選ばれる理由

「それで葵、今日はどうしたの? なんか聞きたいことがあるって言ってたよね」栄子がメニューを閉じて尋ねた。


「うん……。あのさ、栄子って昔漫画家目指してたでしょ?」


 言ってからすぐに、葵は自分の言葉に違和感を覚えた。たった3年前なのに、もう昔のことになってしまうのか。


「え? あぁ、そう言えばそうだったね。最近バタバタしてるから、学生の時のことあんまり思い出すことないんだけど」


「じゃあ今は、もう漫画とか絵描きたいって気持ちもないの?」


「うん。そもそも時間がないからね。主婦って意外と忙しいんだよ。ルーティンこなしてるだけで1日終わっちゃうし」


「そうなんだ……」


 葵は何だか切なくなってきた。夢を追いかけていた時期はあっても、日々の忙しさに呑まれているうちにその夢の存在を忘れていく。栄子のような人は少なくないはずだ。


「でも、何で急にそんなこと聞くの? 葵、漫画家なんて興味なかったよね?」栄子が不思議そうに尋ねてきた。


「うん。あたしはそうなんだけど、友達に作家目指してる子がいて」


「作家?」


「うん。あたしも最近知ったんだけど、その子は社会人になってから本格的に書き始めたんだって。賞にも応募したけど選考通らなくて、すごく落ちこんでたみたい」


「あー、それはわかるわ。自分が才能ないって事実を突きつけられた気になるんだよね」栄子が頷いた。


「でも、あたしからしたら十分面白いんだよ。その子、今はサイトに小説載せてて、あたしも時々読んでるんだけど、なぜか他の人にはあんまり読まれてないんだよね」


「そのサイトってホームページか何か?」


「ううん。小説投稿サイトで、他の人の小説も載ってる。でも思ったより作品多くてびっくりしたよ」


「まぁ、小説って漫画と違って、その気になれば誰でも書けるからね。敷石が低いから投稿する人も多いんじゃないかな」


「じゃあ、その子の作品が読まれてないのは、単に埋もれてるだけってこと?」


「その可能性はあるよね。後は長さとか作風かな。その子の作品ってどういうタイプ?」


「うーん、短いのもあるけど、どっちかって言うと長めの話が多いかな。作風は……他の人に比べて地の文が多い気がする」


「あー、それはネットだと受けないかもね。長編だとどうしても読むのに時間かかるけど、ネットって基本隙間時間にしか見ないから、長い話読もうって気にならないんだよ。描写が丁寧だと余計に長くなるから、ますます読まれにくいのかも」


「そうなんだ……」


 葵は肩を落とした。智子の文体が丁寧なのは、読者が作品の世界をイメージできるようにという配慮の表れだと葵は思っている。でも、その試みがかえって読者を遠ざけてしまっているのだと思うと、葵はやるせない気持ちになった。


「でも、小説って難しいよね」栄子が腕組みをした。

「漫画だと絵で表現できることも、全部文章で表さないといけないのって大変だよ。絵で見せれば一発でわかるものを、読者が想像できるように具体的に書かなきゃいけないわけだし」


「確かにそうだね。人の服装とか風景とか、想像しながら書くのって本当に大変だと思う」


 とはいえ、サイトにアップされている作品は地の文が少ないものが大半だ。中には智子のように描写が丁寧な作品もあり、そうした作品はイメージも伝わりやすいのだが、ネットだと読まれにくいという。


「……確かに小説って難しいね」葵がため息をついた。

「誰でもすぐに書けるからこそ、ネットにはたくさんの作品が溢れてる。でも、読まれやすいのは短い作品の方で、時間かかると思ったら読んでもらえない。頑張って書いた作品が読まれなかったらショックだよね……」


 1日机に向かって本格的に書いた作品も、空いた時間に気軽に書いた作品も、ネットという媒体では同じように並んでしまう。そして手軽に読める作品の方に読者が流れると、時間をかけて丁寧に書いた作品は埋もれてしまう。何とも皮肉な話だ。


「ねぇ、栄子。どうやったら諦めずに小説を書き続けられるのかな?」葵が尋ねた。

「栄子はずっと漫画家になる夢を追っかけてきたわけでしょ。そのモチベーションってどっから来るの?」


「モチベーション、かぁ……。」

 栄子は腕組みをして考え始めた。そこへ注文したケーキと飲み物が運ばれてくるが、葵も栄子をすぐに手をつけようとはしなかった。今はスイーツよりも大事なことがある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る