第六話:第一の王子・1

 母も、父と同じような難しい表情を作りながら、リプカに事の次第と小言を述べた。


 ――なんと、もうすでに第一の候補者、祈りの国エレアニカ連合を代表とする王子が来ているらしい。


 あまりに急な話に目を白黒させながら、ただコクコクと頷いたリプカ。その態度が気に入らなかったのか母は顔を顰めると、今から私たちと共に昼食を取るから父はどこかと尋ねてきた。

 リプカは文字通りに、あちらの部屋にいらっしゃいますと教えてあげた。


(どうしよう、……嗚呼、でも会うしかない……。まだ縁談を申し込んだ王子は沢山いるわけだし、ここで逃げたところで意味がない……)


 背後の部屋で上がった母の悲鳴を背に、リプカは背を丸めながら、王子が待つという広間へ、とぼとぼと歩を進めた。


(……優しそうな人だといいな。私に意地悪しない人がいい)

(でも、そんな人……)

(…………)


 考えているうちに、広間の扉前まで来てしまった。


 もはや考えても仕方あるまい。

 リプカは、暗い顔のまま、扉を開いた。




 ――見慣れた実家の一部屋であるにも関わらず、どこか見知らぬ場所へ来てしまったかのような錯覚に陥った。


 その人がそこにいるだけで、牢獄のように冷たかったはずの屋敷の間は、柔らかで神性な雰囲気に満たされた、不思議な安らぎを感じる場所へと様変わりしていた。




 明るい絵画の世界みたいに輝くその光景にたじろぐリプカに気付き、待ち人はリプカへ顔を向けて、にこりと微笑んできた。


 美しい。


 フランシスとはまた違う、まるで聖母のような美を、その人は体現していた。


 この人は、私を馬鹿にしないだろう。リプカはなぜか、直感よりも確かな確信として、それを悟ることができた。


 優しそうな人。

 私に意地悪しない人。

 ……私を、受け入れてくれる人。


 リプカが望むおおよその願いを、その人なら叶え、抱き留めてくれるだろう。

 そのことも、なぜだか瞬間の間に理解できた。


 ――そのような意味では是非も無い相手ではあったのだが。


 一つ、問題があるとするのなら――。


「リプカ・エルゴール様ですね?」


 その人は、澄んだ声色でリプカの名を呼ぶと、椅子から立ち上がり、ゆったりとした歩調でリプカへ近付くと、リプカの手を取り、その甲へ口付けをした。


「お初にお目にかかります、リプカ様。私はエレアニカ連合セラフィア領域、セラフィア家から参りました、クララ・ルミナレイ・セラフィアと申します。今日はリプカ様にお会いできて嬉しく思います」

「ど、どうぅ、も……」


 事態が飲み込めないまま、リプカは曖昧に頷いた。

 クララは首を傾げながらも、リプカのことを無垢な光が宿る金色の瞳でじっと見つめながら、微笑み浮かべていた。


 改めて、クララのことをよくよく見つめてみた。


 色は同じはずなのに、フランシスとは受ける印象がまったく異なる、――腰下まで降りた金の髪。

 無垢で澄んだ優しげな瞳。小さな唇。――柔らかな手。――陶器のような肌。


 ――と。

 背後で、リプカの名を呼ぶ者があった。――母の肩を借りて震える両足を引き摺る父であった。


 ――リプカ、その方がお前と婚約を結びたいと申してくださった王子殿だ。粗相の無いように。


 そんな父の言葉に、リプカは眉に皺を寄せ、父の正気を確かめるようにその顔を窺った。


「あの、お父様。ええとですね……」


 ――なんだ?


 父の問い掛けに、リプカは答えにくそうに、それを指摘した。


「あの……このお方は、どう見ても女性であるように見受けられますが……」



 そう。

 聖母のような美を体現する人物、クララ・ルミナレイ・セラフィアは、どこをどう見てもそのまま、女性であった。



「これはいったい、どういうことでしょう……?」


 ――それがどうした?


「は、はい……?」


 ――そのお方こそが、祈りの国エレアニカ連合を代表する王子、クララ・ルミナレイ・セラフィア様だ。間違いないぞ。


 目をパチクリとさせ、クララと父を順に見回すリプカ。


 その態度に父は顔を顰め、リプカを叱り付けた。


 ――だからなんだというのか。その態度はなんだ? 大体、お前はたった三日で嫁ぎ先から追放された不出来であるのだ。そのお前に嫁の貰い先ができたというのに、何故それに感謝しないのか? お前は先方に礼を尽くし、頭を下げる立場ではないのか? だというのにお前は……そもそもお前は自身の不出来を自覚して――フランシスと比べ――お前という人間は×××××なのだから――。


 胸糞の悪い愚痴が再びリプカの人格否定に及んだ瞬間、リプカは一歩で父に詰め寄り、無言で鉄のような拳をその腹に三度叩き込んで、少なくとも本日中には目覚めぬであろう致命打をもって、父を昏倒させた。


 

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