蓬莱村騒乱

 フィリス嬢の願いに、焦ったのはマルケネス伯爵だった。何しろ“目に入れても痛くない”と公言し、実際に目に入れようとしたなどという噂まで流れる親馬鹿だ。「そんな場所に娘を送り出す訳にはいかん!」と激高した。おいおい、そんな場所って……

 伯爵もすぐに失言に気が付いて、発言の修正と謝罪をしてくれた。親馬鹿が過ぎたということで、私も聞かなかったことに。


 とはいえ、フィリス嬢のお願いは、ちょっとハードルが高いお願いなのよね。もう何人も異界こっちから日本あっちを訪問しているけれど、いろいろ調整は必要だわ。


「すぐに日本にお連れすることはできませんが、ご期待に添えるよう努力します。その前に、蓬莱村とテシュバートを見学されるのはいかがですか?」

「まぁ、うれしい。ぜひお願いしますわ」


 いきなり日本に連れて行っても、文化が違いすぎて大変な思いをするからね。とりあえず村と港で私たちの文化・文明に慣れてもらうのは良い方法だと思う。


□□□


 しかし、蓬莱村に帰る私に同行するとは、フィリス嬢は意外に行動力があるなぁ。


「わたくし、空を飛ぶ乗り物は初めてですわ」


 そういって、フィリスさんは電動ヘリ<ハミングバード2>の座席に乗り込んできた。女性の自衛隊員が貸そうとした手を断って、ヘリのサイドステップに足を掛けてひょいと乗って来た所を見ると、父親が考えているほどおしとやかということではないらしい。うん、好感が持てるわ。


「これを付けてください」


 私が差し出したヘッドセットを、見よう見まねで装着する。私はサイズを確かめて、ケーブルを接続した後、「聞こえますか?」と聞いた。


「あら! すごく良く聞こえましてよ!」

「ふふっ、そんなに大きな声を出さなくても大丈夫です」

「あ、ごめんなさい」


 いいんですよ、と言って、私は彼女の隣に腰を下ろす。エアバス社の電動ヘリをベースにした<ハミングバード2>は、五人乗り。電動ヘリは通常のエンジンを搭載したヘリよりも音は静かだけれど、風切り音は結構大きいから、会話はヘッドセットを通じて行う。今回の飛行は、私とフィリス嬢を乗せて、王都から蓬莱村へ二時間程度の飛行を予定している。


「アサミ辺境伯マーグレイヴ、今回のこと本当に感謝いたしますわ」

「私のことは、サクラとお呼びください。私たちの方こそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「確かに、あの金原さん、とおっしゃったかしら? あの方の行為は、とてもつらく耐えがたいものでしたわ。けれど、お父様もあんなにお怒りにならなくても良かったと私は思いますの。だって、万が一にも貴女のお国の方を殺めたりしたら、大変なことになってしまいますもの」


 あ、ちゃんと外交センスも持っているのね。この国の貴族令嬢としては、変わっているのかも知れない。後でマルナス伯爵夫人に、この子のこともっと聞いてみよう。


「それに、こんな冒険ができるなんて、ちょっとワクワクしていますのよ」


 そういって彼女が笑う顔は、イタズラをして喜んでいる子供のようだった。


□□□


 ヘリが村に着いたのは、夕方だった。日が暮れる前に到着できて良かった。パイロットを労いつつ、フィリスさんをエスコートしてヘリポートの堅い地面を踏む。長い時間、ヘリに乗っていたから、しっかりした大地の感触がありがたく思える。


「お帰りなさい。お疲れ様でした」

「ただいま帰りました」


 数人の陸自隊員が出迎えてくれる。出迎えてくれたメンバーの中に、女性隊員を見つけたので手招きして呼んだ。


「茅場二尉。こちらはフィリスさん。マルケネス伯爵のご令嬢です。しばらくこちらに逗留されるので、迎賓館にご案内していただけますか?」

「了解しました」


 茅場二尉は、さっと敬礼をしてフィリスさんに向き直った。


「茅場みねこ二等陸尉であります。貴殿の案内を申しつかりました。よろしくお願いします」

「フィリス・マルケネスです。こちらこそよろしくお願いします」


 フィリスさんを茅場二尉に預けて、私は自分の執務室に向かった。王都の大使館で処理できることはしてきたけど、こっちでやらなきゃいけない仕事もたっぷり残っているのよね。




 結局、事務仕事は夜までかかってしまった。日本にいたときなら上司に「仕事が遅い」と叱責されるかもだけど。異界こっちでは、上司の目がない分、自分の責任が大きくて、時々全部放り出したくなる。しないけど。


 自分の部屋に戻れたのは、遅い夕食を食べた後だ。部屋に戻った後も、タブレットに保存してあるいくつかの報告書をパラパラと読む。新しい都市の建設や<らいめい>の二番艦建造など、今、いろいろな計画が動いている。科学部門が望んでいた本格的な研究施設はほぼ完成、スーパーコンピューターの導入が始まろうとしている。ふむ。おおむね順調だわ。


 さて、そろそろ寝ないとお肌に悪い。寝る前に保湿クリームと化粧水だけでケアして、ベッドに潜り込もうとした時、左手の一部が光った。光るパターンから見て危機管理センターからの呼び出しだ。私は、左手に描かれた回路の一部分を右手の指でスワイプし、話し出した。


「阿佐見です。どうかしましたか?」

「田山です。阿佐見さん、お休みのところ申し訳ありません」


 村内には位置計測システムが張り巡らされているから、私の居場所などバレバレ。隠すつもりもないし。


「今、迎えの者を向かわせました。至急、お越しください」

「構いませんが、何が起きたの?」

「それは……通信では話せません。直接お話します」


 通信で話せないって……? 何が起きているのだろう。疑問に思いつつも、身支度を調えた。ちょうど支度が終わった時に、ドアがノックされた。


「高野です。お迎えに上がりました」

「あぁ、高野一曹。じゃあ行きましょう」


 高野一曹が運転する電動カーで危機管理センターに向かう。



「お待ちしていました。こちらへ」


 田山二佐が、危機管理センターの中央制御室で出迎えてくれた。部屋の中を見渡すと、隊員が数名、いつもより少ない?


「ライブの映像です」


 制御室正面の大型スクリーンには、村はずれの景色が映っていた。そこには、数体の<ハーキュリーズ>と武装した自衛隊員、ソニック君まで見える。彼らが警戒しているのは、村と森を隔てているフェンスだ。今、そこは大きく切り裂かれている。


魔物クリーチャーズ?」

「だったら、まだましです。一時間前の様子を再生します」


 再生が始まった動画には、最初、いつもと変わらない様子が映っていた。まだフェンスは無傷だ。そこに人影が現れた。キョロキョロと周囲を警戒している。その手には、何か工具のようなものが握られていた。


 まさか、と思って見ていると、その人物は工具を使ってフェンスを切り始めた。


「何してんのっ!」


 一時間前の動画ということを忘れて、思わず叫んじゃった。


「田山二佐、あれ、誰っ!?」

「久木という、議員秘書です。もちろん視察団の」


 何してくれちゃってるのよ。去年も、潜り込んだ自称ジャーナリストが似たようなことをやって大騒ぎを起こした。


「まさか、また動物愛護とか、魔物クリーチャーズにも人権がーとか言う奴じゃないでしょうね?」

「それは、判りません」

「判らない? それってどういう……」


 田山二佐が、操作盤をいじって動画を先に進めた。


「ここからです。彼の目的が何であったにせよ、想定外が起きたようです」


 フェンスのワイヤーを切り刻んで、魔物クリーチャーズが入ってこれるくらいの裂け目を作った久木という議員秘書は、なぜかその場で様子をうかがっていた。何をしているのだろう? そんな場所に徒手空拳で突っ立っていたら、魔物クリーチャーズに襲ってくださいと言っているようなものだ。


「来ました。注意して見てください」


 フェンスの裂け目から、ゆっくりと現れたのは、白い大きな猿? だった。周囲を警戒しながら、慎重に村の中に入ってきた。そして、久木秘書を見つけると、大きな声で叫んだ(ように見えた)。すると、フェンスの裂け目から、次々と白い大猿が現れて、久木秘書を襲った!

 思わず目を瞑った。スプラッタな場面が展開されると思ったからだ。でも、ちらっと薄目を開けてみると、そんな血みどろな状況にはなっていなかった。むしろ。


「誘拐? あの秘書、猿に攫われたの?」

「はい。正確に言えば尾長狒々という、魔物クリーチャーズか獣か判らない奴らだそうです。ダニーさんによると」


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