第6話 性の禁忌と緘黙症

緘黙という精神症状を聞いたことがあるでしょうか。特定の場面だけで、一切しゃべらなくなる場面緘黙症、あるいは、選択性緘黙というものを指すことが多いです。なぜ、人はしゃべることを「拒否」するのではなく、本人にも説明不能な、しゃべることが「できなくなる」などということが起こるのでしょう。

幼児は、外性器に興味を示します。これは、どちらかというと、男児にその傾向が強く現れますが、女児も、偶発的な陰核への刺激から感じ取られた性的快感が、性的探求心を鼓舞します。そのような時期を私たちは幼児のときに体験するのですが、この性的探索は、性的なものを恥ずかしく思う、とりわけ、他人の面前で、性的探索を表現する子どもを不安要因に感じてしまう親、特に母親の自己の保身と安定を図るため、子どもに性的探索を禁ずることになります。その方法は、まなざしと口調の二つが代表的なものです。

子どもを、母親の意向に服従させるべく、まなざしによって子どもを暗に操作し、また、口調によって、同じように母親の意向に子どもが隷従するよう、また背かないように誘導するのです。そのような経験を非常に強烈なものとして、強く自己の心理および身体認識にその印象を読み取るような、感受性の強い子どもは、これらの「性にまつわる体験」を経たのち、「性」というものに対して非常に強い反応を示すようになります。その「性」の内容とは、母親を動揺させた性質をその主要なものとして意味づけられたものになりますから、母親の愛情を享受するためには、母親が棄却する「性的なもの」それを「言葉にすること」を恐れることになります。そして「性的発話」を徹底的に駆逐することを余儀なくされてしまうのです。

しかし、人は性的衝動を消去することはできません。たとえ、意識的に性的言動を漏らさぬように気をつけていても、無意識と親和性の高い性的事象は、意識によって検閲し、合格した言葉だけを発話する、などということはできないのです。ですから、このような本来、感受性の豊かな子どもが、既述した、よそさまの目を気にする母親の影響に左右されて、意図しない性的発言が、母親の所属する人間集団のなかにおいて、同様にその集団の一員である子ども自身も、意識による言葉の選別また、性的言動の排除が失敗してしまうのではないかという恐れから、「始めから終わりまで」、徹頭徹尾、話さない、いえ「話せない」という状態が起こってくるのです。

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