第9話

翌日から二人は、兵舎での粗末な夕食を済ませると直ぐにメイリンの家を訪れた。

礼儀正しく挨拶し、食事の準備から後片付け、重い物の移動に掃除。出来る限りのお礼をした。

 清志はポケットからシワシワの紙を取り出すと鉛筆で(高山清志、村田健太)と書いてみせた。同じ漢字でも声に出すと全く違うのが中国語だ。

「たかやまきよし。むらたけんた」

清志は日本語の読み方を教えると、日本では名前の後に「さん」をつけて呼ぶことも話した。

「たかやまさん。むらたさん」

メイリンが恥ずかしそうに二人の名前を呼んだ。二人もまた美玲と書く名前を「めいりん」と呼んだ。

 


 「土産です」

清志と村田は引き戸をくぐると嬉しそうに顔を見合わせた。頷き合い持ってきた麻袋に入った荷物を、丁寧に板床に置いた。

「これは?」

「いつも食事をいただいているお礼です」

清志はそう言うと、麻袋の紐をほどいた。

「すごい」

メイリンよりも先にイーリンが声をあげた。今までで一番の彼女の笑顔を見た気がした。

清志と村田は、少量ではあるが食材を二人の元に運んでいた。

お国を守る兵隊には少しだけだが給金が出ていた。日本のお金でも中国のお金でもない軍の発行する紙幣(櫧備券)だ。少し遠くではあるが大きな街に行くと、この紙幣が使えた。

清志も村田も、酒も煙草も好まない。その分、お金を好きなものに費やすことが出来た。円にすると十円で卵四個。餡巻一本。それに小豆や砂糖も買えた。

「上白糖を見たのは久しぶり。もち米もあるわ」

イーリンも興奮気味に麻袋を覗いている。白糖に興奮したメイリンは、隣で微笑む清志の手を取った。

「わたしは、甘い物が大好きなんです」

メイリンの触れた手に、清志は自分の鼓動が早くなるのを感じた。それを隠すように「わたしも甘い物は好きです」と顔を少し伏せながら返事をした。顔を伏せる清志にメイリンもまた、自分の鼓動が早くなったのを感じ、慌てて手を離した。

「今日はもう夕食の支度をしてしまいました。明日、甘いお汁粉でも作りますね」

治まらないドキドキを隠すように早口になるメイリンの言葉に、

「本当ですか?」

清志は子供のような笑顔を見せた。

「なんだよ。気持ち悪いな」

椅子に座った村田が清志の顔を見るなり、半身後ろに体を引いた。清志はグイっと前にでると「お汁粉だ」大きな声をあげた。その言葉に村田の顔にも、気持ち悪い笑顔が浮かんだ。

 こんな三人のやり取りを見ているうちに、いつしかイーリンの二人に対する険悪感はすっかり消えていた。

 

翌日目を覚ますと、二人は朝からずっとお汁粉の事を考えていた。辛いはずの訓練ですら笑顔がこぼれた。夕飯を飲み干すと小走りで宿舎を後にした。家の近くに来ると既に甘い香りが漂ってきた。

「この匂い」

清志は顔を前に突き出し、クンクンと鼻を鳴らした。

「だな。お汁粉なんて久しぶりだな。でも日本のそれと同じなのか?」

「味が違くても、甘い物が食べられるだけで俺は十分だ」

「そうだな。考えただけでよだれが垂れそうだ」

二人は慣れた手つきで引き戸を叩くと「はい」と言う声に扉が開くのを待った。目の前の引き戸が開くと

「ただいま帰りました」

「おかえりなさい」

日本では当たり前にかけていた言葉を、ここでも当たり前のように口にした。

「お汁粉は?」

我慢できない村田がイーリンの側に近寄った。村田も単語ながらも中国語を話すようになっていた。清志だけでなくメイリン、イーリンからも中国語を学んでいた。

「食事の後です」

「えー」

清志と村田の声が重なった。

「えー。じゃありません」

イーリンがまるで小さな子供のわがままを叱るかのように、二人を一喝した。不貞腐れたような顔で清志と村田は食事の準備を手伝った。

「よく噛んで食べなさい」

イーリンに怒られたのは、清志と村田だけではなかった。メイリンもまた、お汁粉を楽しみにしていた。「熱い」と何度も声に出しながら、お粥と煮物を口に頬張っていた。

「はい、どうぞ」

食事が終わると三人の前にお汁粉が出された。見た目は日本のお汁粉と大差ない。小豆の粒が浮かび、何とも言えない甘い匂いを漂わせていた。お汁粉を嬉しそうにすする姿は、三人の小さな子供だった。

「甘くて美味しいな」

ほんのりとお汁粉色に口元を染め村田が清志を見た。

「うまい」

顔を上げた清志の頬には汁が飛んでいた。イーリンはそんな二人を優しく見つめると、自分も一口お汁粉を口にした。

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