第5話 膣とアゴラ

膣は女性器の一部を表す名称です。しかし、「膣の中」とは、女性器を意味してはいません。なぜなら、「膣の中」は、空間を指しており、女性器の実体を指してはいないからです。これは、ちょうど、消化管の内部が、医学において「体外」として扱われることと同じことだといえます。そうではありますが、この「膣の中」というものは、特別な空間としての役割があります。

男根が、単純に男性器としてあるのではなく、象徴や、人格の比喩といった作用をも担うように、膣も、単純に女性器としてあるのではなくて、膣という実体の外延にある「膣の中」に、男根の象徴性とはまた違う、別種の象徴性を有しています。では、「別種の象徴性」とは何を象徴しているのでしょうか。それは、「原始アゴラ」を象徴しているのです。「アゴラ」とは、「広場」のことです。

性行為は、男性器が女性器に挿入される現象を伴って可能になると考えられます。言い換えれば、男根が膣内部に挿入されることで可能になる現象です。もっと言えば、象徴と象徴が接触することが、性行為の俯瞰的象徴性です。性行為とは、単なる外性器接触ではないのです。

「性器」の誕生は「恥じらい」の隠蔽を萌芽としています。しかし、性行為ともなれば、恥じらいの隠蔽を覆すことが不可欠です。ここに、言葉によって覆い隠されていた恥じらいの存在を認めて、恥じらいを言葉で隠蔽せずに、外性器の性的興奮による目立った変化をも制止させずに、はじめて、偽る手段としての発話行為を離れて、外性器それ自体による真の対話が可能になります。それが性行為の本質です。そういう意味で、性行為とは、コミュニケーションの根本的な様式であり、また、いわゆる「言葉」より、はるかに訴求性があり、かつ、偽る手段としては不向きな、特別な言語とみなすことができるでしょう。

性行為は、「原始アゴラ共有」の可能性に真価があります。そして、原始アゴラ共有が成立すれば、原始アゴラ、つまり、膣の中が現実世界全体に拡張され、その人は確かな世界のなかで生きられるようになります。しかし、原始アゴラ共有が成立せず、「原始アゴラ疎外」が続く状態のままだと、疎外感が現実世界全体に作用するため、孤立した世界にとどまることになります。

性行為や愛し合うことは、外性器の内包に、その意味が隠されているのではなく、外延に「物語る性器」としての、真実の言語様式を有していることを発見していく過程を指しています。

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