濡闇ノ国の魔法ノ塔
ささがせ
濡闇ノ国の魔法ノ塔
1章 厄介者ノ魔法ノ門
第1話
窓を叩く雨の音は相変わらずだった。もはや聞き慣れたメロディといって過言ではないが、今日は少し曲調が強い。
窓に叩きつけられた雨はクシャリと潰れて、涙を流すように濡れ落ちてゆく。それが幾重にも重なれば、さながら滝のようで、そのうち窓が破れてしまうんじゃないかと思った。
窓を見ていた私の指に、銀の針が突き刺さって我に返った。突然の痛みに思わず椅子から立ち上がり、膝を机にぶつける。踏んだり蹴ったりだ。
「おやおや、ノノ。今日は特に集中力に欠けてるようだね」
奥からババア…じゃない、私の師匠が出てくる。剣や魔法の師匠なんかじゃなく、裁縫の師匠だ。このババ――師匠は、それなりに腕のいい裁縫師で、王様の服を繕ったりするらしい。今までそんな仕事を受けているのを見たことないが。
「別に。小ゲジが足元を通って驚いただけです」
「そうかいそうかい。そういうことにしておこうじゃないか」
何でもお見通しと言わんばかりのババアだ。いや、師匠だ。
「今月は繕い仕事も縫い仕事も無いし、何なら休んでもいいよ」
「部屋に居ても暇なだけですもの。もう少しやってるわ」
私は”完全に傷の塞がった指”を舐め、乾いた血を拭うと、試作途中の作品を手にとった。私が作っているのは帽子だ。ババアには雑巾に見えるらしいが、私にはちゃんと帽子に見える。帽子だ。帽子だぞ。
「熱心なのはいいけどねぇ」
ババアがいつもの古臭い安楽椅子に腰掛ける。ここに腰掛けたババアは羽鎧虫のメスみたいに見動きしなくなる。
「果たして”どっちに”熱心なのかねぇ」
何が言いたい。
私が皮肉を返してやろうかと口を開くが、それより早く、背後の樫の扉が勢いよく開いた。
「マーサ様! ノノ! こんにちは!」
「あら、ミシェルお嬢様、ご機嫌麗しゅう」
身動きしないはずだったババアは、流石に雇い主を目の前にすれば立ち上がり、慇懃無礼に挨拶を返す。
だが、私は雇われ人ではないし、そもそもやってきた人物は私にとって厄介極まりない存在だ。私は軽く振り向いて、その流れるように美しい金髪を視界に収めて軽く挨拶してやる。
「ん」
軽く。軽くだ。
「お忙しいところだったかしら?」
コツコツと、石床に硬い靴底を叩きながら、私の真横にミシェルは立った。
私は彼女に見られる前に、いま正に作っていたものをさり気なく床に捨てる。
「いえいえ。今日はノノの裁縫を見ていただけですから」
「そうなの? ノノは何を作っていたの?」
「…雑巾」
雑巾。雑巾だ…。
「基礎の、練習だから…」
雑巾は全ての裁縫に繋がっているのだ。やがて帽子になるだろう。残念ながら今ではない。
「ノノは毎日練習していて偉いわ。私なんて、裁縫は直ぐに飽きてしまうから」
まぁ、ミシェルはそういうの向いてないものね、と口から飛び出しかけたが、師匠の眼の前なのでギリギリで抑え込む。
「ねぇ、ノノ。今は練習で忙しいかしら?」
「別に。大丈夫だけど」
「よかった! マーサ様、ノノを借りてもよろしいかしら?」
「ええ、ええ。どうぞどうぞ」
ババアはニコニコしていた。気持ち悪い。
「では行きましょう、ノノ。道すがら私の”計画”を話すわ」
さてはて、今日は一体どんな厄介事が私を待っているのだろうか。
「では師匠、行ってきます」
「マーサ様、ありがとう」
「ええ。行ってらっしゃいませ、ミシェル様。ノノも行ってらっしゃい」
ババアに見送られ、私は樫の扉を抜けた。
樫の扉を抜けた先は冷たい空気に包まれている。小型魔力炉のあったババアの部屋と違い、部屋を出たそこは最下層から最上層まで吹き抜けになっているからだ。下から湿地の冷気がゲジのように不快な足取りで這い上がってくるのである。
私とミシェルは並び、滑らかな灰色の石を積んで作られた螺旋階段を降りていた。何処へ向かっているのかは、よくわからない。彼女が言っていた”計画”の内容次第か。
ただ、あまり地表に近づくと、湿気と湿地の臭いが強くなってくるので、服が黴臭くなる前にやり遂げてしまいたい。だから私は上機嫌に階段を降りるミシェルを促すことにした。
「それで、”計画”って? 今日は一体何をする気なの?」
「ふふふ! お父様と伯父様のお話を盗み聞きしたのよ!」
伯父様。リオエール卿か。国境基地から戻ってきていたんだな。
「いや、それだけじゃさっぱりわからないわよ。一体今度は何を企んでるの?」
「落ち着いて落ち着いて。伯父様が語った国境での武勇伝を話しても良いのだけれど、逸る心を落ち着けて、それを省いてちゃんと計画の話をするわ。お父様と伯父様のお話を盗み聞きしていたのだけれどね___」
逸る心を落ち着けた割には話が進んでいない。三行で説明して欲しい。
「この”塔”の隣に、廃塔があるんですって!」
「え、そうなんだ」
それは知らなかった。”隣”と言っても結構離れているし、雨や霧で様子もよくわからないから、隣に塔があるのは分かっていても、人が住んでいるかどうかまではわからないのだ。
「お父様は伯父様にそろそろ結婚して腰を落ち着けたらどうだって仰ってたわ」
「なるほど、それで廃塔を勧めてたってことか」
「でも、残念。その塔はこれから私のものになるのよ!」
「…え?」
流石に固まる。
「い、いやいや、待ってミシェル。塔には確か、”家族”じゃないと住めないでしょ?」
ミシェルは外見的には少女だけれど、年齢的にはとっくに成人済みだ。しかし契りを結ぶ婚約者がいないので、子供扱いとしてこの塔で暮らしている。もし万が一、万が一にでもミシェルが素敵な伴侶に見初められたのなら、新しい”家族”として廃塔を王様から与えられる。
ただし、私は配偶者を見つけても塔を貰うことはできない。私は魔法使いじゃないから。
”魔法使いが《一家》となった時”、初めて塔を与えられるのだ。新しい魔法使い一家の門出の祝として。
「ええ、その通りよ。だから、ね、ノノ」
ミシェルの朱い瞳が私を覗き込む。
私にはない朱い、朱い、宝石のような瞳が、魔法使いであることを示す尊き証が、私を映している。
誰よりも美しい彼女の眼に、私は囚われる。
「私と、家族になりましょう」
「へぁっ!?」
私はその瞬間、間抜けな声を残しつつ、階段を踏み外してゴロゴロと階下へ転がり落ちていった。
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