第8話

翌日。

 土曜日。

 空は気持ちよく晴れていた。

 授業は半日で終わった。

 昨日話した通り、2人は磯貝の家へと向かった。

 スマホで調べると磯貝の家までは、昨日行ったBYタクシーから歩いて20分程の距離だった。

 歩いていけそうなので、歩いていくことにした。

 進んでいくと辺りは、一軒家が並ぶ住宅街だった。

 ベンチと砂場だけの小さな公園があった。

 スマホのアプリに住所を入れたので、迷うことはなかった。

 すんなりと磯貝の家まで着いた。

「ここだ」と刹那が言った。

 2階建てのグレーの鉄骨アパートだった。

 名前はグリーンヒル。

 部屋数は全部で12戸だった。

 6台分の駐車場があった。

 磯貝の部屋は1階の102号室だった。

 刹那はインターホンを押した。

 だが、誰も部屋からは返事はなかった。

「刹那君。誰も出ないね」

「そうだね」

 さて、どうするか。

 近所の住民に話をきいてみるか。

 それとも他に手段はないか。

 刹那はあごに親指を突き当てた。

 これは刹那が考えごとをする時の癖だった。

「ん?お前達……」

 女性の声がした。

 刹那達は振り返った。

「またお前達か」

 不快感をあらわにして、井上が言った。

 そこにいたのは、井上警部と相棒の新入り警部だった。

「井上警部」と刹那が言った。

「誰にこの場所を聞いた!?」

「誰にも聞いてない」

 それは嘘ではなかった。

 ただ社員名簿を写真に撮っただけだ。

「全く忌々しいガキだ」

「すいませんね。警部、捜査に進展がなくてイライラしてるんですよ」

 井上達も、ここで磯貝の足取りが途絶えてしまったようだ。

 刹那はこの状況は利用できると考えた。

 彼には、彼自身の正義があった。

 今は石田のために、石田の命を救うことが正義だと考えていた。

 そのためには利用できるものは、なんでも利用しようとした。

 その意思の強さが嫌っている父親と同じだということに、刹那は気付いていない。

「……協力しませんか?」と刹那が言った。

「協力だと?」

 井上がじろりと刹那を見た。

「一体何を協力するというんだ?」

「もちろん、磯貝を捕まえるための協力です」

 井上からBYタクシーで得た情報をもらえば、磯貝の居場所を特定しやすくなる。

「こちらは別に捜査の邪魔をするつもりはありません。ただ犯人を友達に引き合わせて罪を償わせたいだけです」

「友達か。ふうん……」 

 井上は腕を組んで考えた。

 確かにこの少年はフツーとは違う力を持っているようだ。

 どうやったのかは分からないが、ここを探し当てたのがその証拠だ。

 それに捜査は手詰まりとなっている。

 井上は負けん気と功名心が人一倍強かった。

 ドンドン手柄を上げ、ガンガン出世したかった。

 ここは少年に乗ってみるのも、1つの手か。

 両者の思惑が合致した。

「わかった。いいだろう」

 井上は刹那の提案をのむことにした。

「こっちの情報を教えてやる」

「えー。ホントにいいんですかあ。それって完全な職務違反ですよ」

 井上が新入りをにらんだ。

「バレないよ。お前がバラさなきゃな。バラしたらバラバラにしてやるからな」

「うわー、目が怖いですよ警部。分かりました。言いませんよお、命惜しいですから。見てないアニメもいっぱいあるんだし」

「あ。新入りさんもアニメ好きなんですね。私も大好きですよ」

 沙希がここぞとばかりに食いついてきた。

 沙希もアニメの大ファンだった。

「そうなんだ!話の合う人に会えて嬉しいなあ」

「アニメの話はいい!」

 井上がぴしゃっと言った。

「すいません…」

 2人はしょんぼりとした。

 刹那と井上は目を合わせた。

「同盟成立だ」

「ですね」

「新入り。話してやれ」

 井上が指示した。

「やれやれ……」と新入りがため息を吐いた。

 新入りも腹をくくった。

 磯貝の写真を見せた。

 やはり刹那が過去と撮ったのと同じ顔だった。

「僕らが追っているのは、都内で3件連続して起こっているひき逃げ事件です」

「そのうち1つが、君達の友達の事故だ」

 なるほど。

 これで警察が磯貝を追っている理由も分かった。

「その容疑者が磯貝信一です。職業はYBタクシー勤務の運転手。50歳。バツ1で現在は1人暮らし。勤務態度はあまりよくなかったようですね。急に休むことが度々あったみたいです。客からも運転が荒いというクレームが数件上がっています。ギャンブルが好きで、営業所でよくスポーツ新聞を広げていたようです」

「ギャンブルというと」

「同僚とはよく、競馬の話をしていたみたいです」 

 新入りが言った。

「競馬ですか」

「もしかしたら磯貝は、競馬場に向かったのかもしれない」

 今日は土曜日。

 競馬場は開催している。

「警察の捜査が入ってるのは、磯貝も気付いてるだろう」と井上が疑わしそうに言った。

「のん気に競馬場行くか?」

「確かめてみよう」

「確かめる?」

 井上達は不思議そうな顔をした。

 刹那は、沙希にだけ目で合図を送った。

 刹那の力を知らないと、皆こういう顔になる。

 自分は知っている。

 沙希はちょっとだけ得意気になった。

「ちょっと行ってきます」

「おい!どこへ行くんだ」

「すぐ戻ります」と刹那は言った。

 刹那は人から見られない、アパートの死角に行った。

 いつものように眼鏡のテンプルを押して、レンズをブラックへ変えた。

 時の河を遡り、過去に向かった。

 アパート、グリーンヒルの前。

 まず1時間前に来た。

 磯貝の姿はない。

 2時間、3時間、刹那はどんどん時を遡っていった。

 4時間まで来た時だった。

 ついに磯貝の姿が現れた。

 磯貝は部屋から出てくるところだった。

 グレーのブルゾンを着ている。ヒゲが汚らしく伸びっぱなしだった。

 その手には、競馬新聞があった。

 周りをきょろきょろと見て、挙動不審だった。 

 磯貝はアパートの駐車場に停めてある黒い車に乗った。

 車は県道に出ると、東に向かった。

 刹那はスマホでマップのアプリを見た。

 それはN競馬場方面だった。

 刹那は確信を持って現在に戻った。

 井上達の前に行って刹那は言った。

「分かった」

「分かった?何が?」と井上が訊いた。

「磯貝が向かったのはN競馬場だ。間違いない」

「なに?なんでそんなことが分かる?」

「未来と違って、過去は確定している」

「理由になってない!」

「……」

 時の探偵のことは、あまりベラベラ話したくない。

 刹那はそれ以上説明しなかった。

「確かなんだろうな?」

 井上は疑いの目で見た。

 刹那は黙ってうなずいた。

「警部、どうします?」と新入りが訊いた。

 さすがに井上も迷った。

 だが他に行ってみるあてもなかった。

 井上は決断した。

「N競馬場に行くぞ!新入り運転しろ」

「了解です。しかし警部。いいかげん僕の名前覚えてくだ……」

「急げっ!」

 新入りの要望など、井上は無視した。

「は、はいっ」

 4人は井上達の覆面パトカーに乗り込んだ。

 新入りの運転で、4人は隣の市にあるN競馬場へ向かった。

 競馬の開催日で、駐車場には多くの車が停まっていた。

 新入りは、駐車場に車を停めた。

 30分程でN競馬場に着いた。

 N競馬場は、スタンドと呼ばれる観覧席がB1Fから6Fまであった。

 各階には馬券を買える投票所をはじめ、売店、レストラン、フードコーナー、メディアホール、グッズショップなどがあった。

 他に間近で見られる芝スタンドや、馬を下見できるパドックなどがあった。

 4人は正門前へと移動した。

 中に入っていく、8割以上が男性だった。

 井上は刹那と沙希に、スマホの番号とメールアドレスを教えて指示を出した。

「いいか。磯貝を見つけたらすぐに私に連絡しろ。くれぐれも勝手な行動を取るんじゃないぞ」

「わかった」

「わかりました」

 刹那と沙希が言った。

「そうだよー。犯人は何するか分からないからねー」

 ニコニコしながら新入りが言った。

 そんな新入りに井上が水を差すように言った。

「新入り。お前もだよ」

「えっ。僕もですか!?」

「そうだよ。だってお前、武術や格闘技の経験なんかないだろ?」

「ないです」

「じゃあ、私の言う通りにしろ」

「はあ」

 新入りは納得していない顔をした。

「じゃあ訊くが、お前ケンカの経験とかあるのか?」

「ないです」

 新入りは素直に答えた。

「ないのかよ!?男のくせして」

「ケンカなんかしませんよ。痛いだけじゃないですか。最近の男子はそんなものですよ。あ、でも、これは内緒なんですが……」

「なんだよ」

「実は僕、オンラインの格ゲーではかなりのものなんですよ」

 自慢気に新入りが言った。

「はあ?」

「ハンドルネーム、ワイルドライオンってあれ僕のことで……」

「ゲームの話はいい!」

 ぴしゃっと井上が言った。

「は、はい」

 新入りがしょんぼりとした。

「よし。それじゃあ磯貝の捜索を開始するぞ」

「はい」

 4人はそれぞれ捜索にあたった。

 沙希は地B1Fにある、レストランを中心に回った。

 こんなに沢山の店が並んでいることに驚かされた。

 一軒一軒、磯貝の姿を探して回った。

 だが磯貝の姿は見つからなかった。

 刹那はコースの中にある、広場に来ていた。

 周囲にはもちろん柵が設けられ、レース中の馬が入ってくるようなことはない。

 広場は小学校の校庭くらいの広さがあった。

 滑り台やトランポリン、アスレチック施設など、子供が遊ぶための遊具が充実していた。

 沢山の親子連れがいた。

 皆、幸せそうな顔をしていた。

 遊んでいる親子連れを見ると、母親のことを思い出した。

 やさしかった母の笑顔が浮かぶ。幼い頃ブランコに乗っていると、母親が後ろからゆっくりと揺らしてくれた。

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