第5話 一縷の望み

ホーリーの身体が元の形をとどめぬほどに壊され、兵達がやっと顔を上げる。


『魔物は首を落とし、心の臓を刺し貫けば二度と生き返ることはないと聞きます。

バラバラにしましたし、これで大丈夫でございましょう。』


『何も反撃がない所を見ると、かなり低位の魔物です。ご安心なさいませ。』


『そうか……終わったな……』


息をついて、力が抜けたようにアリオスがベッドに座り込んだ。

ドアが開き、母親が側近と険しい顔で入ってくる。

血の臭いにハンカチで口元をおおい、さげすんだ目で遺体を見下ろした。


『いやしい魔物に心を奪われ恥ずかしい。

もうこのような事、二度とあってはいけませんよ。

下卑た魔物が指輪をせがむなど、まこと嫌らしいこと。』


『遺体はどう処分いたしましょうか?』


兵が、膝を付き頭を下げる。


『魔物は何があるかわからないわ、毒や呪いがあってはいけないし、焼くのが一番いいでしょう。


早く片づけなさい。

夜のうちに部屋も綺麗にして、明日司祭を呼んで清めるように。』


『はっ、抜かりなく。』

兵が麻袋を置き、革手袋で遺体をそれに移そうと手を伸ばす。


『待て、指輪を取り戻さねば……』


アリオスが立ち上がり、しっかと握るホーリーの薬指から指輪を抜き取ろうとした。

しかし握る手は硬く、なかなかはずれない。


『王子、諦めなさいませ。』


『いや、どうせ燃やして埋めるなら手放すのは惜しい。

それにこれを元に、呪いでもかけられたらどうする。

それにもう一つ欲しい指輪があるのだ。

くそっ、なんて硬く握っているんだ。お前にはもう必要ないだろう、このっ!』


彼はとうとう銀の短剣を持ち出し、ホーリーの手に刃を突き立てる。

そしてなんとか、無理矢理ふたつの指輪を抜き取った。


『おお!やはり素晴らしい細工の指輪だ。……あっ』


血に塗れたグリフィンの指輪はしかし、手にしたとたんボロリと崩れ、そしてホーリーの遺体もサラサラと砂になる。

アリオスがホーリーに譲った質素な指輪だけが床に落ち、コロコロ転がった。

窓が独りでに勢いよく開き、部屋を風が吹き荒れる。


『あっ、魔物の身体が!』


ホーリーの身体も、流れた血も砂となって舞い上がり、風に消える。

あとには質素な指輪だけが、その場に残されていた。




その光景は水にかき消されるようにゆらゆらと消え、あとにはサリュートとラルフ、そして椅子に眠るホーリーだけが残っていた。


「なんて……事を……なんと無慈悲むじひな……

それで、祖父に呪いをかけたのか?」


サリュートが、グッと手を握りしめる。

いつの間にか、頬を涙が伝っていた。


あまりにも長く生きる曾祖父そうそふには、魔女の息子の呪いがかかっていると父王は話していた。

しかし、このような事情があるならそれもうなずける。

だが意外なことにホーリーは目を開くと首を振り、それを否定した。


「ホーリーはあの城に呪いなど残しておらぬ。あの城にあるのは後悔のみ。」


そうつぶやいて、身を起こし、月の光が差し込む窓に歩み寄る。


「ホーリーには……」


窓を開けて月を見上げながら、少年の身体が、悲しみに揺れ水に溶けるように薄くなった。


「ホーリーにはわかっていたのだ。あの日彼らがやいばをむくであろう事は。

しかし、どうしても一縷いちるの望みが持ちたかった。それは甘すぎる夢だったかも知れぬ。

彼が自ら刃を向けるとは、ホーリーにはどうしても信じたくなかった。


ホーリーには、あの一時もほんの一瞬の夢。


あの指輪さえあれば、たとえ切り捨てられようと過去の愛された美しい思い出として大切にできたろう。

彼が指輪をこの薬指に着けてくれた時、どれほどうれしかったか……どれほど幸せであったかわかるか。

だがアリオスはこの左手を切り裂き、ちかいを立てたあの指輪を、そして私の大切な指輪さえも抜き取ってしまった。


手向けの一つも、心のより所さえも許してはくれなかったのだ。

たとえ偽りであっても、大切な、あの愛された思い出を……彼はないがしろにして踏みにじってしまった。


れ事と思っていたのはホーリーではない。

アリオスの血縁けつえんの者よ……

これ以上の無礼は許さぬ、明日の朝、帰るがよい。」


サッと風が吹いて、部屋から揺らぎがかき消える。

あとにはもとの暖かな部屋が何事もなかったように静けさを取り戻し、そしてサリュートとラルフには苦々しい気持ちだけが残された。




サリュートとラルフは翌日旅立ち、そして城に帰ると曾祖父にはホーリーに会えなかったと告げた。

父王には家の恥とひどく怒りを買ったが、その翌年の冬も漫然まんぜんと暮らし、曾祖父はとうにしかばねのようになりながらも生きていた。


満月の夜、木に積もった雪が音を立てて落ちる。

サリュートは曾祖父の身体に毛皮の布団を掛け、側近のラルフと口惜しそうに見下ろした。


「あ……会い……たい…………あ……あ……」


「ひいお爺様、お苦しいのですか?」


サリュートが、苦しそうにつぶやく曾祖父の手を握り、力になれなかった事を口惜しく思う。

ラルフが後ろでうつむき、肩を落とすサリュートに手を伸ばした。


「また、暖かな季節に参りましょう。きっと雪解けと共にあの方の心も緩やかに解けるはず。」


「……もう、すでに100年許してくれないのだ。あのような記憶を見せつけられ、今更なんと言えばよい?

あれほどの過ち、許せと言って許せるものがいるのだろうか?

一度は愛し合った方をないがしろにした上、あのように酷い。


何故、指輪さえお許しになられなかった。

なんと言う事を……あなたはあの方になんと言う事をなさったのです……

ああ、どうすればひいお爺様を楽にしてあげられるのか。いっそ……」


護身用の剣に手を添える。

ラルフが慌ててその手を止めた。


「あなたが死罪になりますぞ!王や兄上様は、この皇大王様を神格化しておいでです。」


「しかしこれでは生き地獄ではないか!

ひいお爺様の心は、ずっと後悔と恐れでさいなまされて、一時も安らぎが見えぬ。」


サリュートの涙が、曾祖父の手に落ちる。

小さい頃は、今より少しは元気でとても可愛がって貰った。

年の離れた末の王子など、忙しい王や王妃は構ってくれない。

だから、曾祖父は親代わりでもあったのだ。


死んでしまうのは悲しいことだ。

だが、医療も原始的でたとえ長寿でも50代、60代までしか生きられないこの時代、100を超えるのは異常と人の目には映る。

身体はすでに生きながら死して、食事もままならずただ死ぬことが出来ない身体でいた。


「ひいお爺様の寿命はとうに尽きている。

なのに死ねないとは、呪いである以外になんだというのだ。私は、どうすればいい?」


枯れ枝のような手を優しく撫で、ベッド脇にひざまずく。

ゆらゆら揺れるロウソクの明かりに、何かの影が薄く落ちる。ラルフがふと顔を上げ、ギョッと目を剥いた。


「サ、サリュート様!」


振り向くサリュートが、驚いて立ち上がった。


「ホーリー殿……」


そこにはホーリーが、棚の上に座り、足をプラプラさせて見下ろしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る