ポーの片影 芥川龍之介

ノエル

芥川はポーの死にシンクロしたのだ。

書評界の大先輩だとしてわたしが私淑する紅い芥子粒さんにケシかけられて、芥川龍之介の短編『疑惑』について書評を書いたところ、紅い芥子粒さんに「ええっ、ポーですか」と驚かれてしまいました。


それで、芥川とポーの性格上の類似性というか、小説的シンクロニシティについて、我田引水的な自説をコメント欄で披露したところ、かもめ通信さんから、芥川はこんなのも書いていますよとの紹介を受けました。


ポーの芥川との類似性については、以前に紅い芥子粒さんの影響を受けて書いた『報恩記』でも言及していますが、今回は、とくにその思いを強くしたので、かもめ通信さんからの助け舟にはとても感謝しています。


――と、そんなわけで、さっそくかもめ通信さんお薦めの芥川龍之介『ポーの片影』を読んでみました。この作品はとても短いもので、400字詰め原稿用紙でいえば5枚強ほどのものですが、それなりに芥川のポーに対する思い入れのほどが伝わってくる文章です。


ともに短編で名を成し、ともに伴侶を有し、ともに夭折した天性の文人たち。このふたりの身内を走る死への暴走はなにに起因していたのでしょうか。


ウィキペディアによれば、ポーは1809年生まれの40歳でこの世を去る。かたや芥川は1892年生まれの35歳にて没。いずれにせよ、その航路に紆余曲折はあったでしょうが、ふたりの境涯はあまりにも短かった。短すぎました。少なくとも芥川は、ポーの早逝を憧憬の対象としていたのではなかったでしょうか。コメントにも書きましたが、それだけに書くものを通じて性急に生き急ごうとしていたのでしょう。


彼は、その『ポーの片影』で、ポーが「アランと呼ばれるやうになつたのは――」として、つぎのように語り始めます。


ポーの全集を編纂したグリスボートといふ男が故意に書き加へたことによつて初まつたのです。この男は、事毎にポーに反噛し、毒ついた男で、唯それだけで芸術史上に名を残された男です。


どうでしょう。もう、これだけで、芥川がいかにポーに入れ込んでいたかが知れようというものではありませんか。 しかも、彼独特のシニシズムは、こんなところにも現われていて、なんの因果か「グリスボートといふ男」をこき下ろします。


名を後世に残さんとする者は、後世に生命あるであらう芸術家に何でもかまはず喧嘩を売ることです………


――と。つまりは、他人の作品にケチをつけることでのし上がった男だというのです。


しかし、そこまでその男をこき下ろしながら、芥川はポーを評して、つぎのようにいけしゃあしゃあとノタマうのです。


彼が最もよく世に知られたのは、批評家としてゞした。二十六歳の時、彼は既に立派な批評家として全米に認められました。ポーの批評は辛辣で鳴るものです。


これではまるで、目くそが鼻くそを嗤う類いですよね。そして彼は、澄ました顔で、以下のように続けます

ポーに従へば、批評の役目はアラを探すことにあるといふのです。ポーは斯う云ふのです。作品の美点は批評家が説明して始めて現はれるやうなものではない。自然に現はれ、自然に感得されるのでなければ美点ではない。


――と。

しかして、自らもポーと同様の感性をもつ彼も、ポーの作品に相通ずるものを感じていたのでしょう。


後代に迄残る作品は短いものだと断言してゐるのです。ポー逝いて後の傾向に照し彼の鋭い洞察力に感ぜざるを得ないではありませんか、彼が偉大なる先駆者であることは疑へないところです。


自らも短編作家でありながら、今日においては短命作家と称される芥川は書きます。


ポーは一八四一年になくなりました。


なぜ、そんなことをわざわざ書く必要があったのでしょう。

それには、訳があったのです。これによると、ポーは32歳で亡くなったことになります。当時、これが一般に知られていたポーの享年だとすれば、早世に憧れ、生き急いでいた芥川もまたそれを信じ、熱に浮かされたように焦りを覚えていたことでしょう。


事実、ウィキペディアの芥川龍之介の項によると、その死後に見つかった久米正雄に宛てたとされる遺書(或旧友へ送る手記[15])には、


自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品(バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」


――とあるのです。


ここにある「この二年ばかりの間」というのは、ポーと同じ32歳で死ぬ覚悟を決めていた彼にしてみれば、1年遅れになろうとしている時期のことであり、その焦りが手に取るようにわかります。


思うに、芥川はポーの死にシンクロしたのです。生まれた日こそ変えられないけれど、享年そのものは変えられると――。彼は、自死という方法で、ポーに殉死します。それが彼を愛した芥川の誠意の示し方、すなわちリスペクトの表明に他ならなかったのです。


出典 https://www.honzuki.jp/book/295487/review/257204/

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