道は違えど
それから1週間後の日曜日、葵はカフェでその友人が来るのを待っていた。葵の急な誘いにも友人は快く応じてくれた。彼女に会うのは卒業以来だが、今どんな生活をしているのだろう?
葵がそんなことを考えていると、入口の扉が開いて1人の女性が入ってきた。店内を見回し、葵の姿を見つけると顔をぱっと明るくして近づいてくる。
「葵、久しぶりだね。全然変わってないからすぐわかったよ」友人が葵の向かいに腰を下ろしながら言った。
「それはこっちの台詞。栄子、結婚したって聞いたからちょっとは変わってると思ってたのに、前会った時のまんまだね」
「まだ3年も経ってないからからね。でもやっぱ子ども生まれてから忙しいよ。しょっちゅう夜泣きするから夜全然寝れないし」
「そうなんだ、大変だね。今日は旦那さんが面倒見てるの?」
「うん。せっかく友達と会うんだから、楽しんでおいでって言ってくれて」
栄子が歯を見せて笑う。そこへ店員がメニューを運んできた。栄子はメニューを受け取り、どれにしようかと楽しげに迷っている。そんな友人の姿を眺めながら、本当に変わってない、と葵はしみじみと感じていた。
彼女の名前は浅田栄子。葵の高校時代の友人である。昔から絵を描くのが好きで、将来は漫画家を志望していた。周囲にも漫画家になる夢を公言していて、反対をものともせずに美大への進学を決めた。
高校卒業後も栄子とは時々会っていた。栄子は美大での生活を満喫していて、1日中絵に向き合えるのが楽しいと会うたびに語っていた。友人もたくさん出来たらしく、作品を見せ合って意見を交換し、お互いを高めていける生活に充実を感じているようだった。
しかし、大学3年生の秋頃から栄子の様子が変わってきた。漫画や絵について、以前ほど熱をこめて話さなくなったのだ。美大での生活について葵が尋ねても、特に変わりないというくらいで、それっきり口を噤んでしまった。葵にはそれが不思議だった。あれだけ美大での生活を満喫していたのに、栄子に何があったのだろう?
その答えが出たのは1年後のことだった。いつものようにカフェで会っていた際、栄子が唐突にこう切り出したのだ。
『葵、あたしさ、卒業したら結婚しようと思うんだ』
最初にその知らせを聞いた時、葵は咄嗟に状況が呑み込めなかった。だから尋ねた。
『ちょっと待って。結婚ってどういうこと? 栄子は漫画家になるんじゃなかったの?』
『いや、それがさ……あたし、自分が才能ないってことに気づいたんだ。好きなことして食べていけるのなんか、本当に一握りの人なんだよね』
栄子はそう言ってばつが悪そうに笑った。何でも、栄子は最近になって新人賞への応募を始めたが、どれも引っかからずに落ち込んでいたのだという。美術関係の会社への就職活動も難航し、希望の進路が実現できないことに焦りを感じていた。
そんな矢先、大学の同期である彼氏からプロポーズを受けたらしい。彼氏は大手デザイン事務所から内定を獲得しており、栄子には仕事をせずに家庭に入ってほしいと言った。漫画家にはなれなくても、せめて美術関係の仕事をしたいと考えていた栄子にとって、それは苦渋の決断だったそうだ。
散々迷った末、栄子は彼氏のプロポーズを受けることにし、新人賞への応募も就職活動も止めて美大を卒業した。そんな話を淡々と語る栄子を見て、葵はひどく居たたまれない気持ちになった。
あれから早3年、栄子とは会う機会がなかったが、どうやら家庭生活は上手くいっているらしい。葵はそのことに安堵した。
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