第4話 王子の裏切り

息の出来る水の中で少し落ち着いて見ると、自分たちの姿はまるで揺らめく水の影のように透き通っている。

ここはホーリーの夢の中だろうか?


周囲を見回すと月明かりに青い、見覚えのある間取りのその部屋は今と少し、窓の飾りや壁、床の絨毯じゅうたん、置いてある家具さえ違う。

やがてロウソクの明かりを持った1人の青年が現れ、テーブルに燭台しょくだいを置くとゆっくりと窓を開けた。

青年は父王の若い頃にそっくりだという、自分とよく似ている。

服は時代を感じさせ、今より質素で飾りが少ない。


まさか、ひいお爺様か?


青年は窓から外を眺め、月の輝きに照らされながら両手を外へ真っ直ぐに伸ばす。

やがてその光の中に見慣れた黒装束くろしょうぞくの少年ホーリーが現れ、彼の手の中へ飛び込んでいった。

青年は彼を抱きしめ、宙に浮く少年と愛おしそうに口づけを交わす。

そして2人ベッドに腰掛け、寄り添い、青年がホーリーの頬にもう一度キスをすると小さな肩を抱き寄せた。


『これが、最後なのだな。』


ホーリーが、悲しそうにつぶやく。


『すまぬ、勝手な私を許してくれ。』


『良いのだ……婚礼は2日後か。お前の幸せはホーリーの幸せとなろう。

良き家庭をきずきき、良き王となれ。

安心せよ、ホーリーは2度とここへ来ることはない。

もう、お前の前には2度と姿を現すことはないだろう。』


青年がホーリーの髪を撫で、詫びを言うようにまた頬にキスをする。

ショートパンツから伸びる白く柔らかな足の内側を撫でて名残惜しそうに2人、しばらくベッドでむつみ合うと、狂おしい顔でホーリーの胸に口づけの跡を残した。


『ああ、この夜に終わりが無ければいいのに』


『お前の人としての生のほんの一時を満たせただけで、ホーリーはうれしい。

このままの関係を、あの鹿は許すまい』


『鹿への哀悼あいとうの気持ちは忘れておらぬ。私はあの湖に映る月を見るたびに、お前を思い出すであろう』


首筋から舐めるようにキスを落とす王子の髪をであげ、2人ベッド脇に肩を寄せ合って座る。

王子が彼の黒髪の匂いを嗅ぎ、もう一度最後を惜しむようにキスをした。

ホーリーが嬉しそうに微笑み、彼の手を握って彼の付けている、一番質素しっそな指輪を触れる。


『せめて、思い出にこの指輪を。お前との始まりは鹿が奪った指輪であった。

だから、思い出にせめて一つ指輪が欲しい。

だめだろうか?』


黒曜石こくようせきの瞳が、不安そうに揺れる。

青年は笑い、わかったとうなずいた。

だがホーリーが触れた指輪に、それとは違う細かな装飾の指輪を指す。


『それは一番飾りのない価値のない物だ。こちらの美しい方をあげよう。』


『ホーリーに、物の価値など意味はない。思い出ほど素晴らしき宝石はないであろう。

だから、それでよいのだ。』


『そうか……わかった。』


青年が指輪をはずし、そしてホーリーに手を差し出す。


『さあ、手を。そなたには大きいだろうな。』


『ふふっ』


ホーリーが大事そうに自分の左手を撫で、そして遠慮がちに手を伸ばす。


『小さな、可愛い手だ。さあ、どの指に付けて上げよう。』


彼が指輪を差し出し、どの指に付けようかと笑った。

しかしその小さな左手の薬指には、細かな装飾のグリフィンの紋章の指輪がある。


「おや?随分ずいぶんった装飾の指輪だ」


「これは、大切な……それは大切な物なのだ」


「これは素晴らしい装飾だ、この指輪と交換しよう」


「それは……」


ホーリーが彼の手の中で手を握り、無言で拒む。

王子は少し眉をひそめながら、大きく息をついた。


「わかった。無理を言ってすまぬ。では私の指輪だけあげよう。

さあ、どの指がいいかな?」


ホーリーが握った手をようやく広げた。

王子はグリフィンの指輪をチラリと見ながら、彼にはサイズの大きい質素な指輪を差し出す。


『どの指でも、構わぬ。きっとこのひとときは、美しい思い出となろう』


ホーリーが嬉しそうに、その様子を見つめる。

それは本当に幸せそうな笑顔で、それを見ていたサリュートも胸をうたれた。



『これが最後の思い出に……共に暮らすことは出来ぬが、聖なるちかいをこの指輪にこめて。』



青年が、小さな左手の薬指に指輪を着けようと指を取った。

薬指……それがどんな意味を持つのか。


ふと顔を上げたホーリーの胸が、喜びに躍る。

たとえ仮初めにでも、彼のその心遣いが嬉しかった。


『ああ……なんという至上の喜びであろう……ホーリーの心はこれで、これだけで満たされる。』


そして指より大きな指輪が、グリフィンの指輪に重ねてゆっくりと指に通された時……


ぴょうと風が鳴った。



ドッドッ



衝撃しょうげきに、ホーリーの身体が前に倒れ込む。


『あ……』



胸に手を当て、身体を起こす。

その背に、2本の矢が刺さっていた。

しかし血を流すこともなく、背の矢はすぐにぽろぽろと抜け落ちる。

ホーリーが立ち、青年を庇いながら矢の来た方角を振り向いた。


『矢が!』


『大丈夫だ、アリオス私の後ろへ』


部屋の隠し扉のスキマから、2人の兵が次の矢を取り出すのが見えた。


『アリオスよ、危険だ私から離れよ。

ホーリーは、矢ごときでは死なぬ。』


『そうか……』


背後で青年が、とっさにテーブルの下から短剣を手に取る。

そして……



後ろからホーリーの背を一息にドッと刺し貫いた。



薄い胸から突き抜けた剣の先が現れ、ホーリーが悲しげに見入る。


『ああ……』


唇から一つ、ため息にも似た言葉が漏れた。



『これは魔物を倒すという銀の剣だ。これならどうだ、ホーリーよ!』


『アリオス……』


彼が剣を抜くと傷口からドクドクと血があふれ、ホーリーの身体を、白く細い足を伝う。


『アリオス、ホーリーはお前を愛して……』


手を伸ばすホーリーに青年は顔を背け、もう一度前から胸を刺した。


『許せ、ホーリー。王女との婚礼には一点の曇りも許されぬ。』


『私は……もう二度とここには来ないと……』


来ないと言ったのに……信じてくれなかったのか。

この指輪に誓った言葉は偽りなのか……


『うおおおっ!』


雄叫おたけびと共に、隠れていた2人の兵が剣を振り上げる。

青年が飛び退くと同時に、1人の剣がホーリーの肩口を切り裂き、反動で舞うようにホーリーが一回転する。

そしてもう一人の剣が、首をはねてとどめを刺した。


とさり


黒髪を広げてホーリーの頭が落ち、小さな身体が床に崩れ落ちる。


2人の兵が急ぎ、足先で身体を返して仰向けにすると、更に何度も何度も刺しつらぬく。

さらに2人の兵が加勢して、ホーリーの小さな身体は激しく傷つけられた。

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