第9話

 家の前に着くと、宮野 咲が息を切らして待っていた。俺にはまだ気づいていないようだ。

 近づいて声をかけようとしたけど、なんて言えばいいのか分からなくなった。荒い呼気とともに、涙を流しているようだったから。


「なぁ……人んちのアパートの前でなにしてんだ?」


 結局、十数秒かけて出した言葉がこれだ。こんなんだから、俺には恋人ができないんだな。


「あなたですか……。これを見てください」


 差し出されたのは、電貧乏神に預けたはずのオルゴール!


「どうしてお前が持っているんだ? あいつはどこに行った」


 街灯の明かりの届かない暗がりにも目を凝らして見渡したが、電貧乏神の姿はない。


「きっと、このオルゴール、もう直っています。でも動かないので、新しい電池はありませんか?」


 電池なら丁度買ってきた、と俺は戦利品の入った袋を持ち上げた。


「だけど、どうして直ってるって分かるんだよ。あいつから聞いたのか?」

「私がここに戻って来たときには、玄関の前にこのオルゴールが置いてありました。きっと、もう会うこともないと思います。それよりも電池を……」

「家の前に置いていって逃げたのか? ったく、無責任なやつ。罪悪感を感じただけ損だったか――」

「電池を貸してくださいっ!」


 宮野 咲の耳に障る悲鳴にも似た声が、夜間を駆け抜けた。

 怖い顔つきで迫って来たと思ったら、持っていたレジ袋を奪われた。まるで乞食がゴミ箱を漁るみたいに、宮野 咲は袋の中を漁り始めた。


「おいおい、そんな乱暴にかき回したら、中の菓子パンまで傷むだろ。電池は取っていいから、もっと丁寧に扱ってくれないか」

「電池、ありました!」


 そりゃ良かったな。袋を返されたので、晩飯の具合をみる。重傷者一名、即死だった模様。もう一人は軽症、とはいえ、中身が一部食み出している。


「はあ、ひでぇ、俺のアンパンとカレーパンが……。にしても、こんな短時間で直せるとは思えねぇけど」

「論より証拠です。今電池を入れました。スイッチは何処にありますか?」

「ゼンマイがスイッチになってる。右に捻れば音が鳴る仕組みだ、直っていればだけど」


 カチ、という音に連なって、淀みのない音色が聞こえ始めた。忘れもしない、両親がプレゼントしてくれたオルゴールの音色、そのものだ。懐かしい……。でも、どうやって?


「本当に直ったのか?」

「論より証拠です。でも、電貧乏神様はもう――」

「その電貧乏神はどこに居るんだ。これなら、お礼のついでに詫びないといけない。ははっ、マジか、本当に直したんだ。で、どこに居るんだ、居場所知らないのか?」

「嬉しそうですね」


 深刻そうに俯いた宮野 咲は、横目で俺を蔑んだ。

 なんだよなんだよ感じ悪いな、人が喜びに浸っているというのに。

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