第8話 妄想の必要性
精神障害において、妄想というものがみられることがしばしばあります。特に、統合失調症の症状を、その症状のはたしている意味なり機能また役割を考える際に、重要な位置にあるのが、妄想という症状です。
健康な人からみて、妄想とは、不可解なものに思えるでしょう。それは、健康な人は、「第一妄想」を当然のものとして、自己の心理基盤を確実なものにしているからです。健康な人とは、妄想を持たない人ではないのです。では、どのような人が精神的に健康でいられるかといえば、「第一妄想」を持つことができた人です。では、第一妄想とはなんでしょうか。
両親が性行為をする際、本当に相愛の感情に基づいてそれが行われ、真に受胎、あるいは妊娠が望まれたもので、誕生あるいは出生が祝福を伴うものであれば、この赤ん坊は、両親の真っ当な愛情を糧として、自分は愛されて当然の存在だと思うことができます。この「思い込み」は強烈なもので、以後、この思い込みが、自己に不利益な、あるいは不愉快な情報を遮断する働きを担ってくれます。これらの働きは「一方的なもの」で、他者との親密性と反発するものではないけれど、決して、依存性や服従する態度と相容れるものではありません。
つまり、まったく正当な主張をするにしても、前提として、確実な自己肯定感が育っていなければ、その人はいつも不安に押しつぶされてしまって、自分の立ち位置に「第二妄想」つまり、作為による、当然とはいえない妄想を据えて、どうにか自己の立場を確保しようとします。
一般に妄想と呼ばれるものは、「第二妄想」のことを指しています。妄想に似たような印象を与える言葉に、空想、幻想、想像などがありますが、共通しているのは、心理内部の葛藤が処理される過程を表している点であり、相違点は、「第一妄想」とのつながりが強いか弱いかという点です。第一妄想とのつながりが強ければ、さまざまな「想い」は創造されて、その人自身に、また社会にとっても有益な文化的資産として歓迎されるものです。他方、第一妄想が欠落したような場合、第二妄想を設けるかたちで、第一妄想を補償しようとしますが、当然この試みはうまくいきません。というのは、第一妄想は、赤ん坊のときに、親から与えられるものですが、この時にはまだ、赤ん坊は言葉を持たず、よって、第一妄想が赤ん坊自身の言語による「客観的」理解の対象になり得ないがために、第一妄想が赤ん坊の心理から離れることなく、赤ん坊の存在と一体となるため、この赤ん坊は、第一妄想それ自体を言葉によって検閲したり、精査することから免れることができるのです。つまり、第一妄想は当然のものになるので、第一妄想と言語が解離することはなく、逆説的ですが、言語が「作為的な」妄想と距離を置き続けることが可能になります。言うまでもなく、作為的な妄想とは、第二妄想のことです。
精神障害を特徴づける妄想から、自由になりたいのであれば、第一妄想の欠落、つまり、その人は親の愛情や祝福を真に受けて生まれたのではなく、親の都合で、「なんとなく」生まれてきたのだ、という事実を認めることが必要になる。この事実認識の過程は長くかかり、また大変つらいものですが、この時期を越えた先に、はじめて、第二妄想ではなく、第一妄想を手に入れることができるようになります。なぜなら、事実認識のなかで、自己の生い立ちの真実を発見したとき、その「真実」が、第二妄想に特有の防衛機制としての妄想内容を、確かに、自己防衛の手段としての妄想であったとわかるようになり、その妄想の轍から解放されることを可能にしてくれるからです。ですから、問題は妄想それ自体の有無ではなく、妄想の正統性があるかないかということなのです。
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