第6話
誤爆が起きてから二週間後。次の場所への移動が決まった。
「飯は食える時に食え」
「分かってる」
「体は基本だろう」
「分かってる」
「俺たちは戦地に向かうんだぞ。何日も食べられない事もある」
「分かってる」
「お前のちっぽけな命なんて誰も必要としてないけどな。死ぬなら敵を一人でも倒して死ね」
「……」
「食え。命令だ」
山中の向かいに座る村田の口調が変わった。あの日を境に、山中は食べ物を手にしない。見る見ると痩せていく山中を清志と村田は心から心配していた。本気で心配するからこそ語気も強くなる。
「後で……」
「ダメだ。今、俺たちの目の前で食べろ。三日後には、一日中歩き続けることになる。すぐに敵国領内に足を踏み入れるんだぞ。わかってるか? お前、自分の顔を鏡で見たか? 体を見たか? 今までのお前なら、高山を背負ってでも歩けただろう。今は、高山がお前を背負えるぞ」
「頼む、少しでもいい。食べてくれないか……」
村田の横に座る清志の声は今にも泣き出しそうだ。その声に重なるように山中が重い口を開いた。
「ありがとう。あいつが言ったのに、俺は背を向けたままあの建物を出た。自分が死んだことにも気が付いていないように。あいつの声が聞こえる。あいつのはにかんだ笑顔が浮かんでくる。あいつはもう、食べることも、眠る事も、言葉を伝えることも出来ないのに」
俺一人食べることは出来ない、目を閉じて眠ることなんて出来ない。力なく話す山中に、どんな言葉をかければいいのだろう。あれは事故だった。お前のせいじゃない。あいつはお前の事を恨んでなんかない。そんな言葉は山中の心に届かない。
三日後、予定通り部隊は出発した。足取りは重く、焦点の合わない目をした山中を清志は支えながら歩いた。
それから一週間以上歩き続けだろうか、体力を失うと同時に部隊の士気も落ちていった。そこにいる誰もが体も心も支えを必要とし始めていた。
「敵襲だ」
前方を進む兵士が声を荒げるとともに、軍陣に銃弾が降り注いだ。辺りは田に囲まれ、身を隠すところなどない。奇声を上げながら右往左往するだけで、訓練など何の役にも立たない。
「どこでもいい。身を伏せろ。」
襲いかかって来るのは敵の銃弾だけではない。体当たりしてくる味方に巻き込まれ、清志は山中を見失った。突っ立ったままの清志の手を村田が勢いよく引っ張った。
「山中が……」
田に倒れこんだ清志は無意識に山中を探し、頭を上げた。直後、右側に大きく倒れこんだ。鼓膜を破る程に大きな音が耳元を過ぎていった。清志に覆いかぶさるように身を低くしたまま、村田が銃を構え応戦する。目の前に、横に、後ろに銃弾がのめりこむ。敵の弾なのか味方なのか、どこから襲って来るのか分からない。「痛い」「撃たれた」「足が……」「見えない」「誰か助けてくれ」銃声の合間に、言葉にならない叫び声が聞こえる。何が起きているのか動けない。考えられない。何をするべきなのか……。
覆いかぶさった村田の鼓動に、清志は少しずつ冷静さを取り戻した。「切り抜けなければいけない。生き抜いて山中を探さなければ」覆いかぶさる村田の腹からにじり出ると、銃を構えた。銃を構えて初めて現状が目に入った。あれだけ訓練した射撃が全く役に立たない。的が見えない。照準が合わない。目の前で血が吹き出る。人間の腕に、体に銃弾が突き刺さる。仲間が倒れる。それでも手が震え、引き金が引けない。
俺は【命を奪う覚悟】が出来てない。
銃を構えたまま、清志は固まっていた。
相手は日本軍の戦力を弱める事が目的だったのだろう。必要以上に追随攻撃してくることはなかった。
「後追いはするな。数メートル手前の林まで後退する」
足を引きずる者、肩を押さえる者。狂ったように声をあげる者。動かなくなった同志を残し、命を繋いだ兵士が後退を始めた。
「大丈夫か?」
「山中は……山中……」
村田の声も耳に入らないのか清志は震える声で、山中の名前を呼び続けている。
「あそこだ」
数メートル先で、うつむき泥だらけの膝を抱え全身を震わす山中を村田が見つけた。
「生きてる――」
清志は、ガクガクと震える膝を叩き、必死に山中の方へと歩き出した。うまく歩くことのできない清志を置いて村田が駆けだした。近くに寄れば寄る程、山中の顔が青ざめ何かをブツブツと呟いているのが分かった。
「隠れた。逃げ出した。卑怯者だ。人を殺しておいて自分は死にたくない。俺だけ生き残ってしまった。すまない。すまない――」
「何を言っているんだ。」
村田は山中の前にしゃがみ込むと、両手で山中の膝を揺さぶった。
「高橋が、あいつが、敵に背中を向ける俺の耳元で囁いた」
「何を言っている。あいつは、もうここにいない」
「卑怯者。そう言った」
「本当にあいつの声だったか? お前一人で生き残るなと? ここで死ねと? そう言ったのか?」
山中が小さく頷いた。
村田は「それは違う」と何度も首を横に振った。
「お前、言ってたよな。高橋が最後に「ありがとう」そう言った。それがあいつの心だろう。死にたくないと思ったなら生きればいいだろう。何も考えずに、ただ生きればいいだろう。あいつの代わりに、ありがとう。を言い続ければいいだろう」
山中の手が微かに動いた。
「俺は引きずってでも、お前を連れて行くぞ。お前がいないと俺はやっぱり死ぬかもしれない」
やっとのことで追いついた清志が、ヘルメットを手に腰をかがめた。手にしたヘルメットには銃弾が当たった跡がはっきりと残っていた。凹み具合から見ると、直接当たったのではないようだが、銃弾が頭に当たった事には変わりなかった。山中はゆっくりと顔をあげると、清志の頭に震える手を伸ばした。
「そうやって上を向いて生きていくか。俺と高山と一緒に」
村田の言葉と清志の笑顔に、山中は小さく頷いた。
「俺はまだ、死にたくない」
「俺はまだ、死なないからな」
山中は清志の顔を見ると、
「お前を守るには、体力が必要だな。腹が減った気がする…」
今にも消えそうな程に小さな声だが、久しぶりに聞いた震えのない山中の声だった。
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