第5話

並んで朝食の配給を受けながら、山中が清志に話しかけた。

「高橋が何だって?」

「ああ?」

「さっき、何か言いかけただろう」

「ああ。お前とあいつ、やっぱり良く似てるな。一瞬、お前と話してるかと思ったくらいだ」

「どうせ、要領が悪いって言うんだろう」

「よくわかってるな」

二人は少ない朝食を机へと運ぶと、並んで席に着いた。

「ここの生活はどうか聞いたら、初めは口ごもってな」


中華民国領地は、目と鼻の先だ。夜襲に備え、当番制で兵舎周辺の見張りをしていた。

昨夜は山中と高橋が組み、手に持った灯り一つで外の見張りをしていた。

月が笑いかける新月の夜だった。

「辛いか?」

「……」

「日本に帰りたいか?」

「……」

山中は高橋が答えにくいだろうと、答えを求める代わりに自分の考えを口にした。

「俺は帰りたい」

「そんな事言って平気ですか?」

必要以上に小さな声になると、高橋は慌てて周りを確認するように首をねじらせた。そんな高橋の腕を山中は大丈夫だとひっぱり、傍にある切り株に座らせた。

「確認済みだ。安心しろ」

高橋はゆっくりと腰を下ろすと安心したように息を吐いた。

「日本はいいよな。お前はどこからきた?」

「群馬です」

「そうか。家族は?」

「両親と姉、妹がいます」

「会いたいだろう?」

「はい」

「俺も会いたい。もう三年以上だ。両親にも兄にも……。婚約者にも会いたい」

「婚約者がいるんですか」

「ああ。予定では今頃結婚しているはずだったのにな」

「予定では……」

「ああ。三年で除隊したら正式に籍を入れるつもりだった。でも、俺はまだここにいる」

「あ……。そう……ですよね」

 高橋はなんと言っていいのか分からず俯いた。

「手紙も送っているが文章なんて黒塗りだろうな。伝えたいことすら伝えられない」

「辛いですね」

「戦争が始まるまでは、いつでも伝えられると思って伝えようともしなかった。だが今となっては、伝えておけばよかったと後悔している」

「伝えればいいですよ。戻った時に」

「そうだな。戻れたらな……。お前も伝えたいことあるのか?」

「あります。ありがとう。と伝えたいです。今まで当たり前だった事が、どれだけ感謝するべき事だったのか、今になって分かりました」

「感謝か……。お前は心が綺麗だな。ここの生活は辛いだろう?」

「……はい」

「お前も俺たちの前だけでは弱音を吐けばいい。我慢するな。お前は要領が悪い。人一倍努力しても怒鳴られる」

「ありがとうございます。でも……」

「無理するなっていっただろう。お前は俺の親友に似ているんだ」

「親友?」

「高山だよ。前の兵舎で三年間も同室だった。気が合うのもあるが、俺がいないとあいつは無理して死にそうだからな」

「わたしも死にそうですか?」

「死ぬだろうな。それでなのか、お前のことが気になって仕方ない。ただ、前にも言ったが、贔屓は出来ない。だからこういう時くらいしっかり呼吸をしろ。思いっ切り吸って吐けるだけ吐け」

「はい……」

涙をこぼさない様に必死に上を向く高橋のいがぐり頭を、山中は力強く撫でまわした。

 

山中の話をじっと聞いていた清志の顔には、薄っすらと笑みが浮かんでいた。

「入隊すぐの俺を思い出すな。俺はいつも怒鳴られてたな」

「訓練初日、俺はお前が死ぬと思った」

山中が清志に視線を向けると、清志は苦笑いを浮かべていた。

「訓練で死ぬか?」

「お前ならあり得るって話だ」

「そう言われると否定はできない」

「だろう。あいつにもそんな危うさがある。お前も気にかけてくれとは言わないけど、それとなく見てやってくれるか?」

「既にそうしているけどな。あの人も」

二人と離れた机で、高橋の向かいに座り静かに食事する村田の後ろ姿があった。

 


 汚いものを隠すように、地面には薄っすらと白い雪が残り、空の青さは薄い雲に覆われ乳灰色に変わっていた。

いつもと変わらない一日が始まった。

ここでの訓練は指示を出す者が毎日変わる。今日の訓練指示者は山中だった。


「備品の手入れを頼む」

高橋を含め五人の新兵に指示を出した。今日は、通常の訓練のほか備品の確認と手入れの任務が追加された。朝から咳き込んでいる高橋への山中なりの小さな気遣いだった。

「そこの三人は、ここで銃と弾の手入れすること。後で確認にくる。お前たち二人は隣の建物だ」

高橋と横田を離れた小さな建物へと連れ、ゆっくりと歩きながら山中が小声で高橋に話しかけた。

「風邪をひいているだろう。大丈夫か?」

「すみません」

「昨日の夜もトイレ掃除していたな。体が冷えたか?こっちの方が訓練よりは辛くないはずだから」

「すみません」

「そこは、ありがとう。だろう?」

一瞬、高橋の笑顔が見えた。山中は軽く息を吐き、力をこめ建付の悪い戸をガタガタと開けた。戸の横に立つ山中の前を、頭を下げながら通り抜ける横田の肩を軽く叩いた。

「悪いが、こいつを少し気にかけてやってくれるか?それでなくても要領が悪いのに、風邪ひいて頭回っていないだろうから」

「はい。わかりました」

 素っ気なく、抑揚のない声で横田は答えた。

 広くも狭くもない平屋の建物には、入り口と反対側の壁に備え付けの棚があり、棚にはいくつもの木箱が並べられていた。

咳を必死に我慢する高橋を横目に通り過ぎると、山中は木箱を部屋の中央に置いた。

「ここに一箱ずつ運んで、手榴弾のピンの緩みと破損の確認をすること。一箱が終わったら元に戻し次を運ぶ」

「一箱ずつですか?」

「そうだ。それは絶対に守れ」

「わかりました」

少しかすれた声で返事をする高橋を、振り返ることなく山中は頷いた。

「まとめて運んできた方が、効率が良いと思うのですが。そんな要領の悪いやり方は……」

背筋を伸ばし、山中の正面に立つ横田の視線が高橋を捉えていた。その言葉は要領が悪い奴と組まされたことに対しての反感を含んでいるのかもしれない。もしくは、山中が高橋を気に掛けることが、気に食わないのかもしれない。山中は、その反論に反応することなく、空の木箱を二つ逆さまに置くと、その一つに腰を下ろし真ん中に置いた木箱を開けた。

「手榴弾は箱の中に二つずつ入っている。一つでは威力はそこまで大きくはない。が、もしこの場に十箱あったら手榴弾は何個になる?」

「二十です」

横田は「当たり前のことを言うな」とでも言いたそうに。ぶっきらぼうに答えた。

「だったら、わかるな?」

「何がですか?」

「お前は分かるな」

高橋に背を向けたまま問いかけた。

「誤爆した場合、一箱ならば二つの手榴弾の爆発で済みますが、十箱では二十の手榴弾が爆発する可能性があります」

「そういう事だ」

山中は立ち上がり頷くと後は頼んだ。と高橋の顔を見ることなく建物を後にした。

「ありがとうございました」

背後で、高橋の声が聞こえた。


「どうだ?数はあっているか?」

「はい」

山中は銃の手入れを指示した建物にいた。

「数が合っているなら、次は銃身の詰まりの確認と掃除だ。これは気を抜かずに丁寧にやるように」

「はい」

厳しい訓練に比べれば、天と地ほどに楽な仕事だ。心なしか銃を点検する兵隊の顔が明るく見える。つられて山中の顔も明るく見えた。

つかの間の暖かな空気を感じた瞬間。恐ろしい程に大きな音がその空気をかき消した。残響が鳴り止まないうちに、山中は走り出した。地響きと共に二回目の爆音がとどろいた。銃撃訓練中の兵が、敵襲かと銃口を向ける先はあの建物だった。

「戻れ」「馬鹿野郎」「隠れろ」怒鳴り声が山中に浴びせられる。その声を割くように、山中は必死に建物へと向かった。足がもつれ全身で転がりながらも前へ進もうとする山中に、清志と村田が走り寄った。「頼む。死なないでくれ……」山中の口からこぼれた言葉に二人は固まった。

「あの中に誰かいたのか?」

清志の声が震えた。

「何があったんだ?」

周りの兵士はまだ、戻れ。と大きく手を振っている。

「手榴弾……。高橋と横田……」

手榴弾の言葉に、村田はハッとした。

「もしかして誤爆が……」

言葉なく頷く山中を確認すると、銃を構える兵の方へと向かい大きく手を振り返した。「敵襲ではありません。誤爆かと思われます」と大声をあげた。緊張の糸が切れた兵士たちは口々に「誤爆?」「何だ、そんなことか」「驚かせやがって迷惑だ」そんな言葉を投げつけた。

地面に倒れたまま涙を流す山中を、清志と村田が脇から抱え上げた。

 二人に支えられ、力なく立ち上がった山中の前に、騒ぎを聞きつけた上官二人が駆け寄った。

「あの騒ぎは、手榴弾の誤爆と言う事だな」

「高橋と横田が手入れをしていました。その場所で爆発が起きていますので、誤爆と思われます」

「どうせ訓練をさぼれるからと浮かれていたんだろう。大切な手榴弾を無駄にしやがって」

不機嫌にフンと息を吐くと面倒そうに、半分崩れ落ち真っ黒な煙の上がる建物に、残りの手榴弾の確認のために兵士を送った。あくまでも手榴弾の確認であり高橋と横田の安否確認は含まれていなかった。

二人に対する言葉など、あるはずもない。今にも二人に殴りかかりそうな清志の手を、村田が力の限り押さえた。「山中の立場を悪くするな」そう言うかのように、二人の上官に深く頭を下げた。渋々ながら頭を下げた清志の耳に、キリキリと歯を食いしばる音が聞こえてきた。

 訓練が切り上げられ自由時間となった事を喜ぶのがいるのに、何故、二人の死を悲しむ者がいないのか。名誉の死として扱えとは言わない。少しだけでもいい、二人を思ってくれはしないだろうか。清志は抑えられない感情に、顔を歪めた。

一人では立っている事すら出来ない山中を部屋に連れて行くと、清志と村田はまだ焦げた匂いの残る建物に向かった。

建物に向かう間、多くに兵士たちとすれ違った。その間、二人は声を出すことが出来なかった。今声を出せば、大声を上げ抗議するだろう。暴れるかもしれない。笑顔で話す兵士たちを、片っ端から殴りつけるかもしれない。全ての衝動をこらえ、肩を並べ歩いた。下を向けば目に入るのは、薄っすらと積もっていた雪と混ざり合い、薄茶色く汚れた、踏み荒らされた道。「汚い」清志のその言葉が何に向けられていたのか、村田は問わなかった。ただ、汚いものを見ないように、涙を流さないように、上を向いて歩いた。

建物内は破片が周りに飛び散っているが、被害を受けたのは建物の中央だけで、中央の天井はぽっかりと穴があき、落ちた天井が瓦礫となって真下に積みあがっていた。

二人の体はどこにも見当たらなかった。

手榴弾に不備があったのか、二人のどちらかがミスをしたのか今となっては分からない。ただ分かる事は、山中の指示を守っていた、ということだけだった。何箱もまとめて運んできていれば、こんな規模の爆発で済んでいなかっただろう。

ぽかりと空いた穴からは、何かを導くように、薄い雲をつらぬき一直線に日差しが差し込んでいた。

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