第3話 月下の恋


それから毎夜、アリオスはひそんで湖に潜り指輪を探した。

しかしいったん見失った指輪は、なかなか見つからない。

ただ月は日がたつ事に満ちてきて、明るく湖を照らす。

ホーリーの言葉が本当なら、きっと指輪は湖底で輝いているはず。

近づく婚礼に焦る一方、何故か心に刻まれた、あの少年の踊る姿が何度も思い起こされ夢にも現れる。

やがて満月の夜、暗い湖底に一筋の輝きを見つけた。


あった!あったぞ!


彼はとうとうその指輪を見つけ、湖面に出ると高くそれを掲げて声を上げた。


「やった!見つけたぞ、ホーリー!

私はお前に勝った!」


喜びのあまりそう叫ぶと、他の指輪と重ねて指に付ける。

辺りを見回しても、シンと静まりただ静粛せいしゅくだけが広がっている。

息をつき、ポッカリと湖面に浮かんで星空を見つめた。


やはり、やはり……

ホーリーよ、お前は姿を現さないのだな……


風が吹き、湖面がゆらゆらと揺れる。

目を閉じて、それにまかせてたゆたい、一時が過ぎた。


緩やかなウエーブのかかった黒髪。

白く整った顔に、黒曜石こくようせきのような漆黒しっこくの瞳。

少年の華奢きゃしゃ素足すあしが水面を跳ねる。


もう一度、せめてもう一度会いたい……


頭に浮かぶのは、少年と言うにはあまりにも妖艶ようえんなホーリーの姿。

思い浮かべ、ため息をついて目を開いた。


「指輪、見つかったのだな。」


声にハッと横を見る。

そこにはホーリーが、アリオスと並ぶように湖面に寝そべり、つまらなさそうに一輪の花で遊んでいる。

ハッとアリオスは息を飲み、少年のいたずらっぽい顔を見つめた。


ずっと会いたかったその少年が、隣にいる。


クスリと笑う少年の桜色の唇に、ぞくりと背に寒気が走る。

言いようのない思いが一気にわき上がり、手を伸ばして恐る恐るホーリーの白く柔らかな頬を撫でた。

触れれば消えてしまうような、恐れにも似たときめき。


「また……泡になって、消えてしまわぬのか?」


今宵こよいは……月が美しいであろう?」


ふふっと妖しく微笑み星の輝く空を向く。


「会いたかった……ずっと……」


アリオスの身体がなぜか同じように湖面に浮かび、そして半身を起こしてホーリーの顔を包み込む。

そして、そっと口づけた。






ウトウトしていたサリュートがゆっくりと目を開き、大きく吐息を漏らすと椅子にもたれうなだれる。

腕を組み、ふと目を閉じた時、衣擦れの音が目前で聞こえた。

ハッと目を開くと、目の前の椅子に黒装束くろしょうぞくの10歳前後の少年が足を組み、肘掛けに片肘をついて頬杖ほおづえしている。

その容姿は皇大王に聞いたそのままの姿で、変わらず美しい顔を懐かしそうに目を細めた。


「あなたが……魔女の息子か?

曾祖父そうそふが、皇大王が会ったのは、確か100年以上も前の事のはず。」


一体この少年は何年の時を生きているのかと、サリュートの背を薄ら寒い物が走る。

しかし少年は身動きもせず、その可憐かれんな唇を開いた。


「いかにも我が名は黒い森の魔女の息子、ホーリー。

……アリオスの、孫か、ひ孫か……確かによう似ている。」


「私は皇大王の孫である今の王の、末の息子です。

病の床にある皇大王の、最後の望みを叶えるためここに来ました。

どうか、皇大王に会って頂きたい。ずっとあなたに会いたがっています。」


ホーリーがクスリと笑い、指で唇をなぞる。

そして思いもかけないことを語った。


「お前の縁者えんじゃアリオスの声、すでにホーリーには届いている。

だが、ホーリーに会う気はない。」


サリュートが思わず立ち上がる。

この少年はすでに知っていて、なのに来てくれなかったのだ。


「あ……あなたにとって、曾祖父は一時の遊びであったかも知れぬ。しかし曾祖父は……」


恥ずかしさに、カッと顔が燃え上がる。

ラルフが眠っていることが、ほんの少し救いに思えた。

ホーリーはクスクスと笑い、組んでいた足を下ろすと右の肘掛けにもたれかかる。

黒いレースのニーソックスにショートブーツは、この時代サリュートも見たこともない作りの物だ。

ブーツに付いている飾りのチェーンが、サラサラ小さな音を立てた。


「ホーリーは、遊びで人と交わったことなど無い。

だが、アリオスは約束を違え、ホーリーをたばかった。」


「たばかるとは……だましたと仰るのか?我が皇大王が。

……しかし、しかし、たとえそうであっても……

我が皇大王も人として間違いはあろう。

だが、小国とはいえ他国の侵略から国を護り、立派な采配さいはいで国を栄えさせた素晴らしい王だったのだ。

私には、お優しく心の広い大切なひいお爺様。

すでに百数十年の時を過ぎ、お若い時の過ちをいまだ責めずともよろしいではないか。」


「……そうだ、皇大王様への無礼な言葉は許せぬ。

今の国があるのは、あのお方の采配さいはいがあってこそ。我が国の勇者とも言うべきお方。」


いつから聞いているのか、ラルフが起きあがり剣に手をかけた。

ホーリーが目を閉じ、そして一つため息をつく。


「やれ、かなわぬ。今日の客人は無礼きわまりない。

また雪が、世を純白に染める雪が音もなく降ってきた。このような夜、ホーリーは静かに眠りたい。

今宵こよいは夢の中で踊るとしよう。

あの、忌まわしい夢の中で。」


「眠るなどと!どちらが無礼か?!」


思わずラルフが叫んだ時、


ザアアッ


「なっ、なに?!」

「王子!王……うぐあっ!」


突然どこからか湧き出た水で部屋が満たされ、2人がおぼれそうに手足をばたつかせる。

ホーリーは、変わらず椅子にかけたまま、肘掛けにもたれて眠ってしまった。

息が続かず、ガボガボと水を吸い込みノドを搔きむしる。

しかしふと、息が苦しくないことに気が付いたサリュートが、ラルフの手を掴み落ち着くように合図した。


落ち着けラルフ!この水は苦しくない。


話そうとしたが、声が通らない。

やがて水中のように揺らいだ部屋が、次第に見慣れた自国の城の一室に変化した。

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