奮起と衰退

 それ以来、俺は今までにも増して練習に打ち込むようになった。楽器を持ち帰り、家でも練習に明け暮れた。コンパの誘いを断り、クラブがない日も練習に邁進した。

 努力の甲斐あって、入部して1年が経つ頃には、俺の演奏は入学当初とは見違えるほどになっていた。指が独立した生き物のように動き、珠玉しゅぎょくのような音色が出せるようになった。

 そうなると演奏が楽しくて仕方がなかった。自分の手から紡ぎ出される音楽に恍惚として、いつまでもその世界に浸っていたかった。

 曲のレパートリーも各段に増え、新入生を前に1曲演奏したこともあった。テストの時のように緊張で頭が真っ白になることもなく、落ち着いていつも通りの演奏ができた。


『すごいって思っただろ? でも大丈夫。俺だって1年前までは素人だったんだ。でも、頑張って練習したおかげでここまで上手くなれた。

 楽器は楽しい。みんなも練習を続けていれば、絶対にそのことがわかるようになるよ』

 羨望の眼差しで俺を見つめる新入生達に向かって、俺は実感を持って言ってやったものだ。


 こうして卒業までの日々は瞬く間に過ぎた。秋葉先輩は俺が2回生になった時に卒業してしまったけれど、俺はクラブを止めようとは思わず、むしろどんどん音楽の世界にのめり込んでいった。バイト代を貯めてギターを購入し、憧れのマイギターを飽きもせずに眺めた。単調な基礎練を前に辟易した後輩を見た時には、昔の自分を思い出して共感しながらも、上達した時の喜びを言葉を尽くして語った。

 4回生になり、クラブを引退する時は本当に寂しかった。自分の青春の象徴ともいえる場所が失われ、身を切られるような思いをしたものだ。

 でも、その寂しさはほんの一時のことだと思っていた。社会人になっても別の団体を見つけ、そこで新しい仲間と共にギターを続けていけばいい。その時の俺はそう固く決意していた。

 だが、俺のそんな青春の誓いは、社会人生活が始まって間もなく敗れ去ることになった。

 週40時間労働の生活は予想以上に大変で、俺は毎日帰宅するたびにベットに倒れ込んだ。休日は休日で、目を覚ますと昼を回っていることが大半で、家事に追われているうちにあっという間に土日が終わってしまった。

 そんな中で、俺がギターに触れる機会は徐々に少なくなっていった。暇な時間ができても楽器を弾く気にはなれず、代わりにスマホを触って時間を潰した。そうして1日を無益に過ごし、後ろめたい気持ちを抱えたまま床につくのがいつしか習慣になっていた。学生時代は寝食を忘れるほど練習に打ち込んでいたのに、俺はいったいどうしてしまったのだろう。

 クラブの連中にも連絡を取ってみたが、みんな状況は同じようなものだった。楽器を弾けなくなったのが自分1人ではないと知ったことで、俺は妙な安心感を覚えた。最初は続けたいと思っていても、多忙な日々に呑まれているうちに気持ちは薄れていくものなのだ。俺はそう自分を納得させ、部屋の片隅で非難がましい視線を送ってくるギターケースを視界からシャットアウトしようとした。

 あれから早2年。俺は結局数えるほどしかギターを弾かなかった。たまに弾いても初心者みたいな演奏しかできなくて、そんな自分が嫌になってすぐに練習を止めてしまった。楽器から遠ざかるのは寂しかったが、仕方がないと思うことにした。

(練習に打ち込むのは、時間が余りあまっていた学生時代だからこそできたことなんだ。休みが2日しかない今の状況じゃ、練習時間を確保するのも、気持ちを奮い立たせるのも難しい。だから楽器を弾けなくなったとしても、それは当然の流れなんだ)

 俺は自分にそう言い聞かせながらも、心の奥底で虚しさが降り積もっていくのを感じていた。

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