やかになるのを見取ってから、ティアドラは語った。


「まあ他のもんも気になってたことだとは思うけどよ、――フランシス殿の態度、あれ、なんだろうな」

「というと?」


 ビビの問い掛けに、ティアドラは苦笑した。


「というと? もねえだろ。なんだよあれ、さすがに態度が横柄すぎるだろ」


 両手を広げて、食卓に疑問を投げかける。


「なあ、俺たち、まがりなりにも招かれた客人だぜ? フランシス殿といえど、あんな態度とったら、色々と面倒が残るんじゃねえの?」

「――確かに」


 これには、セラが首肯を返した。

 食事の手を止めながら、冷静の瞳を食卓に落とした。


「そうですね。あのような態度を客人に向けたとあっては、ティアドラ殿が言った通り、お家の格に傷がつく面倒に発展しかねない。――というより、十中八九そうなってしまう。いくらフランシス様といえど、貴族人である以上、その辺りの立ち振舞いは求められるものであり、避けて通れないはず」


 セラは自身の言葉に納得するように一つ頷くと、結論を口にした。


「つまり、あれはわざとですね」


 それに、ビビはほう、と少々間の抜けた声を上げた。


「そうだったのか。なんだ、ウィザ連合も、アルファミーナ連合とそう変わらないな、などとてっきり思っていたのだが」

「お前は何が疑問だったんだよ」


 ティアドラに渋めた顔を向けられると、ビビは飄々と肩を竦めた。


「私はただ、あの議題をこの晩餐会に持ち込む意味を考えていただけだ。べつに皆の前で虐めなくてもいいだろう。――彼女にとってこれは、晩餐会ではなく、もっと別の何かだったのかもしれない、と考えていただけだ」


 その意見にはリプカも賛同できるものがあった。

 それは、フランシスのあの歪んだ笑みを見たときから予感していたことだから。


「うーん」


 いっぽう隣で、アズが悩みの低音を漏らした。


「リプカちゃんが離れていくのが嫌で、ワザとああいう態度をとったー、ってゆーのもちょっと考えたけど、さすがにそれは違うよね。一番、可能性があるかなーって考えたのは――牽制、かな?」


 難しい顔つきで頬に指を当てながら、意見を挟む。


 牽制。

 リプカはおずおずと、アズに問うた。


「牽制とは、どういった意味でしょう……?」


「んー、仮にリプカちゃんが手に入っても、私との重要極まる政治的な関係性が手に入るわけではありませんよー、みたいな」


 アズはあっけらかんと、中々に綺麗でないその推測を口にした。


「んで、それが分からないヒトは、私の敵に回りますよー、って。あくまで直感した推察の一つでしかないけど、とりあえず今考えついた筋では、それが一番納得できるかなー。お家の格の話だって、いっても私たち木端コッパみたいなもんだし、私たちでウリャウリャ騒いでも世間体には全然影響しないだろうしね。簡単に揉み消し案件で、皆さんそれを自覚してくださいよー、ってことを言いたかった、とか?」


 リプカは茫然と口を開いた。

 正直、まったく話についていけない。


「それは飛躍しすぎだな」


 アズの意見に、ビビが待ったをかけた。


 

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